四国遍路170万歩の旅

−定年遍路道中記−







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3月27日(土) 7日目 「二度道を間違える」  晴 

3月27日(土) 7日目 「二度道を間違える」  晴 
6:30宿出発…月夜お水庵…23番薬王寺(11:00〜30)…日和佐城(12:00〜30)
…牟岐町・民宿あずま16:00着
  <歩行距離 39.7キロ 歩数 52,956歩>

23番 薬王寺
民宿あずま
 
今日はまっすぐ行けば36キロ弱だが、途中日和佐城に寄るので約40キロは歩く。一足早く6時に朝食を食べ6時半に出発した。
 平等寺から薬王寺を経て室戸岬までは約98キロ、3日間の予定を組んだ。まず29日に最御崎寺の宿坊を押さえた。
 27日は平等寺から薬王寺まで約21キロ、その先は15キロ先の牟岐町まで宿はない。36キロ、ちょうど良い距離でさっそく電話をしたが、かけた旅館はもう店を閉めたといわれ、2軒目の民宿あずまを予約した。
 28日は少しでも室戸岬に近くと東洋町の旅館に連絡したが、1軒は廃業、もう1軒のまるたやは満室で、やむなく3キロ手前の甲浦(かんのうら)の民宿みちしおに予約した。28日は約24キロとゆっくり歩いても5時間ほどの楽な行程となったが、29日の室戸岬までが36キロとかなりきつくなった。

 まだ寝静まった町をまっすぐ南に向かう。田んぼの中の県道を標識に従い国道55号に向かったが、途中「歩きへんろはこちら」の矢印があった。民家の横を通り抜けると、「番外札所月夜御水庵(つきよおみずあん)」へ出た。月夜御水庵から県道を横切りその先の山道に入った。ずい分荒れた道だが、国道への近道だと思い込み沼を半周するが、その先の道が竹やぶの中で消えていた。歩きの道は県道までで、その先の山道は仕事道だったらしい。
 再びカーブの続く県道に戻るが、この道のごみの不法投棄はすごかった。走る車なら見えない谷底のごみの山も歩いていると目についた。環境破壊、マナー違反もここまで来ると「不法投棄厳禁」の阿南市役所・警察署の立看板が空々しくみえた。

 車の走る音が聞こえ、山の中腹に国道が見えた。実はここで大失敗をしてしまった。また道を間違えたのである。県道を道なりに行き、鉦打(かねうち)橋を渡ると国道の下を国道と平行に走る道に出た。その道を右に、進行方向の西に向かうと、まもなく左後方からくる道があった。遍路標識を探したが見当たらず、そのまま前へ歩いた。
 民家が並ぶこの道は旧道で、このまま行けばやがて左に折れて国道と合流すると思ったが、福井ダムに突き当たり行き止まりだった。今来た道を戻るしかない。2キロ近く戻り、先程の左折する地点をもう一度探すと、斜めに細い砂利道があり、その道を少し入ったところに小さな遍路マークがあった。その道は畦道を通り竹やぶを漕いで国道に抜ける、人1人が通れる細い道だった。
 間違えた理由は、国道に出るには車が通れるような道路だと思い込んでいたことと、この道が旧道だと勝手に思い込んだことにあった。今日から1人なので地図を手に持ち標識を慎重に見ながらきたつもりだがこのありさまだ。
 これから先が思いやられる。道を間違え、来た道を戻るのは本当に足が重い。戻ると思っただけで疲れが倍になる。月夜御水庵とここで約1時間・5キロもロスしてしまった。

