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4月26日(月) 38日目 「こんぴら参り」 晴 | ||||||||||||||
7時宿出発…金刀比羅宮・金丸座(8:20〜10:00)…76番金倉寺(12:30〜50) …77番道隆寺(13:40〜14:05)…丸亀市・ビジネスホテルサクマ15:00着 …丸亀城16:00 <28.2キロ 37,730歩> |
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踏み切りを渡ると尽誠学園の前に出て、ここから多度津街道を歩く。今年の春の選抜は愛媛の済美高校が初出場・初優勝したが、歩いていて高校野球で名前を知っている学校が本当に多かった。 お店が軒を連ねた参道をあがり大門をくぐると、「五人百姓」が大きな傘をさして金毘羅飴を売っていた。 ここからは緑豊かな自然に抱かれた神聖な霊場の雰囲気が色濃くなり、石畳の参道の両側には無数の灯篭や玉垣が置かれ、奉納者の名前が刻まれていた。
こんぴら参りと言えば785段の石段が有名だが、大門まではタクシーで行けるが、その先の420段は今でも足でのぼる以外ない。こんぴら歌舞伎の金丸座を見て、讃岐うどんの店「こんぴらうどん」に入った。ここは境内を掃いていたおばさんが、琴平で一番うまいと薦めてくれたうどん屋で、店のお勧めのしょうゆうどんを注文した。茹であげたうどん玉にネギとけずりぶしがのっているだけの極めてシンプルなうどんで醤油をかけて食べる。醤油に出汁が入っているのだろうかこれが美味しかった。
こんぴらさんには善通寺に泊まった金山さんとマメが直って元気になった鈴本さんも来ていた。 |
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善通寺駅に戻り荷物を受け取って「76番金倉寺(こんぞうじ)」に向かった。ここには「乃木将軍妻返しの松」がある。乃木将軍にちなむ史跡は仙遊寺についで2ヶ所目だ。金倉寺の裏手から清酒金陵の工場を目指して田んぼ道を歩き、神社の脇から今度は民家の建ち並ぶ街道を歩いた。 豊原小学校の校門から小学生が4人飛び出してきて前を歩き始めた。ひとりの男の子が「おじさん何処から来たの」、「東京の世田谷だよ」、「ぼく渋谷や目黒は知っているけど…。お遍路さん 道隆寺に行くんでしょ。ぼくんち、そばだから近道教えてあげる。ついてきて」といって駆け出した。 私も遅れないように懸命に走った。「ぼくの家はここ」と指差しながら通り過ぎ、山門の見えるところまで送ってくれた。今日は2年生の家庭訪問の日で授業は4時限で終わり、これから先生が来ると言った。 正面にみえる遠くの山門あたりから望遠カメラを構えて私を撮っている人がいた。「77番道隆寺(どうりゅうじ)」に入るとお遍路は私だけで、お参りしている時もバシャバシャと撮られ、正直「撮るなら、ひと言、あいさつぐらいはしろよ」と言いたかったが、ぼくと楽しくかけっこして気分がよかったので帳消しにしてあげた。 ビジネスホテルサクマは素泊まり3700円の小さなホテルだった。入って失敗したと思ったが、名前だけで予約しているのだから当たり外れは致し方ない。
夕食を食べようと丸亀のアーケード街を歩いて町が余りにも寂れているのに驚いた。規模の大きい商店街だが半分以上はシャツターがおり、売りに出ている店舗も多かった。開いている商店も電気も一部だけしか点けず、薄暗いうら寂しい商店街だった。小さなラーメン屋を見つけ、ビールと餃子とラーメンを頼んだ。この店も帰りに寄ったパン屋でも同じことをいっていたが、丸亀市の人口は減っていないが郊外に量販店が出来てから客足は流れ、駐車場がないアーケード街はさびれる一方だと言っていた。 今日はデジカメのデスプレィの表示が突然出なくなり、いろいろいじくっているうちにこの1週間の画像が消えてしまった。2度と取れない写真だけに悔しくて残念でたまらなかった。 |
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