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お遍路から帰りしばらくすると、またいつもの生活に戻っていた。アテネオリンピックも終盤になった頃、旅で一緒になった京都の寺山さんから、「75才からの四国順礼記」が贈られてきた。あたたかさにあふれた体験記に感動すると同時に、自分も歩いてきた道程を振り返りたくなり、汗とメモで汚れた地図や行程表、集めた資料や写真をひろげて見た。 見ていると不思議なくらい1日1日の行動を思い出し、歩いた道の光景や出会った人の顔が浮かび、話した会話さえも蘇ってきた。自分も忘れないうちに、この42日間の道程と、見て、聞いて、感じたことをまとめようと思い、書きなぐりのメモを見ながら日を追って書き始めた。 書いているうちにまたへんろ道を歩いているような気持ちになり、書き終えたときはもう一度歩いたような錯覚さえした。 このたび、「定年遍路道中記」としてまとめたものを、明和会のホームページで皆様にお読みいただくことになりました。まとまりのない、しかも40数日にわたる長い旅日記ですが、どうか最後までお読みいただければうれしく思います。 |
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吉野 新一.... | |||||||||||||||||||||
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「出発前夜」 2004年(平成16年) 3月20日(土) 東京雨 | ||||
子どもが遠足に行くように心が弾んでなかなか眠つかれなかった。 東京から徳島市坂東にある「1番霊山寺(りょうぜんじ)」までのアクセスは、バス以外に、飛行機で徳島空港まで、新幹線で神戸・大阪・京都まで行き、そこから徳島行の長距離バスに乗る方法、また岡山から特急うずしおで瀬戸大橋を渡ってくる方法がある。今回バスを選んだ理由は、淡路・鳴門の道から四国に入りたかったこともあるが、本音は料金が10,500円と一番安いことだった。夜行バスではまず寝られないと思い、初日の行程は無理をしないようゆとりをもたせて組んでいた。 私は昭和17年の東京生まれ、昭和41年4月に入社し平成15年6月、37年余の勤めを終えた。結婚式と親の葬式以外はさしたる休みもとらず、結婚して一男一女を授かり、世田谷にマイホームも建て、ごくごく平均的なサラリーマン生活を送ってきた。 関連会社に出向した頃から、まだまだ先のことだと思っていた「定年」の2文字がちらつきはじめ、人生の区切りに何か自分自身の記念になることをしたい。 「小さな旅」のテーマ音楽や「遠くへ行きたい」の曲が流れてくると、心がときめき、何処か知らない街を歩く旅に憧れ、誰でも出来るが誰にでも出来ない、そんな旅がして見たいと思うようになった。 あるとき新聞で「お遍路」の記事を見た。この時期、長引く不況、先行きの見えない不安から、「これからどう生きるか」、「自分を見つめ直す旅」などと「四国お遍路」が注目を浴び、新聞やテレビの記事が多くなっていた。 歩くことは人間誰でも出来るが、1200キロを歩くことはそう簡単なことではない。楽しくなった山歩きやウォーキングの励みとして、還暦の気力と体力の力だめしとして、また大好きな故司馬遼太郎氏の描く数々の時代の先駆者を生んだ四国の自然と風土、その歴史の跡も歩ける。 四国お遍路にチャレンジしようと決め、その日からお遍路に関する情報を集め始めた。 年間30万人といわれるお遍路の大多数が乗り物を使用し、遍路ツアーのバスなら約2週間、ジャンボタクシーやマイカーでは約10日間で88ヶ所を回れると言う。歩くお遍路は約1割の3,000人だといわれ、その中でも全行程を一気に歩く通し打ちは、またその1割の300人強で、日数は40日から50日かかると書かれていた。 本来のお遍路は歩きであり、会社を離れるこの機会に自分自身の時間と空間を得たいと思い、へんろ道を通しで歩くことにした。 どの本も四国の風景や人情に触れながら人生を見つめ直す旅がお遍路だと書かれている。私に物見遊山とはいわないが、そんな大仰な動機や信仰心があるわけではなし、まして厳しい修業をしようと出かけるわけでもない。 人生の節目の旅としてただひたすら歩く、歩くことだけに没頭し、願いは一つ、1200キロを歩きとおすことだけだった。 と言いながら、今までの人生を振り返るといつもどこか心の片隅でリセットボタンを探している自分や、殻を破るようなドラマを期待している自分があった。 人生生きてもあと20年、還暦・定年を機に初心にもどり、何かこれからの道筋をこの旅で見出したいという気持ちと、1200年経っても衰えることのない弘法大師空海の魅力と教えに、少しでも触れられたらという気持ちが心の奥底にあるのも事実だった。 2001年に「へんろみち保存協力会」編纂のガイドブック「四国遍路ひとり歩き同行二人」を知り、少しずつ準備を始めたが、本格的な準備は、定年後の勤めを終えた2004年1月、3月20日(土)夜、東京出発と決めてからだった。(プランの立て方) つれあいにお遍路の行程表をみせた。数年前から定年になったらお遍路をしたいと話し、お遍路の情報を集め、山やウォーキングで体力をつけ、着々と準備をしていることは承知していたが、いざ本当に出かけるとなると40日以上も家を留守にし、健康とはいえもうすぐ62歳になる身で、ひとりで見知らぬ土地や山道を歩くことを心配していた。 彼女の心配はもっともであり、毎日宿に着いたら連絡することを約束した。毎日の電話の会話から、家に置いてきた数冊のお遍路の本を、私の歩く行程に合わせて読んでいるようだった。 私のお遍路は「同行二人」ではなく「同行三人」の旅だったのかも知れない。 |
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