筆 者
啄木はすぐれた文学者であったと思うのは、私ばかりではないだろう。この点についてはどなたも意義はないと考える。だがしかし生活者として見た場合の彼は、はなはだ未熟であったと私は思っている。
私が不思議に思うのは、必要なときには必ず支援者がいたことである。それも一人や二人ではない、少なくとも十人ほどを数えることが出来る。
長期に渡る場合もあれば短期の場合もあった。以下その時々の主な支援者を順次述べてみたいと思う。
も く じ
土岐哀果(2)
完
2.
啄木と宮崎郁雨(1)
6
.
土岐哀果(1)
啄木と金田一京助(5)
「東京朝日新聞社」の人々(2)
啄木と金田一京助(4)
5.
「東京朝日新聞社」の人々(1)
啄木と金田一京助(3)
「小樽日報」の人々(3)
啄木と金田一京助(2)
「小樽日報」の人々(2)
1.
啄木と金田一京助(1)
4.「小樽日報」の人々(1)
はじめに
啄木と小田島尚三(3)
啄木と小田島尚三(2)
3
.
啄木と小田島尚三(1)
啄木と宮崎郁雨(6)
啄木と宮崎郁雨(5)
啄木と宮崎郁雨(4)
啄木と宮崎郁雨(3)
啄木と宮崎郁雨(2)
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井上信興先生の
啄木研究
塚本 宏
掲載にあたって