四国遍路170万歩の旅

−定年遍路道中記−







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4月19日(月) 30日目 「土砂降りの瀬戸内を歩く」  大雨

6:30宿出発…52番太山寺(7:15〜40)…53番円明寺(8:10〜30)…養護院
…鎌大師…遍照院…大西町・ビジネスホテル来島17:00着  <39.2キロ 52,333歩>

52番 太山寺
53番 円明寺
大西町・ビジネスホテル来島
 6時半に宿をでた。一の門を左に曲がると立派な山門にでた。普通は山門をくぐれば本堂はすぐだが「52番太山寺(たいさんじ)」はここからが遠かった。かなりの急坂を約350m登った山の上、杉の古木がうっそうと茂った薄暗い中に本堂・大師堂があった。

 拡幅工事中の県道を歩いて「53番円明寺(えんみょうじ)」に着いた。
ご本尊御影札
雨の日は濡れないようにと細心の注意を払っているが、参拝で頭を下げた拍子に菅傘から雨が滴り落ち、ろうそくや線香が点かなかったり、経本を濡らすことが度々あった。
 次の札所今治の延命寺までは約35キロ。今日は大西町泊まりなので参拝用具をビニール袋に包んで土砂降りの雨の中を歩き始めた。堀江町から大西町までは太平洋側同様、山と海の間の狭い空間をJR予讃線と国道195号線が走っていた。
 水しぶきをあげて車が走るバイパスを避けて旧道のあるところは旧道を歩いたが、ここは旧道も車の往来が激しく、また歩道があったり、なかったりで、こんなに歩きにくい道路はなかった。
 今年はアテネオリンピック、北条市に入るとあちこちに「祝!土佐礼子オリンピック出場」の垂れ幕がさがっていた。
 土佐は土佐ではなく伊予の出身だった。瀬戸内海の静かな海と島並みを楽しみにして来たが、この雨で残念ながら何も見えなかった。反対側の歩道を逆打ちのお遍路さんが歩いてきたが車が多くて渡れず杖をあげて挨拶をした。

52番 太山寺
53番 円明寺
大西町・ビジネスホテル来島
 「花へんろ」の看板がかかる街角を曲がると番外札所養護院に着いた。円明寺から3時間、休み無しで歩いてきたので軒先を借りてカレーパンを1つお腹に入れてから、番外札所鎌大師へ向かう旧道を歩いた。雨が降りしきる中、鎌大師でお参りしていると、住職が「お茶を飲んでいきませんか」と声をかけてくれた。
 「人生は路上に有り」、「花いちもんめ」で有名な尼庵主さんは、今は老人ホームに居られると伺った。

雨の完全武装
 浅海までは鎌大師の先から小さな山を越えるが、山は一面のみかん畑でついこの間まで小夏を食べていたのに何時の間にか花が咲いていた。晴れていれば瀬戸内海が見渡せる最高の眺めの山越えだ。
 岬の突端に「海賊うどん」の看板がでていた。濡れて悪かったがどんなうどんか食べたくなった。肉、天ぷら、油揚げ、なると、わかめなどいろいろな戦利品が入ったあたたかいつけ麺だった。

 14時半、雨があがり番外札所遍照院まで来ると一休みしていた夫婦遍路に追いついた。石手寺以来だったが、私より1日あとの3月22日に出発して、長い距離のところは乗り物に助けを借りて歩いてきたと言った。歩幅が違う二人三脚は大変だと思うが、仲むつまじく歩いているのはすてきな光景だった。

 瓦屋が軒を連ねた菊間町を過ぎて星の浦海浜公園まできた。ここまでトイレが無くつらかった。今までと比べて今日歩いた街道は街道筋に公園やベンチやトイレがなく、「お遍路さんどうぞ」だけでうれしいのだが、甘えるわけではないが街道沿いのお店や会社にはその辺の心遣いが感じられなかった。スーパーで食料を調達して196号線沿いのホテルに向かった。
 ビジネスホテル来島はホテルと云っても畳敷きの民宿で国道沿いのドライブインと兼営だった。途中の寄り道が多く他のお遍路さんと行程がずれるのか今日もこの宿は私ひとりだった。
 ひとりのお陰で濡れた衣類を誰にも気兼ねせずに時間をかけて洗濯・乾燥できた。こういう時は普段なかなか出来ないズボンや下着まで全部洗濯してしまうことにしていた。濡れた靴をドライヤーで乾かした。
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