四国遍路170万歩の旅

−定年遍路道中記−







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4月3日(土) 14日目 「歩き通せる自信がついた」  快晴

6:35宿出発…34番種間寺(7:55〜8:15)…35番清滝寺(10:20〜45)
…36番青龍寺(14:50〜15:10)…奥の院…宇佐町・三陽荘16:10着 
  <28.8キロ 38,367歩>
34番 種間寺
35番 清滝寺
36番 青龍寺
宇佐町・三陽荘
 

  天気予報は晴で20度、歩くには最高のコンデションだ。「34番種間寺(たねまじ)」で宿にいた2人づれに追いついた。今日の宿は同じ三陽荘とわかり話しながら青龍寺に向かったが、この2人とはこれから1週間、足摺岬の金剛福寺まで道中を伴にすることになる。
 横浜の青山さんは昭和17年生まれで私と同じ、数年前に脳梗塞をしたがすっかりよくなり定年・還暦を機にお遍路に出たという。1日25キロのペースで無理をせず50日かけて打つ予定だった。連れの国府津の小宮さんは会社の同僚で64歳、彼は宇和島までとのことだった。

 次の札所清滝寺へは仁淀川を渡る。大きなゆったりと流れる仁淀川の堤防にワゴン車が停まっていて中から老人が顔を出した。魔法瓶にお茶を詰めここで歩き遍路さんにお茶をお接待していると言った。
 会話はいつも「どちらからお見えですか?」から始まる。若い頃東京にいった話から仁淀川の釣り談義に移り、老人の話はいつまでも終わりそうもなく、お茶のお代わりを潮に失礼した。

 国道は高知までは55号線だが、高知からは56号線と名前が変わる。仁淀川を渡ってからの国道は最近拡幅されたのか地図とすっかり様子が変わっていて、清滝寺に右に折れる標識がわからなかった。
清滝寺

 「四国の道」の標識を見つけ、そこから畦道のへんろ道に入る。急な石段を登りきると「35番清滝寺(きよたきじ)」の本堂の前に出て、大きな薬師如来像が出迎えてくれた。

 塚地坂トンネルの手前に立派なトイレと休憩所があり、ここを右に山道をいくと塚地峠を越える本来の遍路道だった。、我々、高年3人組は迷わずトンネルを歩いた。トンネルを抜けた先には波静かな海が広がっていた。

34番 種間寺
35番 清滝寺
36番 青龍寺
宇佐町・三陽荘
 宇井大橋を渡り、途中の今夜の宿三陽荘にザックを預け、弘法大師が唐・長安で修行した寺の名をつけた「36番青龍寺(しょうりゅうじ)」への道に入った。青龍寺にいたる山裾の曲がりくねった道には苔むした石仏やお地蔵さんが並び、神秘的な雰囲気を醸し出していた。本堂にあがる長い石段の途中にある滝では若い僧が水に打たれ修行していた。
青龍寺の修行僧

 青龍寺では奥の院まで行きたかった。2人は疲れたと先に宿に帰ってしまい、1人では心細く躊躇していた時に、偶然参拝を終えたあの尼僧がおりて来た。
 宍喰温泉以来だった。思わず「元気!」と言いながら、奥の院への参拝をお願いした。奥の院は断崖絶壁の森の中にあり、ここは石畳から履物を脱いでお参りするしきたりだった。尼僧は正座して長いこと読経していた。その間、信仰心のないにわか遍路の私は、風に流れてくる彼女の読経に聞き惚れながら絶壁からのすばらしい眺めを堪能していた。

 三陽荘は遍路宿としては値段も張るが設備の整った大きなホテルだった。食事処には団体が賑やかに食事をしていたが、我々3人も「泡般若湯」をいただいて今日の疲れをとった。
 ここから岩本寺に向かうには眺望抜群の横浪スカイラインを通って中浦まで出る道と、浦の内湾沿いの23号線を行く道の2通りあった。スカイラインも魅力だが高知屋のおかみさんはアップダウンが多く歩くには向かないと言っていた。どちらにするかまだ迷っていた。

 歩き始めて2週間、風邪も引かず、お腹もこわさず、体調はすこぶる良好、小指や足裏のマメはほぼ固まり痛みもなく足の不安はなくなってきた。
 山道や国道やトンネルの歩き方、行程の組み方や宿の予約、札所の作法、そして「食べて寝て出す」1日の生活のリズムが軌道にのり、1200キロの遍路道を最後まで歩き通せる自信が湧いてきた。
 今までは早く次の札所へ、早く宿へと、歩いていてもなんとなく時間に追われ余裕がなかったが、急にもっとのんびりと自然を楽しみながら歩きたくなってきた。

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