四国遍路170万歩の旅

−定年遍路道中記−







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4月24日(土) 35日目 「霊気と冷気の雲辺寺」  晴  寒波襲来   

6:20宿出発…66番雲辺寺(8:30〜9:00)…67番大興寺(11:30〜12:00)
…68番神恵院・69番観音寺(14:00〜15:00)…琴弾八幡宮
…観音寺町・ビジネスホテル観音寺17:00着  <29.6キロ 39,550歩>

66番 雲辺寺
67番 大興寺
68番 神恵院
69番 観音寺
観音寺町・ビジネスホテル観音寺
 4月も終わりだというのに日本列島に寒波襲来、今日の徳島地方の最低気温は6度、最高気温が19度、北海道や盛岡は雪が降るとの予報だった。
 朝食を済ませお昼のおにぎりをお接待でいただき、おもてに出ると白地荘からの車が着いた。ご主人は宿から見える稜線を指差して、あそこの標高600mまでの山道はきついが、あとは車道を登るので大したことはないと言った。
雲辺寺
 10分ほどで高速道路をくぐるとここからけわしい山道となったが、稜線まで約70分、寒さで汗もかかずにいっきに登った。そこからだらだらと登り(それでも標高差は200mあったが)、最後の急な参道を登ると「66番雲辺寺(うんぺんじ)」に着いた。ガイドブックには登坂約3時間とあったが2時間ちょっとで着いた。

四国最高峰
 88ヶ所で1番高い札所、さすがに標高910m、しかも朝8時半の山頂は霊気と冷気がしんしんとただよい、鳥肌がたつ程寒い。本堂と大師堂に参拝し、雲辺寺のご詠歌「はるばると雲の辺の寺に来て月日を今は麓にぞ見る」と刻まれた石碑の横のベンチに坐ったが、体がだんだんと冷えて震えてきた。寒さで早々にをおりることにした。
 マメが痛くゆっくりおりたいという鈴本さんを残してくだり始め約90分かかって、みかん山が広がる車道に出た。
 里山沿いに1時間歩き、「67番大興寺(だいこうじ)」に着いた。途中「小松尾寺」と書いた標識があり道を間違えたと思ったが、正式には「小松尾山大興寺」であり、地元では小松尾寺と呼ばれていた。
 山門前の小川に小さな石橋がかかり、あたりはのどかな田園風景だった。溜池が点在する田畑を抜け、高速道路を越えると町中に入り、「さぬきうどん」の看板が見えた。迷わず店に入った。安い。ざるうどんは250円、お金を払う時に「歩きですか」と聞かれ、歩きお遍路さんには「お接待です」と100円戻してくれた。
 四国のうどん屋さんは、お遍路さんには皆こう親切なのかと思ったが、残念ながらこのお店だけだった。

66番 雲辺寺
67番 大興寺
68番 神恵院
69番 観音寺
観音寺町・ビジネスホテル観音寺
 観音寺駅前から財田川に向かう。こんもりした小山の向こう側の山麓に「68番神恵院(じんねいん)」・「69番観音寺(かんおんじ)」があった。石手寺以降はマイクロバスやジャンボタクシーの団体遍路はほとんど見かけず、どの札所も静かだった。そのかわりに60歳過ぎのひとり歩きや夫婦遍路が今まで以上に目につくようになった。
 2つの札所が同じ境内にあるこの札所には歩き遍路数人と3組の夫婦がいた。あるご夫婦は2人の子どもを亡くし勤めを終えて菩提を弔いながら歩いていると語った。

へんろ仲間
 真崎さんや宮田さんとここで別れた。彼らは4キロ先の70番迄行くが、その先私は金刀比羅さんや栗林公園などに寄るので丸1日は遅れ、大窪寺までに追いつくことは不可能だった。一足先に行った寺山さんによろしくと言付けをお願いし、またお互いの無事結願を祈って納札を交換した。

 琴弾(ことひき)八幡宮の正面大鳥居から381段の石段をあがって山頂の本殿に参拝、本殿裏から銭形があるという琴弾公園の展望台に出た。目の前には燦然と輝く瀬戸内の大海原と「寛永通宝」の砂文字が見えた。
 ビジネスホテル観音寺は本山寺に向かう途中にある1階が食堂で2階に数室の部屋がある小さなホテルだった。明朝は早出をするので目の前のコンビニでパンと牛乳を買い、残りの宿に予約を入れてこれで最終行程が確定した。
 やっとここまで来たと言う感慨とあと1週間で終わるのかと言う寂しさが交錯していた。
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