四国遍路170万歩の旅

−定年遍路道中記−







会員のページ はじめに 阿波の国 土佐の国 伊予の国 讃岐の国 おわりに ミニガイド 資料
4月17日(土) 28日目 「ATMでお金がおろせない」  快晴

7:20宿出発…千本峠…仰西…三坂峠11:40…網掛石…46番浄瑠璃寺(15:00〜20)
…47番八坂寺(15:30〜50)…浄瑠璃町・長珍屋16:00着  <27.4キロ 36,606歩>  

46番 浄瑠璃寺
47番 八坂寺
浄瑠璃町・長珍屋
 朝風呂に入った。寺山さんはもう大宝寺に着いた頃だろうか。44番を打ってから33号線をいくはずだが、道順も違い時間差も大きく今日は宿まで追いつくのは無理だろう。京都の大先輩お遍路、寺山さんは朝が早かった。自分は足が遅いので同じように歩くには5時には出ないと言いながら、もっと早く出ているのだろう。3回目ともなると自分のペースがわかっていて、午前中の涼しい時にたくさん歩いて夕方は誰よりも早めに宿に入っていた。
 人は背中から老けるというが、お遍路をしている老人は皆背中がしゃんとしていた。

 余程の脚力の相違があったり、行程を大きくはずしたり、早出や夜遅くまで歩いて半日以上の差が出ない限り、宿泊地はほぼ同じ場所になる。翌朝6時半〜7時には街道筋で「おはよう」と顔を会わせ、途中の札所や休憩所で「こんにちは」だった。先に歩いても30分休憩すれば2〜3キロの距離はすぐ追いつくし、追いつかれた。
 1日のうちでも休憩や食事や通った道により、先に行った人が後ろから来たり、後ろにいた人が札所に先に着いていたり「おゃ」と思うことはしょっちゅうで、それがまた楽しかった。

山また山
 8時25分、住吉神社の先を道しるべに従い、標高740mの千本峠への山道を登り、一旦車道に出て、また山道をくだると仰西(こうさい)に出た。途中、間伐をしている初老の人が「久万高原は戦後に植林した杉や檜が大きく育ってきたが、人手不足で下草刈りや枝打ちや間伐の手が間に合わない」し、「安い輸入材におされて厳しい」。と言っていた。
 日本の緑は、今や手を加えなければ保存できない時代になっていた。

 ここから標高710mの三坂峠まではこの33号線を峠まで登って行く。1台のワゴン車が目の前で停まり男の人が降りてきて、突然、「あなたは真言宗の信者ですか」と聞かれた。何のことかと思っていると「その姿で歩いているのは信者に間違いない。云々から始まり、挙句の果てに真言宗は邪教で国を滅ぼす。日蓮正宗こそが正しい宗教で…」とまくしたてた。
 車には数人の女性がいたが、遍路姿を捕まえてはいつもこんなことをしているのだろうか。無性に不愉快で腹が立った。仏教では日蓮系が特にセクトが強いと聞くが、イスラムやキリスト教の1部も同じだが、原理主義に固まった極端な宗教は協調性がなく好まない。

46番 浄瑠璃寺
47番 八坂寺
浄瑠璃町・長珍屋
 坂の上のドライブインを楽しみにしてきたが、新トンネルの工事とここを通る車が少なくなって廃業したと聞きがっくり。ここからは山道なので麓まで食事はお預け、口に入るのはポケットのチェルシーだけになった。
 峠からは新緑の山々のはるか彼方に松山市街がかすんで見えた。水仙や菜の花や椿の咲いている頃に歩き始め、チューリップやあやめも終わり、今は芝桜やつつじが満開の季節になった。栗の木や柿の木も新芽を吹き、緑濃かった山々も萌黄色に輝いてきた。秋の紅葉もすてきだが新緑の山も好きだ。木漏れ日がまぶしい山道を坂本屋までいっきにくだるとそこから農道になった。

 麓のうどん屋でお腹を満腹にしてからすぐ近くの久谷郵便局に駆けつけた。この2日間山の中を歩いたのでお金がおろせずに、財布の中身は1万円しかなく、今日おろさなければ明日の宿代が払えなくなる。
 ところがATMのドアが何度押しても開かない。よく見たら局のシャツターも閉まっていた。曜日の観念がすっかりなくなっていたが今日は土曜日、ATMは午前中までで月曜日までおろせなくなった。
 最悪の事態になったが、どじな私こんなこともあろうかと、別会計で特別にしまっておいた「へそくり2万円」でピンチを切り抜けた。(靴の中敷の下にビニールに包みしまっていた)

浄瑠璃寺
 「46番浄瑠璃寺(じょうるりじ)」は、美人のおかみさんの笑顔のせいか、親しみの持てる感じのいい札所だった。
 大師堂の前には赤いちゃんちゃんこの坐像の仏様が安置され、境内にある仏足石には団体のお遍路さんが入れ替わり足を乗せていた。
 時間があり明日行く予定の八坂寺まで足を伸ばした。途中の農家の門前に「お遍路さんご自由にお食べ下さい」と甘夏がたくさん置いてあり遠慮なく2つご馳走になった。

 「47番八坂寺(やさかじ)」は緩やかな坂を登った高台にあった。ここでは7〜8人の講の団体とぶつかったがさすが信者の読経はすごい。バスツアーの団体は経本を見ながらの読経が多かったが、講の団体は全て暗記していて大勢で朗々と読み上げる般若心経は迫力さえ感じられた。

 長珍屋は浄瑠璃寺の門前にあるお遍路御用達の大きな宿でそのもてなしは遍路の間では評判だった。夕食時は4組ほどの団体客と個人客もたくさんいて60人ぐらいの人数だったが、てきぱきした応対が気持ちよく料理もおいしかった。
ちょうど季節の竹の子が「たくさん召し上がれ」とテーブルに山盛りにおかれてあった。寺山さんはやはり先に着いていた。

前のページ 次のページ

会員のページ はじめに 阿波の国 土佐の国 伊予の国 讃岐の国 おわりに ミニガイド 資料