四国遍路170万歩の旅

−定年遍路道中記−







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4月29日(木) 40日目 「日本史を思いだした道」  晴

6:30宿出発…84番屋島寺(8:00〜30)…85番八栗寺(10:00〜25)
…平賀源内記念館…86番志度寺(12:50〜13:20)…87番長尾寺(15:00〜20)
…長尾町・あずまや旅館15:25着  <29.3キロ 39,112歩>

84番 屋島寺
85番 八栗寺
86番 志度寺
87番 長尾寺
長尾町・あずまや旅館
 さわやかな朝風の中を朝日に向かって歩き、屋島大橋を渡りへんろ道に入った。屋島台地は標高285m、結構きつい石段だった。朝のウォーキングか、土地の人が三々五々降りてきた。坂の上には1000回登った人、500回の人など回数ごとに名前が書かれたボードが置かれていた。

屋島寺
 「84番屋島寺(やしまじ)」は澄み切った青空の中だった。緑に囲まれたお寺も趣があるが、空の広い寺も明るくて好きだ。広い境内は10人ぐらいのお遍路さんと巨大な狸が2匹いただけだった。
 屋島は2度目だが、どう見てもこのたぬきはミスマッチ、お寺の雰囲気ではない。展望台まで足を伸ばした。眼下に見える壇ノ浦の古戦場や対岸の五剣山の眺望も圧巻だが、展望台からは小豆島をはじめ瀬戸内海に浮かぶ島々が一望できそれは絶景だった。

 壇ノ浦へ下りる旧遍路道はまるでけもの道のような険しい道で急勾配の山道を約20分でころがりおりた。
真念の墓
 屋島から壇ノ浦にかけては血の池、佐藤継信の墓、安徳天皇社など源平の屋島の戦いの史跡がたくさん残っていた。その前を通って住宅街を行くと番外札所須崎寺にでた。
 この寺には源平合戦の記録が描かれ、「四国遍路指南」(1687)の著者宥弁真念の墓があった。真念の墓は昭和48年に牟礼町の墓地で発見され55年にここに移されたと記されていたが、この先、道を間違え偶然入り込んだ路地の墓地にその元の墓所を見つけた。もう何日前になるのだろうか足摺の真念庵のあの静寂さを思い出した。

 五剣山のケーブル駅を過ぎて、五剣山の中腹、210mの「85番八栗寺(やぐりじ)」までまた山道を登る。前を小柄なおばあさんが歩いていた。近くの人で、毎日八栗寺さんにのぼり森林浴をして元気にしていると、72歳にはみえない軽やかな足取りで登っていた。途中「ここは右に行く方が気持ちいいですよ」といわれ一緒に行くと大師堂の前に出た。奥の本堂の背後には五剣山が屏風のように聳え立っていた。

 長い車道をくだって親水公園の角を四国の道を行く。途中、偶然見つけた真念のお墓跡をお参りして、琴電の線路に沿って11号線から磯の香りがする海沿いの旧道を歩くと、平賀源内記念館があった。生家跡を記念館にして数々の遺品が展示されていたが、近々立派な資料館が出きると聞いた。ここで甘夏とお茶のお接待をいただいた。
84番 屋島寺
85番 八栗寺
86番 志度寺
87番 長尾寺
長尾町・あずまや旅館

 「86番志度寺(しどじ)」は推古天皇の時代に藤原不比等が開祖とあり、日本史の教科書を開いたような気がした。広い境内には重文の本堂を始め大師堂、五重塔、枯山水の庭園のある書院などの建物がならび由緒ある海女の墓などはこのお寺の歴史の古さを感じさせた。

 88ヶ所の全ての札所には、本堂と大師堂の前に寄進された小僧さんの標識があった。最初のうちは本堂と大師堂の区別がつかずこの標識が頼りだったが、一休さんのようでほほえましくとてもかわいかった。
 高徳線に沿って1本道を長尾寺に向かう。オレンジタウン駅を過ぎてへんろ道に入るが、この道にはところどころに長尾町が立てたへんろ案内の掲示板があった。長尾町(04年4月から志度町と合併してさぬき市となった)は志度寺から大窪寺までのへんろ道の整備やおへんろ交流サロンを作り、町ぐるみでお遍路さんを応援してくれていた。

長尾寺 剃髪塚
 「87番長尾寺(ながおじ)」、なぜか境内にはひとりのお遍路さんもいなかった。ここには静御前の剃髪塚があり、ここも義経と縁のある寺だった。いよいよあと1つまで来た。静かな境内のなかで本堂・大師堂と思いっきり声を出し、今更ながらだが少し自信のついた般若心経を読経した。

 あずまや旅館に入ったが大きな返事がして電話の声のイメージと同じ元気なおかみさんが出てきた。門前には宿が3軒あったが何となくこの宿にしてしまった。宿に入ってしまったと後悔した。建て増しをした建物は大きいがつぎはぎだらけで、壊れたところは補修もままならず、部屋も決してきれいだとはいえなかった。
 夕食は4人、今日八十八番を打ち終えて明日高野山に向かうという滋賀県の50歳代前半の夫婦、もうひとりは同じ17年生まれの栃木の男性(青山さん)だった。夫婦遍路はたくさんの方にお会いしたがほとんどが60歳代以上で若い夫婦は初めて、この夫婦が何故お遍路を?と思ったが聞かないのが礼儀、明るく話すこの夫婦には結願の満足感が感じられた。
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