ドクター塚本  白衣を着ない医者のひとり言
No.120 私の敬愛する「カリスマ医者」三人
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 凄腕の臨床技術の持ち主ではありませんが、たくさんのファンがいて絶大な人気や知名度を誇る「カリスマ医者」を私が選ぶなら、迷わずつぎの方々を挙げます。
 日野原重明、多田富雄、鎌田實の3先生です。それぞれ大変な有名人で、すでに当HPでも取り上げています。日野原先生については、「誕生日に出席した『新老人の会』」bP03(2007年11月)を初め8回もご紹介しましたし、多田先生も「免疫学者の『闘病記』―脳梗塞と前立腺がん―」bU3(2006年3月)など4回もご登場いただいています。鎌田先生については、「ちょい太でだいじょうぶ」ですと、元祖「小太りの長命学」を自称している私と同一見解を表明しておられることをbV7(2006年10月)でご紹介済みです。その後も、私なりに尊敬する3先生のことだけにフォローをつづけております。

 まず、日野原重明先生(1911〜)が毎週土曜日の朝日新聞に連載中の「96歳・私の証 あるがまま行く」は何時も欠かさず楽しんでおります。直近の7月5日は山口県萩市立明倫小学校でなさった「いのちの授業」のお話でした。「世界に平和をもたらす使命が君たちにある」と説いておられる中味も素晴らしいのですが、この学校の真向かいに明治生命入社当時に萩営業所があって月に1、2回は診査出張をしたものです。吉田松陰の銅像があったとは露知りませんでしたが懐かしく思い出しています。
 また、「ペリーの浦賀来航にさきがけて日米友好の架け橋となった万次郎少年の勇気をたたえて」今年の1月発足した「ホイットフィールド・万次郎友好記念館」(米国マサチューセッツ州フェアヘーヴン)開設募金の発起人代表も務めておられます(事務局は先生が主宰されている「ライフ・プランニング・センター」内です)。ジョン万次郎の長男が中浜東一郎医長で、初代の日本保険医学会・会長だったというご縁から私も貧者の一灯の募金をさせてもらったことは言うまでもありません。目標額8千万円の募金も順調にすすんでいると聞き及んでおりますが、さすがにカリスマ医者ならではのことでしょう。

 世界的な免疫学者で文化功労者の多田富雄先生(1934〜)は、脳梗塞と前立腺がんを患って身体障害第1級の身ながら「リハビリ診療報酬改定を考える会」代表として厚生労働省に対してリハビリ制限を白紙撤廃する署名運動の先頭に立たれました。たった2ヶ月あまりで48万人もの署名を実現させたのですから、そのカリスマ性には眼を瞠るものがあります。
 その後もこのままでは「弱者を平気で犠牲にする社会、戦争に突き進んでしまう社会に直結するという思いが、不自由な体をキーボードに向かわせ、人の10倍はかかる、左手一本の困難な執筆」をつづけられ、「わたしのリハビリ闘争 最弱者の生存権は守られたか」(青土社、2007年12月刊)を出版しておられます。五体満足な健康人ですらできないような運動に先生を駆り立てたのは、「患者にこれ以上治るな、という非情な制度」を作った政府への強い怒りでした。

 多田先生が車いすで届けた署名が効を奏して、いったんはリハビリ日数の制限が緩和されたかに見えたのも束の間、「再改定」では、かえって締め付けが強化されました。たとえば、リハビリの日数制限を緩和した場合、医療費総額が増えないように、「逓減制」という「毒針」の仕掛け(診療日数が多くなった場合には医療機関に支払われる医療費が減額される仕組み)とか、診療報酬請求には医師に3カ月おきにリハビリ実施状況についての詳細な報告書提出を要求して、医師が書類書きに追い回されるような難題を突きつけたのです。
 障害者や高齢の患者への診療制限が露骨になり、残酷な「姥捨て医療制度」になろうとする現状を心底憂えておられます。3千万人の老人と一緒に、「ベ平連」ならぬ「老平連」の結成すら必要だと、ますます怒りを露わにされています(朝日新聞「!聞く 東大名誉教授多田富雄さん」(2008年6月10から15回連載のB))。
 先生の命の言葉を左手一本で紡いだ社会に向けたパソコン発言には本当に頭が下がります。

 3人目は鎌田實先生(1948〜)です。諏訪中央病院を拠点として「住民と共に作る医療」を一貫して実践してこられた先生は、チェルノブイリ、イラクへの医療支援活動で2006年に読売国際協力賞も受賞されています。「がんばらない」(集英社、2000年9月刊)が「あきらめない」(同、2003年1月)で一躍有名になられますが、日野原先生からはNHKラジオの公開放送で「体のなかにグーッと芯が通っていて、多くの人びとにメッセージを伝えようとする使命感がいっぱいある、珍しいドクターじゃないかと思います」と評価されています(岩波ブックレットbV29、2008年6月刊)。
 チェルノブイリ支援だけでも1991年から活動を始めて17年間に、先生が設立したボランティア団体「日本チェルノブイリ連帯基金」を通じて、これまでに14億円分の医薬品や医療機器を送り、医師団の派遣はすでに87回を超えた(「なげださない」(集英社、2008年1月刊)をご参照)と言いますから半端ではありません。

 患者に対する暖かい眼差し、アイデアマンであって同時に行動力抜群、外柔内剛で本当に芯の強い先生です。一度診てもらったら何回でも診てもらいたくなるような先生です。その先生ご自身が、2005年から行っている「バリアフリーツアー支援」のボランティア活動の体験をまとめた著書「旅、あきらめない 高齢でも障がいがあっても」(講談社、2007年10月刊)を出版されました。巻末には「あきらめないで旅するためのガイド〜安心して、安全、あるがままに、そして便利に〜」という付録付きです。「・・・・・病気があっても/障がいがあっても/高齢になっても/こわがらなくていい。/何とかなる。/旅は、体を元気にしてくれる。/旅は心に自信をくれる。/旅は、あなたの人生を豊にしてくれる。きっと。」という先生のお考えをそのまま実践した記録本なのです。

 その最後の章「思い出づくり」のなかに、何と私の医学校時代の同級生、山上徹・愛夫妻が登場します。夫の徹先生は、長年、大阪成人病センターで循環器内科の専門医だったのですが、去年の同窓会で胃がんと食道がんのダブルがんをやったが何とか生きているよ、と笑って話していました。ところが夫人の愛さんも肺がんで闘病中に、「鎌田實とハワイへ行こう」という企画に夫と一緒に参加して、ハワイで金婚式を挙げたいという夢を実現させたのです。彼も照れくさかったのでしょう、このことを同級生には伏せていました。
 教会で挙げた本式の金婚式は「なんともすがすがしく、ハワイアンのウエディングソング。生のソプラノが美しい。厳かな空気である。二人は抱き合い、絵になるようなキスをした。人生の後輩であるが、僕と妻のサトさんで立会人としてサインをさせていただいた。」まさに、アイデアマンの鎌田先生ならではの感動的なシーンです。

 最後に3人のカリスマ医者は、思想的なバックボーンは異なるものの、いずれも熱烈な平和主義者だという共通点をお持ちだということも付け加えておきます。鎌田先生は「九条の会・医療者の会」の呼びかけ人の一人でもあるのです。

                            (2008年7月9日)
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