四国遍路170万歩の旅

−定年遍路道中記−







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4月20日(火) 31日目 「お接待に心和まされる」  晴 真夏日 

6:00宿出発…54番延命寺(6:40〜55)…55番南光坊(7:40〜8:00)
…56番泰山寺(8:40〜9:00)…57番栄福寺(9:40〜55)…58番仙遊寺(10:40〜11:00)
…59番国分寺(13:00〜20)…丹原町・栄屋旅館17:00着
  <38.4キロ 51,331歩>

54番 延命寺
55番 南光坊
56番 泰山寺
57番 栄福寺
58番 仙遊寺
59番 国分寺
丹原町・栄屋旅館
 今日の宿泊地丹原町までは国分寺から約16キロ、4時間とみて国分寺を遅くても13時には出ないと17時迄に宿に着けない。今治市の6ヶ所の札所を効率的に回らねばならないので、早発ちをして「54番延命寺(えんめいじ)」に6時40分に着いた。誰もいない境内で思いっきり声を出して読経し時間を待つと、方丈からでてきたお寺さんが「どうぞ」と声をかけてくれて、7時前に次の南光坊へ向けて出発できた。

 市営霊園を突っ切って今治市街に入った。予讃線を渡りしばらく行くと玄関前を掃いている主婦がいたので南光坊への道を尋ねた。「この先の信号を渡り、その先の十字路を右に.…」と親切に教えてくれた後、「ちょっと待っててください」と奥へ引っ込み半紙に包んだものを「お接待です」といって手渡された。道を聞いただけのご縁なのに…申し訳ない、ありがたくちょうだいした。

南光坊
 「55番南光坊(なんこうぼう)」は広場のような境内で、その中に本堂・薬師堂・金刀比羅宮が建ち並び、道路を挟んで反対側に大師堂や山門があった。境内のベンチではお年寄りが楽しそうにおしゃべりしていた。
 泰山寺へは今治駅をまっすぐ西に行くが駅近くにくると高校生がたくさんいた。
この地区には明徳高、精華高、今治北高、今治南高、今治西高の5つの高校が集まっていて、遍路道にある今治西高の正門にはちょうど登校時間で先生がふたり生徒を迎えていた。

 「56番泰山寺(たいさんじ)」は田んぼの中の高い石垣塀に囲まれたお寺だった。田んぼを抜け、蒼社川を渡って里山の麓から「57番栄福寺(えいふくじ)」への登りに入った。 栄福寺をお参りして「58番仙遊寺(せんゆうじ)」に向かう道は、犬塚池のまわりは土がやさしく気持ちのよい山道だったが、その先舗装道路はもう一息という最後の登りがしんどかった。
 ふうふうして登った59番との分岐で、降りてきたお遍路さんから「お昼を用意してありますか?。よかったらお弁当を」と声をかけられた。聞けば栄福寺でお弁当をお接待いただいたが、自分はコンビニで用意してきたので「おすそわけを」とのことだった。お接待のお接待を遠慮なくいただいた。

 仙人が遊ぶ寺は標高300mの頂上にあり今治市内から瀬戸内海とすばらしい眺めだった。ここは納経所が本堂の中にあったが、まさか本堂の中とは思わず境内中を探してしまった。

 ところどころに遍路石が残る街道を歩き予讃線を少し越えると頓田川にでた。川沿いに小さな公園がありそのベンチで先客お遍路がひとり、お弁当を食べていた。あとわずか、私も木陰のベンチに座り、いただいた山菜弁当とバナナを食べた。

国分寺
 「59番伊予の国・国分寺(こくぶんじ)」の門前に「タオルの里 五苦楽館」という店があり、大勢のおばさんの声がにぎやかに聞こえていた。13時をまわり、急がなければと山門から出てきたところをこの店のお兄さんから呼び止められた。
 「歩き遍路さんにアイスクリンをお接待しています」とアイスクリンを渡され、「この時間なら今日のお泊まりは栄屋さんですね」と言って、196号線との合流地点と世田薬師への入り方を間違えないようにと念をおされた。
 御礼を言うと「大丈夫、団体さんからはきちんといただきますから」と笑っていた。今日は今迄で一番の暑さで(東京は27度、福岡は31度だった)冷たいアイスは本当にありがたかった。

54番 延命寺
55番 南光坊
56番 泰山寺
57番 栄福寺
58番 仙遊寺
59番 国分寺
丹原町・栄屋旅館
 桜井漆器会館のところで国道を横断して遍路道に入るつもりが、折角注意してくれたにもかかわらず、その先の道の駅まで来てしまった。
 四車線の大きな国道は、信号以外は危なくて横断は不可能だった。しかも信号の間隔はかなり距離があるので、タイミング良く渡らないと行き過ぎてしまう。今更戻るのはしゃくなので地図をみたら、この先のカフェレストランを右に入って線路と高速道路を越せば、同じ道に出ることがわかった。
 出た道をちょうど歩いてきた養護学校の集団と番外札所世田薬師までのゆるやかな坂道を歩いていった。ここから先は途中の曲がり角さえ間違えなければ、そんなわかりにくい道ではない。

 ふたたび予讃線を越えると、遠くに西日本最高峰の石鎚山系の山々がかすんで見えてきた。気の遠くなるようなはるか彼方だが、ここも石鎚山の北側中腹にある横峰寺を打つには1歩1歩進むしかない。
 遮るものの無い広々とした田んぼの中の、遠く屏風のように立ちはだかる山の麓に、丹原町の町並みが見えてきた。
 59番を打ち終えたあと電車で小松まで行き60番を打つ人も多く、また車道は小松からしか入れないので丹原町には歩きに徹したお遍路しか来ない。そのためかこの町には宿は2軒しかなかった。

 コンビニで明日のパンを買ってトボトボと歩き、ようやく福田病院の看板が見えた頃、前から来た車が停まり男の人が降りてきた。「自分も歩いたので、歩いているお遍路さんを見ると…。冷たいものでも飲んでください」とお年玉袋を差し出した。お年玉袋にはやっと字を書き始めたくらいの年頃か、「おへんろさんへ、なつきよい」とたどたどしい字で書かれていた。

丹原町・栄屋旅館
 栄屋旅館へは川を渡った先の二又に案内板があり、「60番へは右に、旅館は左にまっすぐ2つ目の信号を左に」にと書かれていた。小さく栄屋旅館と看板のでたこじんまりした旅館で今夜の泊まりは男4人と女3人、全員が中高年のひとり歩きだった。3度目の女性、2回目の男性を中心に、ほぼ同世代ということもあって手酌で一杯飲みながら遍路談義に花が咲き、遍路宿らしい楽しいひとときを過ごした。

 この宿は身軽に山登りができるようにとご主人が不要な荷物を小松の伊藤精肉店まで車で運んでくれた。おかみさんは洗濯をしてくれた。こんな親切さが遍路の心をうち評判が広がっていくのだろうと思った。
 明日はしゃぶしゃぶの夕食で評判の旅館を予約していたが、偶然にもその肉屋さんの経営する旅館だった。22日は土居町の蔦廼屋(つたのや)に決め、24日の観音寺はビジネスホテルを予約した。
 今日いただいたお接待の包みには1000円と150円が入っていた。今回、現金でいただいたお接待は、帰りに高野山の御廟にお納めするつもりでいた。
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