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4月18日(日) 29日目 「松山市内で寄り道をする」 快晴 | ||||||||||||||
6:40宿出発…48番西林寺(7:30〜50)…49番浄土寺(8:30〜50) …50番繁多寺(9:15〜30)…51番石手寺(10:20〜40)…道後温泉本館11:05 …松山城13:00…秋山兄弟銅像 …梅津寺町・ビジネス旅館水郷16:00着 < 27.2キロ 36,376歩> |
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露店が並ぶ参道を抜け国宝の仁王門から広い境内に入ると日曜日のせいか観光客でいっぱいだった。 「51番石手寺(いしでじ)」の名前の由来は先刻ご承知の話だが、浄瑠璃寺近くには衛門三郎の生まれた屋敷跡や子どもの八塚があるとされ、また焼山寺の麓が亡くなった場所とされるなど、四国全体が衛門三郎の因果応報と結びついてお遍路が形成され、この大師伝説があたかも史実であるかのような錯覚さえ起こさせる。
ただ、誰もが大師伝説を「伝説」と知りながら、「お大師様のお陰で」という言葉で表されるように素直に容認していること自体が1200年の時空を超えた弘法大師の魅力のすごさだった。 道後温泉本館の前で寺山さんと別れた。半日以上も先に行くのでもう追いつくことはあるまいと「お元気で」と別れの挨拶をした。道後温泉本館は2度目で今回も神の湯と霊の湯を楽しみ、大広間で浴衣姿でおせんべいとお茶をいただきくつろいだ。温泉は温泉だから気持ちがいい。白骨温泉や養鶏場の話ではないが見ていなければ何をやってもいいと言う風潮は何時頃から日本に蔓延したのだろうか。このところ新聞を開けば横領、着服、空出帳、公私混同、隠蔽、組織ぐるみ、内部告発の活字が出ない日はない。 お遍路に出て初めて「十善戒」を知った。遍路をする上で守らなくてはならない10の戒律だが、昨今の「コンプライアンス」の横文字以前に、わが国にも人の道を説くこんな的を射た教えがあるとは知らなかった。 |
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いわく、 一、不殺生(フセツショウ)…殺生することなかれ 二、不偸盗(フチュウトウ)…盗むなかれ 三、不邪淫(フジャイン)……邪淫をすることなかれ 四、不妄語(フモウゴ)………偽りをいうことなかれ 五、不綺語(フキゴ)…………虚飾の言葉をいうことなかれ 六、不悪口(フアック)………悪口をいうことなかれ 七、不両舌(フリョウゼツ)…二枚舌をつかうことなかれ 八、不慳貪(フケンドン)……貪ることなかれ 九、不瞋恚(フシンニ)………怒ることなかれ 十、不邪見(フジャケン)……よこしまな考えをおこすなかれ
さくらはもうすっかり葉桜になっていた。石垣の間を何度か曲がり、二の丸から天守閣に登ってから、くだりは搦手門から本町4丁目に下りた。この裏側の木々の生い茂る道は観光客で賑わう正面とは異なり通る人もなく、孫の手をひいたおじいさんが登ってきただけだった。 本町6丁目から437号線を太山寺に向かったが、伊予鉄の梅津寺駅近くに秋山兄弟の銅像があると聞き、今夜の宿は三津浜港に取っていた。三津浜の人もみんな親切だった。今日は太山寺に行かずに秋山兄弟の銅像に行くのだが、自転車で追いかけてきて「太山寺はこちらの道ですよ」と教えてくれた中年の女性、少し行くとまた同じことを言われ、梅津寺に行くと言ったら近道を教えてくれた洗車中の男性、その近道を歩いていたら、また「太山寺への道が違いますよ」と車を停めて教えてくれた家族づれの若い男性…こんな善意を今日もたくさんいただいた。 雲行きがあやしくなってきた。スーパーで食料を買い込んだついでに少なくなったビニール袋を何枚か調達した。
司馬氏の小説「坂の上の雲」は2007年のNHKの正月の大河ドラマに決まり、丘の上では「坂の上の雲展」が開かれていた。 旅館は私ひとりだったので翌朝早くそっと出ますからと会計を済ませた。明日は今日遊んだ分をとりもどす長丁場だ。終日雨の予報だったが20時過ぎにはもう降り出してきた。 |
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