啄木を支援した人々    井上 信興    
1.啄木と金田一京助 (1)
 金田一氏は明治十五年に盛岡市で生まれ、盛岡高等小学校から盛岡中学に進学した。この両校には啄木も在学していた。

 金田一氏は中学卒業後、仙台の旧制第二高等学校から東京帝国大学の文学科に進学し上田教授が述べた「アイヌは日本にしかいない。アイヌ語研究は世界に対する日本の学者の責任ではないか。」と言う話に金田一氏は感動して、アイヌ語研究にその生涯を捧げ、アイヌ語についてはその第一人者となった。東大教授、国学院大学教授、などの要職を歴任し、研究の成果は昭和二十九年に文化勲章を授与された。

金田一京助
Wikipedia より
 啄木が金田一氏と最初に接触したのは、啄木が盛岡高等小学校に入学する時であった。そのときの様子は金田一氏の「石川啄木」という文章に興味深く述べられているので少々長いが引いてみよう。

 彼が盛岡高等小学校四年の新学期に始めて登校する日のことである。この時初めて啄木に逢ったのである。

 「校門の少し手前で同級の三人と一緒に一人の子供がついてきていた。見たところでは六つ七つの子供と見間違えそうな、如何にも子供らしい、小さな可愛らしい子供だった。私は心の中で、どこかの尋常校へでも上がる子供が、途中まで連れて来て貰っているのだろうと考えた。しかしそんな風もなく・校門を入ろうとするから、私は小さな声で阿部君へ聞いてみた。『この子は高等小学校なの、』心でまさかと思いながら、『うんこの人は幼稚園へ上がるのを間違えて此処へ来たの。』私は『道理で』と思ったが、その子は首と体を一緒に振って、いやいやをして阿部君へすねてむずかっていた。腕を引っ張ったり、胸へ飛び付いて顔を打ったりした。『おやおや赤ん坊のような子だが馬鹿にできない手強い子だな』と少し興ざめしたのが私のその時の正直な印象であった。」ここにはすでに後年の性格が出ているように思われる。つまり反逆的性格である。

 金田一氏は高等小学校を四年終了して盛岡中学に入学したが、啄木は一年早い三年終了で中学に進学している。しかも百二十八名中十番という好成績であったから、子供の頃から神童と言われていただけのことはある。

 啄木は当時海軍軍人に憧れを持っていたことでもあり、中学で随一の読書家でもある海軍志望の及川古志郎氏に接近して行った。そうした及川氏に文学の知識を受けて彼は次第に文学への魅力に取り付かれ、最初に関心を示したのが短歌であった。

 もし歌をやりたいのなら、すでに「明星」の社友として活躍している金田一氏をに紹介され、啄木は早速金田一氏を訪ねた。金田一氏は「私は何の用で尋ねてこられたのか見当がつかなかった。小さい人、可愛い人ぐらいにしか思っていなかったその人の口から、『明星を貸してくれまいか』という言葉を聞いた時に、私は『わかるのかしらこの人に』と驚いたほどだった。」と言っているが、彼にしてみれば、最初の印象が残っていただろうから無理もなかった。

 その頃の啄木の歌というのは、与謝野晶子氏の模倣のようなものばかりで、しかも何をいっているのか解からぬような歌であったから、金田一氏は余裕をもって啄木に接していた。啄木は密かにその頃から「明星」に歌を投稿していたが、なかなか雑誌に採用してもらえなかった。与謝野鉄幹氏は後に「啄木の歌は模倣ばかりなので一年くらいは採用しなかったように思う」と、後に金田一氏に語っている。つまり自己の短歌観が確立していないということであろう。

 さて啄木は歌にはまり込み、後に彼の妻となる堀合節子との恋愛などの楽しい生活をしていたから、学校の授業などに何の魅力も感じないようになっていた。したがって成績は加速度的に落下するのは当然であった。

 一二年生時代は優秀な生徒であったが、四年の成績は百十九名中八十二番まで落ち込み、欠席日数も増加し、その上、カンニングが発覚するという最悪の事態になっていた。五年生の一学期までは何とか在学していたが、成績は依然不良であったから、到底卒業の見込みはないものと判断し、落第の汚名を着せられるよりも自ら退学の道を選んだのである。

 この年十月「明星」第三巻五号にはじめて歌一首が採用された。

  「血に染めし歌をわが世のなごりにてさすらひここに野にさけぶ秋」 という歌である。

 啄木としてはやっとこれで手掛りがつかめたわけで、彼は文学で身を立てる決意をし、明治三十五年十月三十一日早くも上京した。

 中学の先輩細越夏村氏の世話で大館みつ方に下宿し、翌月の十日に「新誌社」の会合に出席し、始めて与謝野夫妻に面接した。啄木は翻訳で収入を得るつもりでいたと思うが、中学さえ出ていないような少年の翻訳など相手にしてくれる出版社などあるはずはない。啄木はまだ社会の常識がわかっていないのである。収入のない彼は友人の好意にすがって泊まり歩くしかなかった。
 
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