啄木と三人の女性        井上 信興
 芸者 小奴 (2) 
 
 小奴からの熱烈な告白に対して啄木の反応はまったく味気ないものであった。彼は小奴を可愛い女と思っていたのは事実であるが、ようするに遊びにすぎなかったのである。

 日記に「芸者といふ者に近づいて見たのも生まれて以来この釧路が始めてだ。之を思ふと、何といふ事はなく淋しい影がさす。」そろそろ啄木も芸者遊びの馬鹿らしさに気がついたようである。

 こうした遊びにのめり込んでいた間には文学書などまったく読んでいなかったから、文学に対する不安も当然あったと思う。「東京病」と言われている東京へ出て活躍したいといった考えも出て来るだろう。
当時の釧路駅夜景(反田十郎画)
筆者提供
 私が最も重要だと考えているのは借金である。釧路での負債は次のようになっている。    
  関下宿    五十円
  坪ジン   二十五円
  俣野       四円 
  景主筆      五円
  佐藤国司    十円
  本屋      十六円
  喜望楼      七円
  しゃも寅    十二円
  鹿島屋   二十二円
  某料亭      四円
  遠藤隆    十五円
  庄原       五円
  宮崎郁雨   五十円

 これを合計すると、二百二十五円という大金になるのである。とうてい尋常の手段で返済できる金額ではない。それもたった二ヶ月で使った額なのだ。普通の生活者では考えられない金額である。彼は無謀な借金はするが、返済についてはまったく考えていない男なのだ。これは並みの生活者ではない。したがって私は「借金の天才」などといった称号をあたえるよりは、「生活者としての落第生」といった称号のほうが彼には似合っていると思われる。

 こうした借金となっては、彼の常套手段であるこの借金地獄から何時抜け出そうかを、そろそろ考えていたのではないか。「ともかくも自分と釧路とは調和せぬ」とか、彼がもっとも尊敬していた函館での友人、大島流人宛の書簡で、「感情の満足なき生活には到底耐へ得べからざる事を、極度まで経験致し候ひぬ。」などと書いているが、釧路を去るときの理由としか思えない。
料亭・喜望楼 (明治40年頃)
釧路観光協会より

 それは「早晩啄木が釧路を去るべき機会が来るに違いないと言ふような気が頻りに起こる。」このように格好よくは書いているが、釧路に残っていても、これまでの生活を急にあらためるわけにもゆかず、それかといって、金はないのだから借金は増えるだけで、身動き出来なくなる状況になるのを自覚したとき、釧路を去ることは心にきめていたと思う。

 彼が釧路に来たのは一月末だったから、二ヶ月ですでにこうした心境になったのも、柄にもない芸者遊びにうつつをぬかしていたからであって、それさえなかったら、家族を呼んで可能な限り釧路で生活していたに違いない。

 来た当時七十六日というような僅かな滞在期間で釧路を出るはめになるなど、彼自身考えもしなかったであろう。これもみな彼の生活姿勢に由来することである。

 従来釧路を去る原因として「梅川事件説」が有力であった。梅川というのは釧路の病院に勤務する看護婦兼薬局助手で梅川操という女性であるが、彼女は啄木に好感を抱き、よく遊びにきていたが、啄木の好意を持てる女性ではなかった。だが研究者の中には次のような記述をする人もある。

 今泰子氏はその著「石川啄木論」で「啄木は最初から梅川の中に啄木の好みとは異質の女性を見ている。にもかかわらず極端な異質性ゆえに、啄木は逆に梅川に強い関心を抱いたようである。」と述べているが、啄木が梅川に好意を持った記述はまったくない。むしろすべて悪い印象を抱いていた記述だけである。例えば「何方かと言へば珍しいお転婆の男を男とも思はぬ程のハシャイダ女である。」とか「心の底の底には、常に淋しい、常に冷たい、誰かしら真に暖かい同情を寄せてくれる人わと常に悶えている危険な女である。」普通こうした危険なものからは遠ざかると言う態度をとるから、今井泰子氏がいうような「啄木が逆に強い関心を抱く」などというはずはありえない。またそれを証明するような記述は一切ない。これは今井氏の考えであるにすぎない。

 私がいう「危険なものから遠ざかる」と言う事実は次の場合を見ればわかる。啄木が東京へ出て三日目に市内で偶然梅川に逢った。「友人を訪ねての帰途、須田町で本郷行きの電車に乗ろうとした時、後ろから女性に声をかけられた。思わず振り向くとそれは釧路の看護婦梅川操であった。女はさる古本屋で予の『あこがれ』を買ってきて、釧路新聞に出ていた予の退社広告を見て出てきて予に逢ったと話す。」梅川は啄木の気を引くような話をしているが、啄木は乗ってはこない。「何処へと聞くと芝へと言ふ。予はわざと反対の方角をとって上野へ行くと言ふ。」ここには啄木と梅川の関係がよく出ている。

 私が前に述べた、「危険なものは避ける。」という態度が明白であろう。したがって今井泰子氏の言う「極端な異質性ゆえに、啄木は逆に梅川に強い関心をいだいたようである。」ということはありえないのである。「梅川事件」について述べると、これは梅川と新聞記者の佐藤衣川とのあいだの問題で、ある深夜のこと、梅川が窓の下から「石川さん」と声をかけてきた。入ってきた彼女の様子はただごとではなかった。「髪は乱れて目は吊って、色は蒼ざめてそのやっれようったらない。」啄木は昨夜梅川が佐藤にさそわれて外出し、彼に乱暴されたことを実感した。翌日梅川が啄木の部屋に来て「昨夜は私悪魔と戦って勝って来ました。」と報告に来たが、彼はただ不快に思っただけだった。
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井上信興先生の
啄木研究
塚本 宏
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