四国遍路170万歩の旅

−定年遍路道中記−







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4月14日(水) 25日目 「宿がとれない、野宿か?」  雨のち晴

6:50宿出発…卯之町の町並み…大洲散策(11:45〜12:50)…十夜ヶ橋
…内子座16:00…内子町・新町荘本店17:00着  <33.2キロ  44,374歩>

 明石寺から大宝寺までは70キロと距離が長く、大洲と内子に寄るので3日間の行程を組んだ。15日は内子の新町荘本店を確保したが、そのあとの行程を決めかねていた。
 当初の計画は内子から突合(つきあわせ)を右に折れ、新真弓トンネルを出たところのいとう旅館に泊まり、伊予落合から久万町(くま)に入る予定だった。
 10日にいとう旅館に電話を入れたら、家内が病気で休業していると断られ、手前の小田町泊に変更し380号線で行くか、突合を左に379号線で落合トンネルまで行き、42号線から本来の遍路道である鴇田(ひわた)峠を越えて久万町に出るか決めかねていた。
 新しいガイドブックには、広田村や大瀬集落の宿が追加されていたので、ここらに泊まり鴇田峠を越えようと、広田村のえびすや旅館とたちばな旅館に電話を入れた。4日前だしどちらかは予約できるつもりでいたが両方とも満室で断られた。あせったがまだ11日だし、間際には相部屋で1名ぐらいなんとかなるだろうと思いつつ、一方では大瀬の宿が取れたら14日を内子泊から大瀬集落泊まりにして、翌日は早発ちして2日行程にしようとも考えていた。

 大瀬の宿に11日から毎日、朝昼晩と電話するが誰も出なかった。両旅館に今夕もう一度かけて駄目ならば、善根宿の千人大師堂にお世話になるか、最悪野宿でもやむをえないと腹を決めた。
 今まで順調に宿が取れたので忘れていたが、先輩お遍路が「宿が便利なところほど早めに押さえろ」と言っていたのを思い出した。(後で聞いた話だが、この地区は大規模な道路工事をやっていて両宿は工事関係者で満室だった。)

 
松屋旅館
朝食はおかみさんが松屋のいわれを語りながらお給仕をしてくれた。この旅館は元々は庄屋だったが、江戸時代に旅館をはじめ今日まで240年程経つ古い旅館だった。
 幕末から昭和初期にかけては若槻礼次郎など著名人が大勢泊まり、江戸時代に建てられた部屋の長押には犬養毅や尾崎行雄の書が額に飾られていた。
 司馬氏の「街道をゆく」の14巻「南伊予・西土佐の道」にこの宿に泊まり、土地の人たちと懇談したことが書かれていた。彼の小説は「竜馬が行く」、「坂の上の雲」、「菜の花の沖」、「花神」、「空海の風景」、そして「梼原街道」、「阿波紀行」等々四国を舞台にした作品が多く、彼の描く時代の先駆者を生んだ四国の自然と風土とその歴史の跡は出来る限り歩きたかった。

 おかみさんに見送られ、雨の中を白壁・格子戸など古びたたたずまいの家並みの中を国道に出た。今日は途中いくつかの旧道や遍路道に入りながら国道を内子まで行く。標高470mの鳥坂峠は「遍路道が自然味豊かだ」と書かれていたが、雨のため残念ながら鳥坂随道1100mを歩いた。トンネルを抜けると30m先が見えない濃霧でこれが山道だったらとぞっとした。

 
郷土料理 旬
トンネルをこえて大洲の街に入った。肱川橋手前のガソリンスタンドでイラストマップをもらい、古い土蔵や町家があるおはなはん通りに向かった。NHKの朝ドラ第1回の「おはなはん」は昭和41年放映で入社した年だ。
 大洲神社から臥龍山荘までのいくつかの路地「明治の家並み」は、レトロの残照を留めた風情のある道だった。雨もあがり臥龍山荘まで散策の足を伸ばした。肱川臥龍淵に臨む広大な敷地に自然を取り入れた庭園と名工による建築物が調和した趣のある山荘だった。
 おはなはん通りの民家の門前に「郷土料理 旬」という看板が出ていたので中に入った。民家の座敷を客席にした食事処で、今日の献立“牛肉とさつまじる”−味付けした伊予牛と味噌だしをかけたごはん(デザート.珈琲付)−を頼んだ。静かで落ち着いた感じの店だった。

