四国遍路170万歩の旅

−定年遍路道中記−







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5月1日(土) 「再び 霊山寺 満願」  晴

5:30宿出発…東海寺8:40…大坂峠10:20…1番霊山寺13:00着  <32.1キロ 42,860歩>

14:13坂東駅発=(高徳線)=14:36徳島駅着=(バス)=16:40徳島港発
=(南海フェリー)=18:35和歌山港着=(タクシー)
=ホテルアバローム紀の国19:10着

 朝4時に目が覚めた。覚めたら無性に早く帰りたくなった。ここから霊山寺まで30キロ強あり、峠越えを考えるとどんなに急いでも7〜8時間はかかる。
 連休に入り思ったように宿が取れず、いろいろプランを練り直し、結局今夜は和歌山市内のホテルを予約していた。
 できれば明るいうち、徳島港16時40分発のフェリーに乗りたい。

 急いで荷物をまとめそっと玄関から表に出た。ひんやりとした朝の空気の中、山々に囲まれまだ薄暗い川沿いの道を足早にくだる。引田の東海寺まで3時間で歩き8時半に着ければ、大坂峠越えの目途が立つので、下りに乗じてピッチをあげ飛ばした。車もほとんど来ないし、歩いている人もいなかった。最近は切幡寺経由が多くこの道を通る人は少ないと聞いた。
 おそらく今日は大坂峠を越えて極楽寺前の遍路道に出るまではお遍路さんに会うことはないだろう。ラストウォークは1人旅だ。
 お腹がすいた。食べてから出る予定だったので何も持っていない。光洋精工前を海に向かいサンクスでおにぎり3個と飲み物を買って河口の岸壁に座り瀬戸内を見ながら食事をした。

 義経が泊まったといわれる番外札所東海寺にお参りし、寺の横の道を南野経由で大坂峠に向かったが踏切のところで道を間違えた。大窪寺から白鳥温泉を経てくるこの道は、與田寺への分岐に道しるべがひとつあっただけで、それ以外はなかった。ここに来て四国の道の標識が出てきたが、どうやらその角度・方向を見誤ったらしい。
 国道から踏切を越えてきた道が田畑を突っ切って山に向かっていたので、このまま行けば峠に向かうと思って歩いていた。どこまで行ってもそんな様子がなく田植えの人に聞くと、踏切から線路伝いの小道を行くと大坂峠の登り口に出ると教えてくれた。

大坂峠
 大坂峠は四国の道だけあって整備された気持ちよい山道だった。義経が通った道を歩くのはこれで何回目だろうか。輝く陽光を浴びて落ち葉を踏みしめながら登ると、木々の合間に瀬戸内海や眼下には大きく蛇行しながら走る車道が見えた。
 広い道も登るに連れて狭くなり、勾配も急になってきたが、これさえ越えればと元気を出して登った。高さ380mの峠の頂は香川県と徳島県の県境でここからのくだりは徳島県になる。
 急な山道をいっきに高度をさげて高徳線の線路まで来たがここからが長かった。阿波大宮駅を過ぎ、讃岐街道をだらだらとくだるが、早く着きたいと気持ちがあせるのか、単調な道のせいか、金泉寺近くのへんろ道にでるまでがものすごく長く感じた。

 42日前に不安だらけで歩き始めたこのへんろ道に戻ったら疲れがふっとんだ。
 道筋も家並みも標識もはっきりと覚えていた。あと少しで霊山寺だ。霊山寺までの短い距離にたくさんのお遍路さんとすれ違った。これからそれぞれの願いをもって八十八ヶ所を回られるのだろう。「こんにちは!頑張って下さい!」と道中の無事安全を祈って声をかけていた。

再び 霊山寺
 13時、1番霊山寺に着いた。ここがスタートでここがゴール、そしてまた新しいスタートになる霊山寺だ。山門に一礼して万歩計をはずした。累計で170万歩、1270キロを越えていた。
境内は42日前と変わらず、大勢のお遍路さんでにぎわっていた。本尊釈迦如来とお大師さまに遍路成就をご報告、声も出なかった初日とは異なり、今日は堂々と般若心経を読経して本堂の納経所へ向かった。
 今までは日付が入らなかった納経帳に初めて日付が入れられ、「満願おめでとうございます」と戻された。88番の「結願」に対して、最初の札所への御礼参りは「満願」と呼ぶそうだ。
 3月21日に書いたノートの右側に、朱筆で5月1日の日付を書き込み、「南無大師遍照金剛」の背文字が擦り切れた白衣をたたんで、私の初めてのへんろの旅は終わった。

 坂東駅から電車に乗り徳島駅へ、路線バスで埠頭に行き16時40分の出港を待った。
フェリーが港を離れ夕暮れの中にだんだんと小さくなる眉山や四国の山並みを見ながら、歩き通すという初期の目標は達成したものの、まだ何か探し物が見つからないような物足りなさを感じ、またいつの日か四国に来ようと思っていた。
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