四国遍路170万歩の旅

−定年遍路道中記−







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4月27日(火) 38日目 「あわや大惨事」  雨のち晴

6:30宿出発…78番郷照寺(7:20〜40)…79番高照院(天皇寺)(9:30〜50)
…80番国分寺(11:00〜30)…81番白峰寺(13:40〜14:20)
…坂出市・坂出簡保保養センター15:00着  <24.0キロ32,078歩>

78番 郷照寺
79番 高照院
80番 国分寺
81番 白峰寺
坂出市・坂出簡保保養センター
 小降りだった雨が宇多津の駅前から本降りになり風も出てきた。「78番郷照寺(ごうしょうじ)」はきれいな玉砂利の境内で本堂の横の階段をあがると大師堂にでた。あいにくの雨で眺望もきかず境内のワンちゃんに見送られ早々に次の札所に向かった。
 坂出は「本街道」と書かれた旧道を歩いたが、とある店のご主人は本通商店街など駅前の立派なアーケード街は、高松に近いことと大型店舗に負けて以前の活気がなくなったと言っていた。
八十場の水


 街道から車がやっと通れる細い路地に入ると「八十場(やそば)の水」に出た。ここには創業200年、江戸時代から続くところてんの清水屋がある。名物のところてんを黒蜜かけと酢醤油と2つも食べてしまった。茶店には日本武尊と八十場の水との故事が絵物語で描かれ、目の前の池には勢いよく水が流れ落ちていた。「日本武尊の時代から枯れることのない水だが、上の方に国道が出来てからにごるようになった」と話していた。「お遍路さんは380円でいいですよ」と20円まけてくれた。

白峰寺 鐘楼
 八十場の水や「79番高照院(こうしょういん)」〔天皇寺ともいう〕そして白峰寺は保元の乱に敗れ讃岐に流された崇徳上皇にかかわりのあるところだ。歩いていくと神社の裏手に出た。札所が何処かわからず、お参りにきたお年寄りに聞いて白峰宮の片隅にある本堂と大師堂に行った。赤い大きな鳥居の前からは広い参道がまっすぐに伸びて、その先にはこれから行く五色台が雨に霞んでいた。

 線路の反対側の国道に出ようと加茂川駅手前の踏切を渡った時、あわや大惨事が起きるところだった。警報機が鳴りはじめたので急いで渡リ終えた時、後ろからマイカーが突っ込んできた。寸前で遮断機が閉まり車は完全に踏切の中に立ち往生してしまった。
 電車は警笛を鳴らしながらどんどん近づいてくる。このままでは間違いなく衝突だ。真っ青な顔をして助手席から飛び出した奥さんと2人で懸命に遮断機を持ち上げて車を通し、なんとか間一髪で助かった。「お大師様のおかげ…」が頭をよぎった。先程高照院の納経所であった夫婦のお遍路さんだった。

 久し振りに11号線を歩き「80番讃岐の国の国分寺(こくぶんじ)」に着いた。参道には見事な松並木があり、大師堂には「四国八十番のお大師さまはよく願いを叶えてくださるお大師さまです」と書いた立て札がおかれていた。

崇徳天皇遥拝所
 「81番白峰寺(しろみねじ)」への山道に向かったが、雨の日は薄暗くてただでさえ気分がさえない。嵩徳上皇の怨念のこもる白峰寺のイメージと鬱蒼とした目の前の山がものすごく大きく見えて、なんとなく心細くなっていた。
 おまけに舗装道路の終わりの墓地を抜けて登山口にでる。心細い時はひとりでに足が早くなり、へんろころがしを休まず登って一本松に着いた。ここからは雨のあがったドライブウエイを行く。この辺は自衛隊の演習場になっていて、時折松林の間からその施設が見えた。前の方にお遍路さんがひとり歩いているのが見えた。

 途中から再びほの暗いへんろ道に入り、下乗石を過ぎてしばらくくだると白峰寺の山門の前に出た。ここの山門は七棟門という造りで初めて見た造りだった。山門は88ヶ所同じものはなくどこも由緒ある立派な山門だった。
 山門の写真だけを撮っていると言った真崎さん達からはやはり1日遅れになっていた。

 鐘楼で思いっきり鐘を叩きしばしその余韻に浸った。本堂と大師堂に参拝し百段近い石段をおりて嵩徳上皇の霊を祀る御廟所にお参りした。うっそうとした林に包まれた白峰御廟遥拝所には西行法師の歌碑と遺跡があった。
78番 郷照寺
79番 高照院
80番 国分寺
81番 白峰寺
坂出市・坂出簡保保養センター
 前を歩いていたのは鈴本さんでお参りを終えたご年配のお遍路さん2人と納経所の前のベンチで話をしていた。同じかんぽの宿とわかり時間が早いが4人で宿に向かった。

 しばらく行くと坂出市内や瀬戸大橋を見下ろす絶好の場所に白い建物が建っていた。展望大浴場から見た夕日に染まった瀬戸内海の空と海や、そして瀬戸大橋は、それはそれは素晴らしい眺めだった。
乾杯!
 夕食は同じテーブルに、2回目の大坂の黒木さん、81歳の旭川の小山さんと鈴本さんと私、結願を祈って「乾杯!」。
 小山さんは伊予三島の出身で戦前、親の代に北海道に入植したが、自分が兵隊にとられたのを機に三島に戻ったという。南方戦線から生き延びて帰ったが三島での生活は厳しく、再び旭川に行き今日になるといった。
 80歳を越え足腰が元気なうちに人生最後の旅に88ヶ所を、故郷の四国を歩いていると言った。話しながら幼い頃から親しみ、そして丸亀の連隊に入隊してからは毎日訓練で駆け足させられたという飯野山を懐かしそうに眺めていた。
 「皆さんとお会いし大好きなお酒が飲めて、こんな楽しい日はない。いい冥土の土産が出来ました」といつまでもうれしそうに話していた。小柄ながら北海道の大地で土に紛れて仕事をしてきた体は頑健だったが、顔の無数の皺に今までの苦労が刻み込まれていた。いいお話しを聞かせてもらった。
 無事結願されるよう、何時までも健康でいられるよう、心から願った。
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