四国遍路170万歩の旅

−定年遍路道中記−







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4月25日(日) 36日目 「予定変更・宿のキャンセル」  晴

6:10宿出発…70番本山寺(6:45〜7:10)…71番弥谷寺(10:00〜30)
…72番曼荼羅寺(11:40〜12:00)…73番出釈迦寺(12:10〜30)
…74番甲山寺(13:10〜25)…75番善通寺(14:05〜45)
…善通寺町・魚勘旅館16:00着 <27.2キロ36,734歩>

70番 本山寺
71番 弥谷寺
72番 曼荼羅寺
73番 出釈迦寺
74番 甲山寺
75番 善通寺
善通寺町・魚勘旅館
 財田川の堤防をウォーキングの人と挨拶しながらしばらく行くと、森の中に五重の塔が見えてきた。
 「70番本山寺(もとやまじ)」は広い境内に、国宝の本堂や重要文化財の山門など鎌倉時代の建物と、本堂裏手で増改築中の庫裏や客殿、また平成の大修理をした大師堂など、古いものと新しいものが見事に調和したお寺だった。住職は「本堂の屋根の勾配と境内の馬を見ていってください」と言いながら納経帳を戻してくれた。

 車の多い国道を避けて田んぼと溜池の間の農道を歩いた。
弥谷寺
 「71番弥谷寺(いやだにじ)」の山門をくぐり、見上げるような長い石段をあがると、大きな青銅製の菩薩像が立っていた。ここからまた生い茂る樹木の中を何百段と石段をあがった岩山に大師堂があり、そこからさらに石段をあがった岩壁の前に本堂があった。岩壁に刻み込まれた石仏や苔むした墓や塔は、「死霊が行く山」にふさわしく岩屋寺以上に神秘的な気配が濃厚にただよう霊山だった。

 ここで市村さんと再会、朝から前後して歩いてきた金山さんと俳句茶屋で名物のところてんを食べた。彼は善通寺の宿坊を予約していたが、私は西行庵や捨身ヶ嶽禅定まで行くつもりで曼荼羅寺門前の門先屋を予約していた。
 茶屋の主人が西行庵は庵がポツンとあるだけで、また捨身ヶ嶽禅定は出釈迦寺の遥拝所からのお参りで充分だと言う。
 それを聞きこの時間なら15時には善通寺に着けるし、出来たら今夜は評判の善通寺の宿坊で泊まり、翌日の金刀比羅参りに時間をかけようと、急遽予定を変更することにした。

 当日のキャンセルであり、直接宿に寄って事情を話してキャンセル料を払って取り消すつもりだった。門先屋のおかみさんは「まだお昼前だし先に行ってください。飛び込みのお遍路さんもいますからキャンセル料は結構です」と言ってくれた。ありがたくお礼をいって辞し、隣の 「72番曼荼羅寺(まんだらじ)」の山門をくぐり、見事な松の前にあるベンチで今夜の宿の確保に電話を入れた。善通寺の宿坊は今日の今日は無理と断られ、いくつかかけて門前の魚勘旅館が予約出来た。

70番 本山寺
71番 弥谷寺
72番 曼荼羅寺
73番 出釈迦寺
74番 甲山寺
75番 善通寺
善通寺町・魚勘旅館
出釈迦寺
 弥谷寺から来ると、先に73番を打ち72番へ回るのが便利だと言うが、わずか10分しか違わず順番にこだわって、72番を打ってから「73番出釈迦寺(しゅつしゃかじ)」に向かった。途中西行庵と書いた小さな標識を通り過ぎ、みかん畑の中を行くと目の前に大きく我拝師山が見えてきた。二層になった出釈迦寺の山門は、上は鐘楼、下にはベンチが置かれ数人のお遍路が休んでいた。
 境内には捨て身の大師と天女の姿が描かれ我拝師山のいわれが書かれていた。捨身ヶ嶽遥拝所から奥の院を参拝して「74番甲山寺(こうやまじ)」に着いた。
 出釈迦寺も甲山寺も陽のふりそそぐこじんまりした札所で、何かあたたかい親しみを感じさせるお寺だった。このあたりの遍路道は古い道しるべがしっかりと保存されていた。

 善通寺に折れる角に大師が幼い頃遊んだと言う番外札所仙遊寺があった。ここは昔の錬兵場跡で往時の師団長乃木将軍との故事が書かれた石碑があり、読んでいるとお寺の奥さんが出てきて冷たい缶コーヒーをお接待してくれた。

善通寺
 13時40分、「75番善通寺(ぜんつうじ)」に着いたが余りにも広大で、今自分が何処にいるのかわからなかった。
 この札所はさすが大師の生誕地善通寺派の総本山だけあってスケールが違った。ここでは大師堂を御影堂、本堂を金堂と称して佐伯氏の敷地跡という広大な境内に御影堂と金堂をはじめたくさんの伽藍が建ち並び、ちょうど日曜日で観光客や団体遍路で境内は大勢の人が出ていた。駐車場横の大師うどんがおいしいと聞き、ここでうどんを食べた。

 赤門の門前にある魚勘旅館は、玄関に「16時から」と張り紙があり、町の様子を見ようと商店街に出かけた。
 にぎやかな門前町だと思っていたが、開いている店は少なく歩いている人もいない。喫茶店のママさんは「今は電車でお参りに来る人はなく、バスの団体客は宿坊か温泉のある琴平に泊まるので門前を通る人はほとんどいない」とこぼしていた。

 おじいさんとおばあさんの2人でやっているこじんまりした宿で、近くの銭湯を勧められ、入浴券・手ぬぐい・石鹸を持って宿の浴衣で下駄を鳴らしながら風呂屋に行った。久しぶりに銭湯の湯船につかると、昔父と行った蔦の湯を思い出した。見慣れた富士山がないので、番台に聞くと「関東は描くがこの辺はまずない」そうだ。
 靴の数からあと2人泊まっていたが顔を合わせることはなく、二間続きの広い部屋に運んでくれた料理をテレビを見ながら食べた。ここでは洗濯を有料でおかみさんがやってくれた。
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