会員のページ | はじめに | 阿波の国 | 土佐の国 | 伊予の国 | 讃岐の国 | おわりに | ミニガイド | 資料 |
4月13日(火) 24日目 「チューリップ街道」 曇のち雨 | |||||||||||||||
8:00ホテル出発…宇和島城…和霊神社…41番龍光寺(11:45〜12:05) …42番仏木寺(13:10〜35)…歯長峠…43番明石寺(16:00〜30) …宇和町・松屋旅館17:00着 <29.7キロ 39.704歩> |
|||||||||||||||
|
大きな石の鳥居と太鼓橋を通って石段をあがると、きれいに掃き清められた玉砂利の奥に緑の杜を背景に荘厳な雰囲気の社殿があった。この和霊神社は四国では金刀比羅さんの次に大きい神社だった。 北宇和島駅で海沿いに走る国道と分かれて、予土線の線路沿いの県道をキョロキョロしながら歩いた。キョロキョロというのは、実はお城の石段をおりた時、時計のバンドを留める金具が抜け落ちて腕時計を落としてしまった。 小さな金具は今度はいくら探しても見つからず、適当な太さの針金があれば代用できるので針金を探しながら歩いていたのだ。(看板を止めていた針金を少しいただきました)
おやじさんが「42番さんはここから右へ右へと行けばいいから」と教えてくれたが、店を出たところにある四国の道の標識は仏木寺は左を指していた。一瞬戸惑った後ろ姿を見ていたのか、店から出てきたおやじさんが「右で大丈夫だから」と声をかけてくれた。左からでも行けたらしいがこの方が近いようだった。 |
||||||||||||||
|
札所はどこも静かな落ち着いたたたずまいだ。いくつかの観光名所の仏閣を除けば団体バスやジャンボタクシーがいなければいつも数人のお遍路さんに会うだけで、団体客は来てもお参りと納経が済めばすぐ次へと移動してまた静けさを取り戻す。 静かな農村にある「42番仏木寺(ぶつもくじ)」も3人のお遍路さんがベンチで休んでいるだけの静かなお寺だった。 仏木寺の前の県道はチューリップが赤・白・黄色と咲き乱れていた。コンクリートのわずかな割れ目に咲くスミレの花も可憐でかわいいが、道路沿いに延々と続くお花畑もそれは見事だった。 秋はコスモス街道になると言う。花壇には手入れをするクラスや町会や老人会の名前が書かれた立て札が置かれていた。 県道から山道を歯長峠に向かったが、雲行きが怪しくなってきたので、標高480mの峠はトンネルを行くことにした。 このトンネルは真っ暗でしかも車が1台通れるだけの幅しかなく車がきたら玉子型の壁にぴたりとつかないと危なかった。幸い車が来なかったが、今までで一番怖いトンネルだった。 トンネルを出たら雨が降ってきたので山道を急いで歯長地蔵までくだった。ここまでくればあとは川沿いのフラットな道を約1時間も歩けば「43番明石寺(めいせきじ)」に着くはずだ。 下校時間とぶつかり、すれ違う小・中学生や高校生がみんな「こんにちは」とあいさつをしてくれた。朝の「おはよう」は元気がでるが、この一言は疲れを吹き飛ばし、宇和町(04年4月から西予市)がいっぺんに好きになった。 参道がわからず宇和高の前でかわいい女子高生に声をかけ、参道への遍路道を教えてもらった。 この札所も樹木の生い茂る鬱蒼とした山の中のお寺だった。納経所で「雨で足許が滑るから遠回りでも山道でないほうが」と言われたが、幸い小降りになってきたので本堂裏から本来の遍路道を宇和の中心卯之町までくだった。 宇和町は明石寺の門前町として、宇和島街道の宿場町として、そして近郷の商業の町として栄えてきた町である。その文化を残す卯之町の町並みの中程に、重厚な白壁の中2階と格子戸の古風なたたずまいの老舗旅館松屋があった。 広間には私より早く着いたという男のお遍路さんとあとは2人づれの3組のお膳が用意されていた。 |
||||||||||||||
前のページ | 次のページ | ||||||||||||||
|
会員のページ | はじめに | 阿波の国 | 土佐の国 | 伊予の国 | 讃岐の国 | おわりに | ミニガイド | 資料 |