四国遍路170万歩の旅

−定年遍路道中記−







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4月12日(月) 23日目 「若い人を見かけない」  晴

6:45宿出発…柏局9:00…鳥越峠…鴨田12:00…祝森15:00
…宇和島市・宇和島リージェントホテル17:00着  <37.5キロ  50,001歩>

宇和島市・宇和島リージェントホテル
 次の札所龍光寺までは約48キロ、今日は札所もなく、宇和島まで峠を2つ越えかなりの距離があるがひたすら歩くだけ、ただ今日も予想気温は23度、暑くなりそうだ。御荘町でも小学生や中学生から元気な「おはようございます」をたくさんもらった。

鳥越峠
 旧道から国道に出て内海まで行く。ここから鳥越峠に入り、だらだらの坂道を小1時間かけて登ったが、途中で草むらがゴソゴソと動き、ニョロニョロがちらっと見えた。まむしは目が見えず振動で感じるという。この日から山道は意識して杖をどんどんと突きながら歩くことにした。

 標高460mの峠には「松の並木の柏坂幾度涙で越えたらや」をはじめ、いくつかの野口雨情の句碑が立ち、木々の切れ目からきれいな海が見えた。
野口雨情の句碑

 高知県から愛媛県にくると柑橘類も文旦、小夏から、伊予柑、愛媛みかんに変わった。もう一つ愛媛県に入って感じたことに「四国の道」が遍路道とかなり違うことだった。
 東海自然歩道などと同様の趣旨で制定された四国の道は、史跡や景勝地が盛り込まれ四国全体を周遊していた。四国の道と遍路道とはかなりの部分で重複していたが全く同じではない。四国の道と保存協力会の道しるべと2つあったならば、迷わず赤い道しるべを選ぶのが間違いなかった。

宇和島市・宇和島リージェントホテル
 坂をくだると一面のみかん畑で、みかん農家のおばさんが「うちのみかん、食べてってください」とみかんをいただいた。この農家も後継ぎはいないと言っていたが、歩いて感じたことに町も村も若い人を見かけることがなく、50〜60歳代の夫婦やおじいちゃん・おばあちゃんばかりで、過疎の進み具合に驚くことが多かった。
 先日発表された総務省(04年3月の人口調査)の人口増加率の調査では、首都圏、名古屋、関西の3大都市圏は流入人口で増えているが、33道県で人口が減り地域格差が一段と目立ってきたとあった。四国四県とも人口減だが減少率のワースト10の中に、6位徳島、7位高知、10位愛媛が入っていた。

 ガイドブックに「柏から大門まで所要時間約3時間」とあったが、順調に来てその先の鴨田まで歩けた。
 旧道が「静閑で自然豊かである」とあったが、先を急ぎたく、全長1710mの松尾トンネルを行くことにした。ダンプの親父さんが「お遍路さん トンネルだけでも乗っていけよ」と勧めてくれたが、ていねいに断ると、「気をつけていけよ」とトンネルに走り去った。
 このトンネルは歩きやすい歩道だったが、騒音と風圧と排気ガスと砂埃に耐えた21分だった。

 旧道から城下町特有の入り組んだ道を、お城を目指して歩き、お堀端のホテルに着いた。
 宇和島藩伊達10万石の城下町は、藩祖秀宗以降度々歴史に登場し、江戸末期には蘭学が栄え、村田蔵六を描いた小説「花神」の舞台になったところだ。日課を終え食事処を探そうと外に出ると、お堀端の角にお好み屋の暖簾が見えた。
 気さくな親父さんとおかみさんから宇和島の移り変わりを聞きながら、ビールとミックスお好み焼きを注文し夕食をとった。新道が出来て便利になったが、宇和島は素通りされますます寂れてきたと言う。昔10万人いた人口は、今は5〜6万人だそうだ。
 明日はゆっくり起きても大丈夫だ。16日の宿を頼もうと大瀬の館に朝昼晩と電話を入れるが何故か全然電話が通じない。
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