霊山寺
 霊山寺が1番札所になったのは、四国の東北に位置し、東北はものの初めを指す方向という説や、東北の鬼門を払う意味で一番にしたの説もあるが、故司馬遼太郎氏は「街道をゆく」シリーズ32巻「阿波紀行」の中で、「南海道の時代から四国へ入るのは、淡路国へわたり海を渡って阿波の国に入るのが常とされ、上方・畿内に対する四国の玄関は鳴門の浦々であった」と記され、交通の便のよい霊山寺が1番になったとの説を書いている。