啄木と三人の女性        井上 信興
 石 川 節 子 (18)
 宮下太吉の調書内容は次のようになっている。五千五百字の長文であるから、必要な部分のみ引用することにする。

 私が社会主義者ニナッタノハ明治四十一年一月頃、平民新聞ヲ見テカラデアリマスガ、其以後ハ社会主義又ハ無政府主義ニ関スル日本文ノ書物ハ殆ド読ミ尽シ最モ熱心ナル無政府主義者トナリマシタ。
  私ハ無政府共産主義デアルカラ主権者ノ存在ヲ否認シテ居リ、我国ノ元首ナル天皇ヲ倒シテ之レ亦我々普通ノ人間ト同一ニ血ノ出ルモノデアルト云フ事ヲ示サナケレバ天皇ヲ尊ブ迷信ヲ打破スル事ガ出来ナイカラ機会ガアッタラバ爆裂弾ヲ以ツテ御通行ノ際天皇陛下ヲヤツツケヨート決心シマシタ。自分独リデハ実行ガ困難デアルカラ同志ヲ作ロウと思ヒ昨年一月頃先ズ幸徳秋水に私ノ計画ヲ話シテ賛同ヲ求メマシタ所ガ幸徳ハ何トハナシニ仲間ニナル事ヲ断リ左様ノ方法モ必要デ今後ハ左様ナ事ヲ遣ル人間モ出ナケレバナラヌト云ヒマシタカラトテモ同志ニ入レル事ハ出来ヌト思ヒ更ニ森近運平ニモ話マシタ所ガ自分ニハ妻子ガアルカラ仲間ニハ入レナイト申シマシタ。

 菅野須賀子に対シ仲間ニナルヨウニ手紙で勧メテヤリマシタトコロ菅野カラハ何レ会ツテ直接ニ話ソウト云フ返事ガ来マシタ。菅野宅ニ寄リマスト新村ト古川トガ極メテ熱心デ此ノ二人ナラ遣ルダロウト云フダケノ話ガアリマシタ。菅野がコノ事ニツイテ手紙ヲ遣ツタモノト見ヘ当時紀州ノ新宮ニイタ新村カラ私ノ所へ爆裂弾ノ事ニ付イテハ何レ会ツテ話ヲスルカラ、ト云ウ手紙ガ参リマシタ。既ニ製造ノ準備モ出来マシタガ私ノ宿ニハ小野寺ト云フ巡査ガ居リ具合ガ悪イカラ新田融ニ総テノ計画ヲ話シテ同人方デ製造ニ従事シマシタ。火薬モ出来タ後、缶五個ヲ注文シ、爆薬の効力ヲ試験スル為其中ノ一個ニ爆薬ヲ入レ中ニ小石数個ヲ混ゼ大足ノ山デ十一月三日夜岩ニ投ゲ付ケテ見マシタ所ガ非常ナ音ガシ五六間離レテイタ私モ空気ノ圧迫デ倒レヨウトシマシタ。

 以上が宮下太吉から聴取した「聴取書」の自白内容の概略である。

 宮下の自白で他の人物の名を五名あげている。と言うことは、官憲にその人物を売ったということにもなり当然逮捕の対象者になるだろう。彼が天皇暗殺計画を暴露したことから、当初「爆発物取締規則」で逮捕したが、官憲は即座に「大逆罪」に切り替え、社会、無政府主義者の一斉検挙に乗り出したのである。ちなみに「大逆罪」とは、旧刑法第七十三条に「皇室に対する罪」という規定があり、「天皇、皇太后、皇后、皇太子又は皇太孫に対し危害を加へ又は加へんとしたる者は死刑に処す」ということになれば、宮下一派は死刑を免れない。

 宮下の自白から三日目の六月一日無政府主義者の大物である幸徳秋水は当時湯河原の温泉宿天野屋に投宿して執筆中であったが、その朝帰京するため人力車で駅に向かう途中で逮捕された。これを境に左翼主義者は次々に逮捕され、その数二十六名に及んだ。幸徳秋水のような指導的立場にいる主義者には官憲の尾行がついていて、その挙動はすべて監視されていたのである。宮下の自白にもあるように、幸徳秋水は宮下の計画に参加してはいなかったが、官憲はこの際左翼思想主義者を徹底的に検挙する方針であったから、直接加担していない者まで逮捕されたのである。

幸徳秋水
(写真はWikipediaより
 啄木はこの「大逆事件」に鋭敏な反応を示し、「予の思想に一大変革ありたり、これよりぼつぼつ社会主義に関する書籍雑誌を集む。」と言い、本格的に研究する考えのようだ。幸徳秋水が獄中で書いた「陳弁書」は、裁判関係者の無政府主義に対する理解を得ようとして書いたものだと思うが、彼は宮下太吉のような単純な暴力革命の徒ではなかった。「陳弁書」は一万二千字強の長文であるから、その中から内容の骨子を少し引いてみよう。

 「無政府主義の革命と言えば、すぐ短銃や爆弾で主権者を狙撃する者の如く解する者が多いのですが、それは一般に無政府主義の何たるかが解っていない為であります。」と言い、「今日の如き権力、武力で強制的に統治する制度がなくなって、道徳、仁愛を以って結合せる相互扶助。共同生活の社会を現出するのが、人類社会自然の大勢で、吾人の自由幸福を完くするのには、此大勢に従って進歩しなければならぬといふにあるのです。」

 幸徳はまた、「暗殺者の出るのは、右翼左翼に関係なくその時の特別の事情と、その人の特有の気質とがあい触れて、この行為に立ち至るのです。例えば政府が非常な圧制をやり、その為に多数の同志が言論、集会、出版の権利自由を失へるは勿論、生活の方法すらも奪はるるとか、或いは富豪が暴権を極めたる結果、哀民の飢凍悲惨の状見るに忍びざるとかいうが如きに際して、しかも到底合法平和の手段を以って之を処するの道なき時、感情熱烈なる青年が暗殺や暴挙に出るのです。これ彼等にとっては殆ど正当防衛というべきです。」

 また皇室について、「無政府主義者の革命成る時、皇室をどうするか、それはわれわれが指揮、命令すべきことではありません。皇室自ら決すべき問題です。無政府主義者は武力、権力に強制されない万人自由の社会の実現を望むのです。」

 幸徳の言う無政府主義というのは、はなはだ肌触りのいい主義のようで、その心情は私にもよく理解できるが、到底実現不可能な主義だと思う。これまで無政府主義で立国に成功した国は何処にもなかった、という事実が雄弁に物語っている。クロボトキンは動物社会の共同生活がうまく機能していることから、無政府主義を発想したというが、少数の場合はそれも可能だろう、国ということになれば、数千万から何億という集団になる。人間は動物のような単純な生き物ではない。無政府でどうしてまとめられるのであろうか。烏合の衆になるだけだ。
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井上信興先生の
啄木研究
塚本 宏
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