四国遍路170万歩の旅

−定年遍路道中記−







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4月10日(土) 21日目 「すてきな村と残念な一夜」  晴 

6:40宿出発…三原村天満宮10:35…39番延光寺(14:10〜35)…平田町・民宿嶋屋15:00着  <31.5キロ 42,030歩>

39番 延光寺
平田町・民宿嶋屋
 下の加江川の橋を渡り、今朝は右に折れた。この三叉路に立つ石の道標には、1つ目は元来た道を指し「岩本寺 初崎下田経由62.2粁、四万十大橋経由62.7粁」、2つ目は左を指して「金剛福寺 土佐清水経由27.6粁、窪津経由24.0粁」、3つ目は右を指して「延光寺 真念庵経由31.3粁、三原経由31.1粁」と彫られていた。
 時折うぐいすの声が聞こえるだけの静かな道をゆるやかに登って行く。ここでもさくらが満開だった。

 民家が建ち並ぶ坂道に、「おへんろさん休憩所」と書いた丸木造りの休憩所があった。疲れたときの休憩所は砂漠のオアシスだ。国道には峠や海岸の景勝地にベンチが置かれ、要所要所にはトイレの付いた休憩所があった。
 
三原村休憩所
ここに来るまでにもたくさんの休憩所があった。多くは土地の市町村や警察や協同組合などや地元の篤志家が善意で作った休憩所であり、「お遍路さんお茶をどうぞ」と入り口にかいてある郵便局や「お遍路さんお休みください」と札のさがった商店もあった。

 「がんばんなさいよ」といって畑仕事の手をとめたおじいさん、自転車で追いかけてきたおばあさんは「お遍路さん、あそこに遍路休憩所があるから休んでいきなさい」と指差してくれた。前から来たスクーターのおばさんは右手をあげて「ご苦労様。気をつけて」と走り去り、すれ違う車からは運転席から頭をさげてくれた。
 この遍路道を包むあたたかさはここに住む人たちの人柄を感じさせ、歩く疲れを吹き飛ばす心地よさを持っていた。村をあげてお遍路さんを後押ししてくれるそんなあたたかさを感じる三原村だった。

 今日は暑い、朝22度になると言ったがもっとあるだろう。うまく日陰が見つからず畦道に坐ってお昼にした。地べたに座ると、最近の若者が座り込んでものを食べたり、また電車の中で化粧する光景を思い出した。これらに限らず若者の公共の場でのマナーの欠如は、誰でもがこれで良いとは思っていないが叱らない。叱れなかった。
 幼い頃、親から朝のあいさつや箸の持ち方、「いただきます」、「ごちそうさま」まで厳しくしつけられ、ご飯粒をひとつでも残したら「お百姓さんが汗水かいて作ったものを」とおこられた。
 マナー遵守は、親が、教師が、大人が責任を持って人が生きる心得として教えなければならない大切なことだ。時代の移り変わりがあるとはいえ、親の代とは違って戦後世代の我々は、何故子どもを厳しく叱れなかったのだろうか、自分自身に自信がなかったのだろうか。

39番 延光寺
平田町・民宿嶋屋
 石工店を右に入り、「修行の道場」最後の札所「39番延光寺(えんこうじ)」は梵鐘を背負った赤亀が迎えてくれた。
延光寺

 あらためて地図をみると高知県は広かった。甲浦から室戸岬・桂浜・足摺岬を経て宿毛の延光寺まで、土佐湾沿いに延々419.7キロ、延べ13日間の旅、どちらかと言えば単調な車道歩きが多かったが、その分は太平洋の雄大な風景が補ってくれた。今日で21日目、徳島・高知の2県が終わり、日数も距離も約半分が終わった。

 楽しかった高知の最後の夜は残念な一夜になってしまった。快調すぎて予定よりずい分早く延光寺に着き、この先どこも行くところがなく、まだ15時だったが、まっすぐ民宿嶋屋に行った。
 「今日は大勢の団体があるので」と玄関前の部屋に案内された。お風呂に入り部屋に戻ったらおばあさんが夕食の膳を運んできた。「エ!もう食事?」と聞くと、「今日は毎年くる大切な団体さんで忙しいので」と置いていった。
 いくらなんでもまだ15時半だしお腹もすいていない。見たらへらも醤油もなく吸い物もお椀だけで中身がない。すぐ持ってくるかと思ったらあにはからんやその気配はなかった。
 そのうち団体が着き玄関先や各部屋が騒然となってきた。玄関番の息子(といっても50歳過ぎだが)に声をかけるが、「申し訳ありません。すぐに」と返事はするが音沙汰なし。しびれをきらして台所に声をかけると、ここも「今すぐ」だけの生返事。17時をまわり団体の食事が始まってから醤油やへらをお持ちいただいたが、もうあきらめておかずはつまんでいた。へらがなく食べなかったご飯をおにぎりして欲しいと頼んだが、20時になってもおにぎりも来ないしお膳も下げに来なかった。

 翌朝も閉口した。団体は5時朝食で6時出発らしく、4時過ぎから玄関先は大きな声で騒々しくとても寝ていられなかった。朝食も何時来るかわからず、腹を立てるより早く出て歩いた方がずっと気分がよいので、食べずに出た。
 大事な団体が全てだった今日のこの宿では、たった1人の個人のお遍路は完全に無視されてしまった。
 普段はこんな対応ではないと信じ、たまたま運が悪かったとあきらめた。
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