 薬王寺までの国道は長い坂道を登るとトンネル、トンネルを越えるとくだりの長い坂道、というように山を切り開いた峠越えの連続で四国の幹線道路だけに車の往来が激しい道路だった。
 車で走る分にはこの勾配は何とも感じないだろうが、歩くとかなりこたえ、その上に左足下がりの連続は疲れを倍にさせ、トンネルは騒音と風圧と砂埃と排気ガスの四重苦だった。
 特にさわやかな空気を吸って気分良く歩いている時に、もうもうと黒い煙をあげた排気ガスをまともにあてられると本当に頭にきた。由岐方面への分岐を左折し、海岸線に沿って日和佐に出た方が海を見ながら歩け、眺めのよい楽しい道だったと思う。

23番 薬王寺
民宿あずま
 「23番薬王寺(やくおうじ)」は「阿波の国・発心の道場」の最後の札所だ。日和佐の町が一望できる高台にあり、土曜日で賑わっていた。ここは厄除けの寺として有名であり、境内には33段の女厄坂と42段の男厄坂、61段の還暦厄坂があり、厄落としの1円玉がたくさん置かれていた。
薬王寺厄除け

 私はちょうど61歳、子どもが持たせてくれた61枚の1円玉を一段一段に置きながら石段を登った。
 一段と高い瑜祗(ゆぎ)塔からは、正面に土佐の長宗我部の阿波侵入を防ぐために築いたという日和佐城が見え、入江を挟んで反対側にアカウミガメの産卵で有名な大浜海岸が見えた。

 赤い橋を渡って標高65mの城山に登った。日和佐城の天守閣で絶景を見ながらパンを食べからて再び土佐浜街道に戻った。薬王寺から最御崎寺までは約77キロ、2日半の行程だった。
4日目、靴に水が入ったのだろうか、雨の中を長時間歩いた日から両足にマメが出来ていた。毎日宿に着いてから小さいうちに針で水を抜きテーピングをするが、午前中は持つが午後になると痛くなってきた。

 牟岐まであと少しとふうふういいながら歩いていると、後ろから車がスーッと寄ってきて脇に停まった。窓があき40歳代の男性がビニールに入った甘夏を2個「お接待です」といってくださった。
 しばらく歩くと前から来た車が停って「この先、牟岐警察署の隣にお遍路さんの無料接待所があります。17時までなのでよろしかったら車にどうぞ」と声をかけてくれた。牟岐で泊まることを言い、「歩きますので」とていねいにお断りし、牟岐町の人たちの心遣いに感謝しながら峠を越えた。

 「接待」とは人をもてなす、湯茶をふるまうなどと広辞苑には書かれている。四国では土地の人などからのへんろ道を歩くお遍路さんへのお布施であり、励ましの言葉から道の案内、食事・飲み物、金銭の提供や宿泊施設の提供など有形無形、様々な形でその無償の善意が現わされる。今回の旅では大師信仰のもとこの地で何百年と受け継がれてきたこの“お接待”というすばらしい風習を肌で感じてみたかった。

 民宿あずまは駅前の食堂の2階で3室のこじんまりした宿だった。自らもお遍路をしたという気さくなおかみさんだった。今日のお遍路さんは私ひとり、あとは京都から来たお年より姉妹の旅行者だった。
 風呂に入り備え付けのガウンを着て食堂に降りると豪華に夕食が並んでいた。海老と野菜のてんぷら、いか・はまち・まぐろの刺身、高野豆腐、こんにゃくと根菜の煮物、きゅうりと貝の酢の物、地元産のもずく、豆腐と野菜の鍋物、ご飯 デザートのいちごと盛りだくさんだった。
 食堂やドライブインを兼ねる宿は○○定食式が多く、こんなに手の込んだ料理はなかった。おかみさんは自分の体験を交えながらこれから先の道の状況を教えてくれた。おいしかった。楽しいとビールもうまい。
 阿波の国もあと少し、明日からは修行の道場・土佐の国に入る。
 マメの手当てと足のマッサージ(マメ対策と筋肉痛)は日課となったが、どうやら予定通りに歩けそうだ。30日は奈半利の山本旅館、31日は手結岬の海風荘、4月1日は竹林寺に近いサンピア高知を予約した。
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