四国遍路170万歩の旅

−定年遍路道中記−







会員のページ はじめに 阿波の国 土佐の国 伊予の国 讃岐の国 おわりに ミニガイド 資料
4月21日(水) 32日目 「大先輩に追いつく」  快晴

6:10宿出発…60番横峰寺(9:30〜10:00)…奥の院(12:00〜30)
…61番香園寺(13:00〜30)…62番宝寿寺(14:00〜20)
…小松町・ビジネス旅館小松15:30着  <23.6キロ 31,551歩>

 今日も快晴、松山地方は26度を越え夏日の予報だった。女性3人と男性1人は5時に早発ちして5時半の朝食は3人だけだった。横峰寺は焼山寺のように山道を長時間登るという先入観があったが、宿の主人が言うには舗装した道をかなり奥まで登り、急登な山道は最後のところだけらしい。静岡の定年お遍路さんはコンビニに寄るというので一足先に登山口を目指して歩き出した。まだ寝静まっている街道を歩き石鎚橋まで来ると前方の山並みがくっきりと見え、石鎚山の山頂の社(?)が朝日に輝いていた。
石鎚山


 前の方にお遍路さんの後ろ姿が見えザックに札がゆれていた。ザックの後ろに名札を付けて歩くのは寺山さんに違いない。小さく見えた姿が少しずつ大きくなり3日振りに追いついた。「温泉に入ってもう帰ったと思ったよ。よく追いついたな」と言われ、また並んで横峰寺に向かった。昨夜は栄屋旅館が満室で手前のビジハウスイン国安に泊まり5時に出たという。聞くと明後日の宿は蔦廼屋でまた一緒だった。そして23日は民宿岡田に満室で断られたといった。相部屋でもとお願いしたら、民宿岡田のご主人が相部屋となる相手の人の了解を取って欲しいと言われたという。

 この話を聞いて今まで宿の予約をする時に「相部屋でも結構ですから」と安直に言っていたが、考えてみれば自分の都合だけで相手のことを考えていないことに気がついた。
 早めに予約し自分だけの時間と空間を確保したところに、知り合いならともかく、あとから見ず知らずの他人が来ては迷惑がるのが当たり前、これからは安易に相部屋を求めないよう早めに宿の確保を心がけようと反省した。

 静岡の人も追いつき、湯浪から坂道を登って舗装道路の終点にある東屋まで来た。旅館から2時間10分、ここからが本格的な山道になるので、山頂で会うことにして、それぞれのペースで登り始めた。標高差450mだけあってかなりの急登の連続だったが、思ったより距離がなく70分で着いてしまった。

 毎年夏の山開きに石鎚山に登る白装束の姿がテレビに映し出される。古来からの山岳信仰の霊峰石鎚山の中腹、標高750mにある「60番横峰寺(よこみねじ)」は、修行の霊場らしい重厚な雰囲気が漂い、歴史の重みを秘めた石畳が朝日に輝いていた。くだりは分岐から奥の院までおりた。延々2時間休みのない急坂の連続だったが、尾根道には山つつじがちょうど満開できれいに咲いていた。12時に奥の院に着き、静岡の人(清水三保の方で真崎さん)と軒先を借りておにぎり食べてから香園寺に向かった。

香園寺
 「61番香園寺(こうおんじ)」は巨大なコンクリートの建築物で、モダン?な建物は余りにもまわりの景観や八十八ヶ所の他の札所と違いすぎ、まるで戦後の新興宗教の大聖堂のようだった。
 聖徳太子縁の由緒ある寺・香蘭寺は、素材はコンクリートでも日本の文化を継承した自然と調和した構造物であって欲しかった。

伊藤精肉店で荷物を受け取り宝寿寺に向かった。「62番宝寿寺(ほうじゅじ)」は予讃線伊予小松駅の近く国道沿いにあるこじんまりしたお寺だった。国道11号線は松山以来だが、ここからこの国道を遍路道に出たり入ったりしながら高松を経て徳島市に行くことになる。今日の予定はもったいないがここまでだった。
 山越えはアクシデントも考えて時間を多めにとるがいつも順調に来て時間が余ることが多かった。まだ14時だから63番・64番を打って西条市まで十分行ける距離と時間であり、昨夜丹原に泊まった人たちはみんな石鎚温泉か西条市内に宿を取っていた。

 ビジネス旅館小松は、昼間は肉屋が連絡先で誰もいない。荷物を取りにいった時に部屋番号や風呂や洗濯機の使い方を聞いていたので勝手にあがりこみ、風呂に入り洗濯機を回した。18時からの夕食は満席だった。
大きい土鍋が1人づつ置かれ、皿にはこれが1人前かと思うくらいたっぷりと肉と野菜がのっていた。牛肉の刺身や小鉢も豊富にあってさすが肉屋さんの経営、夕食のしゃぶしゃぶは評判どおり豪華な食事だった。
前のページ 次のページ

会員のページ はじめに 阿波の国 土佐の国 伊予の国 讃岐の国 おわりに ミニガイド 資料