啄木と三人の女性        井上 信興
は じ め に
筆 者
 啄木はすぐれた文学者であったと思うのは、私ばかりではないだろう。

 この点についてはどなたも意義はないと考える。だがしかし生活者として見た場合の彼は、はなはだ未熟であったと私は思っている。

 というのも、身勝手に家族をほったらかして北海道から東京を放浪し、収入を考えずに借金暮らしに終始しているような生活は、普通一般の人々はまずしないのである。

 借金はしかたがないとしても、返済する意志がはなはだ希薄だという点が問題だと思う。

 それは彼が生涯にわたっての負債総額を見ればわかる。所謂「借金メモ」によれば千三百七十二円五十銭であるが、これは金田一氏と同居していた明治四十二年六月ころまでの合計金額ということであり、その後も彼が死去するまで借金を重ねているはずだから、私はその後の状況を調査した結果、二百二円五十銭あることが判明した。

 したがって、「借金メモ」の金額に私の調査結果の金額を加えると、千五百七十五円にもなるのである。この金額は今とちがって明治時代の貨幣価値を念頭に置けば、普通の家が一軒建つほどの金額なのである。

 それも二十代の定職を持たない男が、ほぼ十年の間にした借金であることを考えれば、私はよく借りられたものだと不思議にさえ思うのである。

 この金額からしておよそ通常の手段では返済不能の額に達していることは明らかである。

 啄木に最初接触した男女は多かった、それは彼に魅力があったと言うことだろう。

 しかし裏側が見えてくると、友人達も次第に離れてゆく人々が出てくるのも当然であった。

 そうした啄木ではあったが、私が不思議に思うのは、必要なときには必ず支援者がいたことである。

 それも一人や二人ではない、少なくとも十人ほどを数えることが出来る。

 長期に渡る場合もあれば短期の場合もあった。

 以下その時々の主な支援者を順次述べてみたいと思う。
 
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