ドクター塚本  白衣を着ない医者のひとり言
No.103 誕生日に出席した「新老人の会」
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 今週の日曜日は私の75歳の誕生日でした。この日は奇しくも、「新老人の会」7周年記念講演会が砂防会館で開催されましたので出席しました。すでに8月に入会しておりましたが、晴れて「シニア会員(75歳以上)」になっての初参加でした。この会は、日野原重明会長が2000年9月、新老人運動を提唱されて発足しました。「5つの目標」(@自立、A世界平和、B自分を研究に、C会員の交流、D自然に感謝)を掲げて活動をすすめています。会員数はジュニア会員(60歳〜74歳)、サポート会員(20歳〜59歳)を含めて順調に増加し、22の支部をもち、現在5780人にも達しています(事務局長の発表)。

まず驚いたのは、7周年を記念した「第1回表彰式」個人の部に登場したf地三郎「しいのみ学園」理事長・園長のことです。知る人ぞ知る101歳の今日、世界最長老の現役教育学者です。早くから障害児のための教育に尽力され(映画「しいのみ学園」のモデル)、100歳を迎えた昨年からは世界一周の講演ツアーを敢行して活動の場を世界に広げています。受賞の挨拶の中で、何とご自分が創案して毎日実行している「棒体操」を披露されました。さすが剣道二段の腕前、スムースで敏捷な身のこなしの見事なことには感心しました。腰痛に悩んでいる私にはとても真似ができません。すでに医学、文学、哲学、教育学の4つの博士号をお持ちだそうですが、今も英語、中国語、韓国語、ロシア語などの勉強もされていて、「100歳からが人生の本番」を実践中で、私のような怠け者にも微かな希望を抱かせるに足る模範的な新老人そのものでした。

しかし、この講演会の主役は何と言っても日野原重明先生です。活動報告と表彰式で始まったオープニングから、ご自身の1時間余の講演「こどもたちに残したい未来のために」を含め、ミニコンサートで自ら作詞・作曲した「新老人の歌」の歌唱指導で終わるエンディングまで3時間半、会場に出ずっぱりです。休憩時間すら、著書やプロデュースした音楽CDを、列をなして購入する人へのサイン会に費やされます。しかも前日、台湾から帰国したばかりというのに1分間も休まない、超人的なご活躍でとても96歳とは思えません。

先生は現在も、私の理想とする「生涯現役」バリバリです。聖路加国際病院・理事長として、緩和ケア病棟、内科病棟の回診、(財)ライフ・プランニング・センター理事長としてLPクリニックでの一般内科診察をこなしておられますから、紛れもない世界最長老の臨床医です。1937(昭和12)年に京都帝国大学医学部を卒業、循環器内科に入局されましたので、ゆうに70年も臨床医を続けておられます。その業績は枚挙にいとまがありません。1954年9月に聖路加国際病院に人間ドック(この名称の名付け親の一人です)を開設され、1978年にそれまでの「成人病」を「習慣病」と改称することを提唱(厚生省(当時)が「生活習慣病」と改称したのが1996年ですから、20年近くも前のこと)された先見の明も評価されるでしょう。数々の受賞歴はとてもここに書ききれるものではありません。ほんの一部を書き出してみますと次のとおりです。

日本医師会最高優功賞(1982年)、日米死生学功労賞(1992年)、勲二等瑞宝章(1993年)、東京都名誉都民(1998年)、文化功労者(1999年)、NHK第54回放送文化賞(2003年)、文化勲章(2005年)。もっとも新しいのは、タニタ健康大賞(今月20日、授賞式)で、受賞理由は、国民が自らの健康を見直す大きな契機となった「習慣病」呼称の提唱です。

毎週土曜日、朝日新聞に先生が連載中のコラム「96歳、私の証 あるがままに」は欠かさず愛読しています。今年になってからでも、フィラデルフィア、メキシコ、韓国と3回も講演会ツアーをなさった体験記が綴られていました。

 私など海外の観光旅行を1度した(9月下旬のバリ島)だけで疲れてしまうのとは比べようもありません。先生の驚異的な若さ、元気さの秘密はどこにあるのでしょうか。誰しも関心を持たずにはおれません。今年の2月、この秘密に肉薄する格好のルポルタージュが発表されました(佐藤和歌子:「『いきいき95歳』日野原先生密着記」文藝春秋・2007年3月号)。1月17日(水)から1月23日(火)までの一週間、報告者が泊り込みも含めて、中高年から圧倒的な人気を集める「アイドル的存在」の先生に完全密着取材したものです。

取材中の一週間だけでも、京都(京大・特別講義)と新潟(日本医療秘書学会)に2回の新幹線・日帰り講演旅行、近場の講演会3回、診察、症例研究会を含めた診療3回、と猛烈な過密スケジュール、それを調整するために自宅秘書2人のほか、病院と看護大学に各々1名の秘書が付いています。現役医師だけでなく、ベストセラー作家の顔(著書の「生きかた上手」シリーズだけで200万部突破だそうです)も持っている先生は、新幹線はおろか自家用車の車中でも原稿の執筆、校正に時間を割いています。帰宅後も、午前零時半、「僕はこれからが本番なの」と午前3時頃まで執筆されているのを泊り込みの佐藤ライターは目撃しています。文字通り寸暇も惜しむ執筆活動と言ってよいでしょう。毎日の食事内容も克明に記録していますが、一日1300キロカロリーは本当でした。朝と昼はほとんど食べない(牛乳、紅茶にクッキー程度)ですが、夕食はハンバーグと焼き魚をいっぺんに食べるなどたんぱく質たっぷりの食事のようです。

この方には余暇というものがないようだ、と観察しています。目下一番の楽しみは、詩(「哲学詩」と呼んでいます)をつくることで、寝る前に一日の出来事を思い出して書くのだそうです。音楽の趣味も半端ではなく、ピアノを弾き、作曲もされるので、自ら作詩、作曲した歌、ミュージカルもありますが、最近はピアノも時々近所の集まりで賛美歌の伴奏をするくらいだそうです。

でも何故こんなに元気なのかの謎は解けなかったというのです。ストレスを感じない精神の強さが、肉体的な強さと直結しているのかも知れない、という仮説まで考えたりしています。結局長生きできているのは戦争中の食べ物不足のおかげだとか、疲れて声がかすれても「寝不足かな」と意に介さない、「自己肯定力」こそ若さの秘密なのか、とルポを結んでいます。

先生のワンマンぶり(だからストレスにならない?)も随所に出てくるほど、細かいことまで相談して判断を仰いでいる周囲の皆さんは彼を頼りにし切っています。彼の関係する病院、大学、研究所、財団など数多くの組織にとって、司令塔、広告塔のお役目を十二分に果たしておられます。今流行の表現を使うと先生個人の「商品価値」は計り知れないほど莫大なものだと感じました。

同時に、ちょっと心配しているのは私だけではないはずです。例えば大きな期待を寄せていて、入会のきっかけともなった自らの健康情報を、ヘルス・リサーチ・ボランティアになって提供し、老年医学、医療の発展に寄与するという新老人の会の目標B「自分を研究に」は、発足して7年経過の現在、何らの成果発表もなされていないことが気にかかります。

 当日の夕方、凄い老人パワーの熱気に当てられたまま帰宅したら、小2の孫娘一家が来ていました。彼女のエレクトーンを弾きながらの「ハッピーバースデイ ツー ユー」の歌とよく冷えたシャンパンで、ささやかながらも最高に幸せな誕生日パーティーを祝うことができました。

   (2007年11月14日)


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