四国遍路170万歩の旅

−定年遍路道中記−







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4月16日(金) 27日目 「ここは四国の山奥だった」  快晴

6:20宿出発=車=落合トンネル…下坂場峠7:30…鴇田峠9:10
…44番大宝寺(10:50〜11:20)…八丁坂…45番岩屋寺(14:20〜50)
…久万町・国民宿舎古岩屋荘15:40着  <29.3キロ 39,102歩>

44番 大宝寺
45番 岩屋寺
久万町・国民宿舎古岩屋荘
 5時のニュースで解放された3人の人質が映し出され、またジャーナリスト2名が拉致されたと報道されていた。管理人さんが朝飯代わりにとまだあたたかいゆで卵を3つお接待してくれ、すぐに車をだしてくれた。あっという間に落合トンネルに着き「お元気で、ご無事で満願を」との笑顔に送られ、42号線の坂道を登りはじめた。

 いよいよ山が深くなる。杉と桧の山が両側から迫ってきた。約4キロ、標高差200m、約70分歩いた地点から山に入り、峠に向かう山道を登って570m下坂場峠にでた。ここで昨日買ったパンとゆで卵で朝食をとり、しばらく車道を歩いてからいよいよ標高800m鴇田峠へのけわしい山道に入った。軽い冷気がさわやかで心地よい。木々の間から朝日が差し込み草木の緑が心地よく映える。風がそよぎ尾根道の上には流れる雲が見えた。

 昨夜は思いっきり涙してしまった。あの宿のあたたかいお接待に人のやさしさを感じ父や母を思い起こしたのだろう。
ひわた峠
 数多の人が何かを求めて通ったこの険しい鴇田峠を歯を食いしばって登った。何も急ぐことはない。疲れたら休めばいい。なにか無性に楽しくなってきた。

 番外札所於久万大師の前から久万公園を右に入り大宝寺の参道を登った。参道の左手に「へんろの店」の看板のお店があり、おばさんがきんかん茶を接待してくれた。のどが渇いていて甘く冷たいお茶は本当においしかった。外ではおじさんが「熊谷草」の手入れに余念がなかった。
 「44番大宝寺(だいほうじ)」は、樹齢何百年という大杉に囲まれ、昼なお暗い坂道から見あげた荘厳な山門と、「老杉しんしんとして霧がふかい」と記した種田山頭火の句碑と、「岩屋寺参拝の後にうちに来るのは順序が逆だ」とぶつぶつ言いながら、道を聞いても早口でそっけなかった納経所のおくさんが印象に残っている。
44番 大宝寺
45番 岩屋寺
久万町・国民宿舎古岩屋荘

岩屋寺
 「45番岩屋寺(いわやじ)」は八丁坂から尾根づたいに行く山道を選んだ。山裾のへんろ道に入って八丁坂の下に出た。左に行けば古岩屋荘はすぐだが、ここから標高760mの尾根まで八丁坂を登る。
 かなりの急登だが約30分程で尾根道の分岐に着いた。ここには偶然にも槙谷経由で登ってきた京都の大先輩が休んでいた。夜には会えるがまさかここで会うとは思わなかった。
 リスが何匹もこずえの間を走り、心地よい春風が吹く快適な尾根道をまた前後しながら歩く。40分ほど歩いて岩屋寺の背後の山から下りていくと、そそりたつ大きな岩の狭い裂け目に鎖場が見えそばには赤い不動明王が立っていた。ここがお大師さまの行場、逼割禅定(せりわりぜんじょう)で2つの岩は胎蔵界峰と金剛界峰だと教えてくれた。

 薄暗いへんろ道の両側には行き倒れの人のお墓だろうか、いくつもの苔むしたお墓が立っていた。
 
苔むした墓
四国は「死国」とも言われ、不治の病やなにかの事情で家にいられなくなった人が死に場所を求めて死ぬまで回ったというが、そんな哀れな遍路のお墓がへんろ道沿いにはいたるところにあった。

 岩屋寺の本堂の上に大きくせり出した巨大な岩壁は、写真で見るよりもずっと迫力があり、聞きしに勝る景観だった。
 山上の本堂から下の売店まで、幟がはためき石仏が祀られた250段もの階段をくだる。下からお年よりが息をきらせながら登ってきたが、ここと弥谷寺が駐車場からの階段が長くきつく、車で回るお遍路さんにとっても大変な難所のようだった。

 街道沿いは廃屋が目立ち、「平家の供養塔」と書かれた石碑が建っていた。ここはまぎれもなく四国の山奥だった。
 古岩屋荘は岩屋寺に近く、名勝古岩屋(ふるいわや)を臨む絶好のポジションと天然温泉とでお遍路さんが宿泊予定に必ず入れる宿で、この日もバスやジャンボやマイカーのお遍路さんでいっぱいだった。
 今日は朝早くから大きな峠を2つ越え、心地よい汗を流してきた。岩風呂で思いっきり足を伸ばした。

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