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筆 者 |
石川啄木は、歌人として一般によく知られているが、彼の文学活動というのは、評論、小説、詩、など文学の全分野におよんでいるのである。中でも、「ローマ字日記」などは、国際的評価を受けていて、日記とはなっているがただの日記ではない。日記体による私小説を意図したものと私は考えている。
彼は歌人として名声を獲得したにもかかわらず、不思議なことに歌を軽視していたのである。「歌を作る日は不幸な日だ」とか第二歌集の表題になった「悲しき玩具」などと言って、真面目に歌を作ったのではなかった。彼が目指したのは小説であり、歌などはいくら作ってもそう金にはならない。
貧困に終始した生涯だったから、小説を売って金にしょうと思っていたのである。しかしその小説はそう評価されず、金になったのはごく少ない。とうてい生活できる収入にはならなかった。したがって収入がなければ質に入れるか、借金するかということになるが、質草にも限度があるのだから、それが尽きれば、借金に頼る以外にはないのである。
その借金にしても半端な額ではない。私は以前、啄木生涯の負債がどのくらいあるかを調査したことがある。それによると、総額千五百円余にもなっていた。この額は現代の貨幣価値からすれば多いようには見えないと思うが、明治という時代の貨幣価値にすれば、普通の家が一軒建つほどの金額なのである。
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「野口雨情 そして啄木」
2008・7 渓水社 |
これも彼の生涯は僅か二十六歳二月という短命であり、成人してからの十年ほどに借りた額であることを思うと、よくこれだけ借りられたものだと、感心するのだが、啄木研究者のあいだでは「借金の天才」という不名誉な称号を与えられている。
だが問題なのは、借金するについては確かに天才的であったが、こと返済については全く義務感もなければ、意志もないのである。したがって生活者としては最低の人物だといえる。彼の人生は確かに貧困と病苦に苦しめられた生涯ではあった。その点同情はするが、経済観念とか生活についての計画性が欠如していたから、生活者としては未熟な人物であったと言える。
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