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4月30日(金) 41日目 「遍路大使に任命された。結願」 晴 | ||||||||||||
6:15宿出発…前山おへんろ交流サロン(7:30〜8:00)…太郎兵衛館8:55 …女体山10:00…88番大窪寺(10:40〜12:00)…白鳥町・白鳥温泉15:30着 <25.3キロ 33,833歩> |
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5時50分、青山さんと2人で朝食を食べた。生卵と海苔と佃煮・お新香といつもの定番だが卵を割ったら黄身が2つ入っていた。おかみさんは「同行二人も今日が最後、お大師さまと2人分と思い、いつも黄身の2つある卵をお出しするのです」と言ったが、その心配りに感心し、ものすごくうれしくなった。 玄関に「おはようございます」と聞き覚えのある声がした。小山さんだった。昨日青山さんと道連れになり今朝6時に一緒に出ようと隣の宿から迎えに来たのだった。 おかみさんから大きなリポビタンDとタオルをお接待いただき、彼らより少し遅れて宿を出た。四つ角を曲がる時、背中に感じたものがあり振り返ると、おかみさんがまだ両手を合わせ見送ってくれていた。 お遍路さんの気持ちになった数々の心遣いは当初こんなきたない宿と思った宿を最高の遍路宿に変え、最後のこの宿は一生の思い出になっていた。 しばらくして2人に追いついた。2人は車道を歩いて大窪寺まで行き、今日の宿は同じ白鳥温泉だった。
修験者の道といわれる女体山越えのルートは3通りあった。梅ヶ畑のバス停あたりから入る道、前山ダムの手前から入り来栖神社から行く道、もうひとつはダムを越えてから入り多和神社から行く道でいずれも太郎兵衛館で合流して女体山に到る。女体山越えをどのルートにするかまだ決めかねていた。 |
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7時半、前山おへんろ交流サロンの前に来た時、車が着いて交流サロンの人が出勤してきた。9時の開業前だが、「お茶でも飲んで行きなさい」と開けてくれた。ここはお遍路さんの無料休憩所と共にへんろに関する貴重な資料を集めた展示室が併設されていた。
女体山越えの道は、この先の「ヒルネジョウ」の矢印のある林道から入り、太郎兵衛館に出るのが一番歩きやすいと勧められた。ヒルネジョウ?は地図にも載っていないので思わずどんな字を書くのですかと聞き返したが、昼寝城は昔の古い山城址だった。 大窪寺での再会を約して林道の入り口で2人と別れ、女体山の最後の山登りに向かった。
「ここが最後」、「これを登れば結願」と声を出して自分を励まし、急勾配の岩場を鉄の手すりや木の根をつかみ、岩の窪みに足をかけて両手を使って這うようにして登った。 標高776mの標識がたつ女体山山頂から見る四国の山並みはすばらしく、はるか遠くに瀬戸内海も見えた。八丁坂や神峰寺もきつかったが、文句なしにこの女体山がNO1だ。 幸いそんなに長い距離ではない、せいぜい50mぐらいだろうか。少しでも山の経験がある人なら慎重に登れば危険なことはないが、初めての人にとっては、それはきつい最後の修行だった。ただ両手を使うのでお大師さまには申し訳ないがこの時だけは金剛杖が邪魔になる。私は昨晩、杖に登山ストックのように紐をつけ手首にかけられるようにしたが、背中に縛るようにするなど何か手が空く工夫をした方が良い。 |
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「山道はくだりほど慎重に」が鉄則だが、最後のくだりは心が弾んで飛び降りるようにくだっていた。
本堂・大師堂と般若心経を唱え、「結願」の揮毫朱印をいただく。88ヶ所を打ち終えたという達成感とか満足感はまだ湧いてこなかった。ただ41日間お世話になった金剛杖と菅笠を感謝の気持ちを込めてお納めした時、「これで終った」と寂しくなった。
歩きの人も88番を打ち終えるとほとんどの人はバスやタクシーで最寄りのJRの駅に出て高野山や帰路に向かう。 私はあと1日、霊山寺まで40キロ歩くのでまだ気を緩めるわけにはいかなかった。 心配してくれたつれあいと子どもに無事結願の電話を入れながら2人を待った。待つうちに、女体山から、県道から、数人の歩き遍路が着いた。みんなにこやかな顔で、「お疲れさま!」と掛け合う声にねぎらいと喝采の気持ちがこもっていた。 門前のお店で生姜湯をいただき、八十八庵で名物の味噌仕立ての打ち込みうどんを食べ、白鳥温泉までの坂道を下りはじめた。 88番から一番に歩いて戻るには、切幡寺経由と大坂峠経由があり、どちらも40キロ近くあり途中の境目で別れる。 引田にからの大坂峠越えが本来の遍路道と聞いていたので、この道で四国を大きく円を描いて一番に戻るつもりで、白鳥温泉に宿を取った。白鳥温泉は東かがわ市(ここも04年4月から合併)の公共の宿泊施設と研修施設をもった日帰り湯でまだ新しいきれいな建物だった。 2人は明日タクシーで引田の駅まで行きJRで各々の自宅に戻るという。明日は別れ別れになる。3人で道中談義を語り合いながらお遍路の打ち上げをした。青山さんも小山さんももう会うことはあるまい。小山さんは今日が82歳の誕生日だった。いつまでも元気で長生きしていただきたい。 「一期一会」、旅の最後をいい人と巡り会え、楽しく過ごせたことを感謝した。 |
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