四国遍路170万歩の旅

−定年遍路道中記−







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3月28日(日) 8日目 「文旦はうまいが重かった」  快晴 

8:00宿出発…鯖大師8:50…宍喰温泉(12:30〜14:30)
…甲浦・民宿みちしお16:00着
  <22.4キロ 29,899歩>
番外札所鯖大師
宍喰温泉
甲浦・民宿みちしお
 

 
 お接待にネーブルとチョコレートをいただき、ゆっくりと8時に出発した。「トンネルにはくれぐれも気をつけて」と地元牟岐警察署の交通安全タスキを渡されたが、「無事でお遍路祈ります」と書かれたこのタスキは、家に着くまでザックに着けて歩いた。
 警察署の先に復活した旧へんろ道があったが、おかみさんから「この先いくつか旧へんろ道があるが、国道を行くのがわかりやすく安全で早い」といわれ、そのまま国道を行くことにした。トンネルがあった。日和佐トンネルのように、このトンネルもガードレールを設置する工事中だった。安心して歩けるトンネルは少なく、このように整備してくれると歩き遍路にとってこんなうれしいことはない。

番外札所鯖大師
宍喰温泉
甲浦・民宿みちしお
 「番外札所鯖大師」では大師堂で若い尼さんが読経していた。参拝後、名物「さばせ大福」を買った。10個入り600円のセットだった。鯖大師を過ぎるとようやく海が見え、心地よい潮風が吹いてきた。
 今までは肌寒い日が多く長袖が離せなかったが、今朝は20度を越すというのでTシャツにベスト、その上に白衣を着て歩いた。日焼けさえ気にしなければもう長袖はいらない気候になってきた。

 海南町、海部町を過ぎて宍喰(ししくい)町に入った。宍喰温泉まであと6キロ、今日は距離もなく楽な行程なので、この1週間の緊張づくめの神経と、めっきりお尻の肉が落ちた身体を休めようと、宍喰温泉で一風呂浴びるつもりだった。
 海岸で一休みして真っ青な空の下で煌く海を見ながら甘夏とネーブルでのどを潤した。実は果物が重たくてお腹に入れて少し軽くしようと思ったのだが、これでお腹いっぱいになってしまった。
宍喰海岸


 宍喰温泉は「ホテルリビエラししくい」と「道の駅宍喰温泉」の2ヶ所あるが、おかみさんのお勧めは道の駅だった。400円と入浴料も安く湯量の豊富な温泉だった。
 大腿部とふくらはぎがこの数日バンバンに張っていた。気泡を足にあて筋肉のこりをほぐしながらのんびりと湯船につかった。風呂からあがると休憩所に鯖大師で会った尼僧が休んでいた。「またお会いしましたね」とさばせ大福をひろげた。この30歳ぐらいの尼僧は故あって僧籍に入り、現在は奈良のお寺で修行中の身で2回目の四国巡礼とのことだった。

 再び国道を行く。歩道が新設され快適な水床トンネルを越えると、ここから高知県、いよいよ「修行の道場・土佐の国」だ。
 峠におばさんが3人露店をひろげていた。文旦・ボンタン・甘夏・小夏が山程積んである。
 「お遍路さん どこから、一休みしなさい」と声をかけられ、お接待に文旦3個、ボンタン2個、甘夏2個をいただいた。優しい気持ちのこもった文担は甘くおいしかった。と言いながら、正直なところ足裏がピリピリする身にとっては、この重さはかなり応えたのだが、おばちゃん達に勇気づけられ、なんとか頑張って峠を越えると、土佐路最初の町・甲浦の白浜が見えてきた。

 21日に1番を発ち今日で8日目、山の道、田畑の道、海辺の道、町の道と変化に富んだ8日間の遍路道だったが、なにせ全てが初体験の連続であり、不安と緊張のなか、早く次へ早く次へと日程をこなすのに精一杯だった「徳島県・阿波の国」だった。
 甲浦から先は岩礁が厳しく古来から道は通じてなく、土佐への街道は甲浦港から野根山越えて奈半利に出なければならなかった。今でも甲浦は牟岐線・阿佐海岸鉄道の終着駅であり、室戸岬に行くにはバスか車か歩くしかなかった。
峠の露店

 甲浦の白浜はまさに白砂青松という言葉が浮かぶほどすばらしい景色だった。サーフィンのメッカで浜辺には大勢の若者がサーフィンをしていた。今夜の宿はそんなサーフィンや海水浴客用の民宿兼ドライブインで若い男女で一杯だった。
 明日は海岸沿いの国道をひたすら歩くだけ、しかもかなりの距離がある。
 野根大橋から先は店もなければ自販機もないという。早朝6時には出たいので7時からという朝食をキャンセルし、宿の真ん前のコンビニで朝食・昼食用のおにぎりを買った。
 阿波の国の歩行距離は、224.1キロ、298,831歩だった。
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