 肱川から見あげた大洲城は秋までの天守閣復元工事で覆いがすっぽり被されていた。肱川橋を渡り、大洲営業所から出てきた数人の営業員に“合併その後”の様子を聞いて、国道をまっすぐ番外札所十夜ヶ橋永徳寺に向かった。
 ここは公認で、橋の下に休まれる大師様の傍で野宿が出来るそうだ。なお十夜ヶ橋は大洲インターが近いため車が多く、信号以外の横断は危険であり、手前の信号で渡るようにした方が良い。

十夜ヶ橋
 線路の手前から遍路道は左に折れ山の麓道を2.5キロ歩いて内子に出た。雨はあがったが空はどんよりしてあたりは物音一つしない。何となくひとりが心細くなってきた。先輩の詠んだ「人恋し、人煩わし、人想う」の句が急に頭に浮かんだ。
 人間は勝手なものだ、普段はうるさいと思う鈴の音がこういう心境では頼もしくこころ強く感じる。

 内子で再度電話を入れたが大瀬の館はやはり出ない。えびすや・たちばな両旅館も満室でがっかりしたら、たちばな旅館の人が「お困りなら少し遠いが、若しかしたら「ケンシュウの宿」が泊めてくれるかもしれません。お電話してみたら如何ですか」と教えてくれた。
 「ケンシュウの宿」?、どんな施設かわからないが藁をもすがる気持ちで電話番号を聞きすぐ電話した。

 年配の男性がでて事情を話したら、「お遍路さんがお困りでしたら…わかりました。ぜひお泊まりください。ただし明日は他には宿泊者がいませんので食事は作りません。内子で用意してきて下さい」と言ってくれた。助かった。これで野宿しないで済むし、鴇田峠越えで行ける。ありがたかった。
 ただ、宿はたつみや旅館から379号線を約10キロ北に行った神の森公園の中にあると言う。10キロは約2時間強として往復で20キロ、4時間半を遍路道からそれて余計に歩くことになった。明日は距離が短く時間の余裕はあるが、明後日はかなりの早出をしなければ古岩屋まで行けない。

 そんな気持ちが伝わったのか、管理人は車で内子まで迎えに来てくれて、翌朝は峠の下まで送ると言ってくれた。
 乗り物には一切乗らないと決めていたので、ここだけが痛恨のきわみだが、この車のお接待はありがたくいただくことにした。ただ、車に乗る距離が最短になる地点、落合トンネルまで歩き、そこに明日16時に迎えに来てもらい、翌朝はここまで送ってもらって歩きを再開することにした。これで16日以降の行程を組みなおせる。
 
内子座
この数日間のいらいらは雲散霧消し、閉館時間の迫る内子座に飛び込んだ。内子座は江戸時代の歌舞伎小屋を思いださせる風情のある建物だった。今は浄瑠璃や文楽だけで歌舞伎は上演することはないと言っていた。

 新町荘本店は1階が料理屋で泊まり客は私だけだった。洗濯機や風呂を独占してのんびり使い食事までに16日の国民宿舎古岩屋荘、17日の長珍屋に電話をした。どちらも評判のよい宿で予約できてほっとした。
 横峰寺前の栄屋旅館、雲辺寺麓の民宿岡田は他に宿がなく、宿泊人数も少ないのでかなり前から予約しないと取れない。この2つの宿は歩き遍路には評判の宿で是が非でも泊まりたかったし、歩くにはここを押さえないと予定が大幅に狂う。
 日にちが確定しなければ予約出来ないのであせっていたが、これでやっとこれから10日間の予定を固めることができた。
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