四国遍路170万歩の旅

−定年遍路道中記−







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4月23日(金)34日目 「旅は道ずれ、楽しい遍路宿」 晴

6:00宿出発…65番三角寺(10:30〜11:00)…椿堂
…池田町・民宿岡田15:00着  <32.1キロ42,891歩>

65番 三角寺
池田町・民宿岡田
 5時に起きたが寺山さんはもう出発していた。フロントに「おはようございます。ゆっくりお休みになれましたでしょうか。早朝にてお見送り失礼いたしますが、どうぞお元気で巡拝お続けくださいませ。ありがとうございました。つたの家」の手紙とおにぎりの包みが置かれ、お茶代と書いて半紙に包んだお金が添えられていた。

 今日は娘の誕生日でメールを入れてから外に出た。どんよりした生暖かい変な天気だ。曇りから晴れの予報だが何となく雨が降りそうだ。旧道を行き11号線を渡ってこのまま旧道で伊予三島まで行くが、このあたりから「へんろ」だけではなく「こんぴらさん」と書かれた古い道しるべも見かけるようになってきた。
 7時頃小さな神社の軒先を借りておにぎりを食べ、傘と雨具をすぐ出せるようにザックを入れ替えた。伊予寒川の駅を過ぎたあたりから雨が降り出し、登校中の中学生や高校生も突然の雨に自転車の速度をあげ走り去った。
つたの家


 遠くに小さく見えた大王製紙の巨大な煙突が大きくなり伊予三島市街に入った頃から空気がまずくなってきた。
 伊予三島市と川之江市等は平成の大合併でこの4月に四国中央市となり、初めての市長選挙の真っ最中でまもなく来る候補者を待ってものすごいひとだかりだった。バナナやパンを買い、何人かの人に話を聞くと製紙工場特有のにおいは風の向きによって流れ、「自分達は慣れっこになっているがやはり臭いますか」と言った。そして「四国中央市なんて ぴんときませんよね」と土地の人が言ったのがものすごくおかしかった。

 雨もあがり古めかしい民家の並ぶ旧道を歩いていくと、「ご苦労様です、どこからお見えですか」と向こうから歩いてきた主婦が話しかけてきた。「この道を歩くお遍路さんはみんないい顔をしている。自分もいつかは歩いてみたい」とこのおばさんは言った。
 この間に土居駅近くの松屋に泊まった真崎さんが同宿の西宮の人と追いつき、ここからまた一緒に歩いた。
 高速道路を越え発電所前のベンチで一息ついてから、沢蟹が這う道路を登っていく。最後の急な石段をあがり、山門に吊るされた梵鐘を鳴らして伊予の国「菩提の道場」の最後の札所「65番三角寺(さんかくじ)」に入った。
三角寺
 三角寺は境内に桜の老木のある落ち着いた感じのお寺だった。

 三角寺で寺山さんに追いついた。真崎さんも西宮の宮田さんも民宿岡田は断られ、岡田の紹介で民宿白地荘に泊まることになっていた。10キロほど離れた白地温泉で送迎車が16時に民宿岡田の前に迎えに来てくれると言う。
 真崎さんや宮田さんは歩く速度もさして違わず無駄な話しもなく、歩いていて気疲れがしない人たちだった。
 一緒といってもお互いが自分のペースで歩くので先に行こうが前になろうが気にしない。山道に強い人もいれば平地ではめっぽう早い人もいたが、誰が先に行っても離れすぎたら一休みをして皆を待ち、また一緒に歩いた。

65番 三角寺
池田町・民宿岡田
半田休憩所
 半田休憩所は木造の立派な東屋で遍路ノートが数冊置かれていた。ここでみんなで昼食を食べ始めた時、どこからか制服をきた事務員さんがお茶と飴を持ってきた。彼女は道の反対側にある脇建設と書かれた建物に入ったが、おそらくこの会社がこの休憩所を建て、ここで休むお遍路さんを事務所から見てはお茶とあめをお接待しているのだろう。意外なお接待にみんな感激してお礼を言って先を急いだ。

 番外札所常福寺(缶ジュースをお接待いただく)でお参りし、愛媛・徳島・香川3県の県境にある880mの境目トンネルを抜けると徳島県池田町となり、民宿岡田は佐野の集落の中頃、ゲートボール場の隣にあった。
 2台の洗濯機がまわり、既に何人か着いていた。誰に聞いてもどの本を読んでも五つ星のこの宿はおかみさんが亡くなってからご主人ひとりで切り盛りしていた。
 これぞ遍路宿の醍醐味、夕食は楽しかった。8人座ればいっぱいの部屋で今夜の客は7人、テーブルにはご主人の手のこもった料理が並び、ご主人の豊富な遍路四方山話を聞きながら和気藹々の食事が始まった。

 この宿は歩き遍路しか泊まることはない。明日はここから朝一番で雲辺寺に登る人ばかりだ。今日の7人は通し打ちが4人、区切り打ちが3人だったが、歩き遍路には共通の話題が山ほどあって話がいつまでも尽きなかった。楽しい仲間がいれば酒はうまい。はじめ手酌で始めた晩酌が何時しか宴会のように盛りあがっていた。
 栄屋旅館で一緒だった板橋の3回目という女性、奥の院から宝寿寺まで一緒だった横須賀の鈴本さん、三角寺から一緒の横浜の金山さん、今まで何度か顔を見たが会釈だけで今日初めて話をしたら、同じ3月21日にスタートだった名古屋の40代の市村さんと、6人のうち4人は初対面ではなかった。
 ご主人の気さくな人柄とお遍路さんへの親切なもてなしを受け、この宿に泊まれて本当によかったと思った。

 11日に松尾峠を越えてから延べ13日間の「伊予の国」の旅だった。南予の中心宇和島、宇和海に面した西予の町々、古い町並みを残した大洲や内子の町、杉と桧の山深い久万の町、四国最大の都市松山、そして交通至便な瀬戸内沿いの町々…歩いてきた遍路道はそれぞれ異なった文化や風土を持っていた。
 地形や気候の違い、京都や江戸との距離、松山、宇和島、大洲、吉田、新谷、今治、西条、小松の八藩に分かれた施政の影響なのだろうか。
 万歩計は、139万8691歩、1049キロを示していた。
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