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3日目 3月23日(火)「へんろころがしと道しるべ」 快晴 | |||||||||
6:30宿出発…焼山寺登山口7:20…長戸庵8:50…柳水庵9:55…一本杉庵10:50 …12番焼山寺(12:50〜14:00)…杖杉庵15:00 …神山町・なべいわ荘15:20着 < 21.8八キロ 29,138歩> |
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7時半、旅は道ずれと5人で本堂の左手の「焼山寺みち」と書かれた山道を登り始めた。 |
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焼山寺道がへんろ最大の難所といわれるのは山を2つ越え、一旦標高400mの左右内集落に下り、また焼山寺山の中腹、標高700mの「12番焼山寺(しょうさんじ)」まで、健脚で5時間、普通で6時間、慣れない人なら7時間以上と、かなり長時間本格的な山道を歩くことにあった。 今回不安の一つに山道や道標の整備状況があったが、登り始めて不安は一掃した。分岐は勿論、不安になりそうな箇所には先人の手作りの道しるべやはげましの言葉が板や布に書かれ、枝にぶらさがっていた。 いわく「へんろ道」、「がんばれ!前進」、「もう一息がんばって」、「有り難く歩く」「あるがまま」、「同行二人」、「南無大師遍照金剛」、などなど。(へんろ道と道しるべ) 最初の急登を登ると視界が開け、眼下に吉野川とその向こうに昨日お参りした切幡寺の大塔が見えた。アップダウンを何回か繰り返し、また登って長戸庵から柳水庵に着いた。 どの紀行文にも必ず出てくる親切な老夫婦と五右衛門風呂の柳水庵は、寄る年波でもう営業していなかった。この庵を引き継ぐ人はいないのだろうか。長年に渡って引き継がれてきたものが途絶えるのは寂しい。こんこんと湧き出る冷たくておいしい清水にのどをうるおし、しばしの休憩をとった。 森の中に突然現れたコンクリートの石段を見上げると天然記念物「左右内の一本杉」の大きなお大師さまが見下ろしていた。その大きさと荘厳さに圧倒され思わず身震いした。 標高745mの浄蓮庵から左右内の集落には慎重な上にも慎重におりた。不注意からねんざしてこれから先をあきらめる程情けないことはない。左右内から遠くに雪を残した高い山が見えたが、あれが剣山だろうか。
焼山寺までの最後の標高差300mの急な山道はへんろころがしにふさわしい難所だった。12.9キロの山道を5時間20分、思ったより早く着いた。老杉の大木が連なる参道を歩きながら深呼吸して美味しい空気を吸い込んだ。汗をかき苦労して登ったあとのお参りは清清しい気分でいっぱいだった。 仏前では、ご先祖様の供養、今までお世話になった方々への感謝、そして我が家の家内安全と幸せを祈願して参拝した。仏前勤行次第と書かれた経文には参拝作法がいろいろ書かれていたが、私は「般若心経」と「南無大師遍照金剛」を唱えることにして、他は省略させていただいた。(札所の作法) 境内の売店でうどんと草餅を食べていると、番外札所にいった山野さんが4時間半のハイスピードで登ってきた。もう少し休むという野宿組を置いて、同じなべいわ荘に泊まる3人で一足先に山をくだった。 途中、遍路の元祖といわれる衛門三郎最後の地にある「杖杉庵(じょうさんあん)」にお参りし、鍋岩まで下り、15時過ぎになべいわ荘に着いた。 |
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着いてすぐに2日間分の衣類を洗濯したが、洗濯機を使うのは宇都宮の単身生活以来15年振りだった。ここは住友産業の保養施設だが一般も利用できる。今晩は山野さん・谷野さんと夕方若い男性がひとり着いて宿泊者は4人だった。 大きな丸太の素材を活かした大黒柱やひのきの豪華なお風呂、木材をふんだんに使った山小屋風の新しい施設で、寮長さんご夫婦とおばあちゃんの控えめながら心のこもったサービスでおいしい夕食をいただいた。 廊下に数冊のノートがあり、旅の感想や宿へのお礼に交じり、お遍路を始めた動機が赤裸々に書かれていた。 お遍路の動機は人様々だったが、概して年長者よりも若者、特に若い女性の方が深刻に思えた。どなたかの本に「お遍路の旅は普通の旅ではない、何かを求め、何かを捨てようとする人たちの旅だ」と書かれていたが、読んでいるうちにまさにその通りだと思い知らされた。求めることは、捨てて無になって初めて出来ることなのか。それにしても捨てたい、忘れたい、やり直したい人が本当に多かった。 |
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