四国遍路170万歩の旅

−定年遍路道中記−







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4月2日(金) 13日目 「気配りおかみの遍路宿」  快晴

8:45会館出発…はりまや橋…31番竹林寺(10:50〜11:15)
…32番禅師峰寺(12:50〜13:10)…桂浜15:30…33番雪渓寺(16:40〜17:00)
…高知市長浜・民宿高知屋17:00着  <28.8キロ  38,367歩>

31番 竹林寺
32番 禅師峰寺
33番 雪渓寺
高知市長浜・民宿高知屋
 

 昨日は遅くまで飲み、起きたのは7時を過ぎていた。出る前に5日の宿を佐賀温泉に予約し、逆算で4日を中土佐町の久礼に決め福屋旅館を予約した。

 市内は遍路道から外れているのでお遍路姿は見かけなかった。朝の出勤時間にぶつかり、地味な背広と窮屈なネクタイのサラリーマンが会社に急いでいた。会社生活を終えたのがついこの間なのに、随分前のような気がした。
 良くも悪しくも典型的な日本企業の大きな組織の中で、まじめに一生懸命勤めあげた37年余だった。
 61歳で定年退職を迎え、健康で働けた丈夫なからだを生んでくれた両親と、いつも自分を支えてくれたつれあいと子どもに、そして思い起こせば照る日曇る日いろいろあったが、いい会社に勤め、いい上司や仲間とめぐり会えたことを心から感謝した。

 今は明日の仕事もわずらわしいお付き合いもない、何にも縛られない全くの自由の時間だ。結願までと、生まれて初めて髯を伸ばすことにした。「板垣死すとも自由は死せず」、「自由は土佐の山間より出ず」の板垣退助・後藤象二郎生誕地、立志社跡を見学して赤い欄干のはりま屋橋に着いた。はりま屋橋商店街で土佐の文旦を自宅と親戚に送った。店のおばさんから持ちきれないくらいの朝もぎトマトをもらった。

 青柳橋を渡り、五台山公園から「31番竹林寺(ちくりんじ)」に行く。石段から見上げる五重の塔と満開のさくらは絵のようにきれいだった。山門からの石段を対馬さんがあがってきた。焼山寺以来10日振りだが、どう考えても彼女の足でこんな早く来られるはずがない。聞くと長い距離のところはマイカーのお遍路に乗せてもらったとのことだった。
竹林寺

 歩き遍路といっても全行程を歩きではなく、長い距離や不便な個所は車に同乗したり、交通機関を利用する人も多かった。平等寺からJR牟岐線の新野駅に出て日和佐駅で下車して薬王寺に参拝、再びJRで甲浦駅まで行き、そこからバスで室戸岬最御崎寺まで行ってまた歩き始める、といった歩き方は年配のお遍路の1人旅や高齢のご夫婦に多かった。

 また「歩き」の定義として、途中で乗り物に乗っても、再びその場所に戻って歩き出せば、歩きは中断されず継続したものとみなすらしい。宿の立地からきた当世流の解釈だろうが、乗り物がない時代は歩くしかないのだから私は頑固に歩くことに決めていた。もっとも浦戸湾や四万十川は橋のない昔は渡し舟で渡るのが本来の遍路道だが。

 五台山から山道をくだり、小学校のところから下田川を東に向かった。この街道の途中に武市半平太の住居跡があった。往時のままの建物に今でも人が住んでいて、断って中を見せていただいたが、飼い犬が吠え止まず早々に出てしまった。犬といえば一度だけ鎖の繋がれていない犬2匹に追いかけられた。思わず杖を持ち替えたが正直怖かった。

 
31番 竹林寺
32番 禅師峰寺
33番 雪渓寺
高知市長浜・民宿高知屋
 「32番禅師峰寺(ぜんじぶじ)」も小高い丘の上で、展望台からは土佐湾とたくさんのビニールハウスが見えた。
 高知県に入るとビニールハウスが本当に多かった。茄子やトマトの野菜類やゆりや蘭などの花卉類をはじめたくさんの植物が、温かいビニールハウスの中で季節を越えて作られていた。

 国道からひとつ山側の静かな道を歩き、大高坂ドライブインから14号線に出た。この道は高知空港から桂浜を通って土佐市まで走る交通量のものすごい幹線道路だった。そこに架かる浦戸大橋は長さ1480m、橋の高さは50m、道路の路肩には60cmぐらいの歩道が申し訳なさそうについていた。車が来る度に体を横にしながら狭い歩道をあがったが、橋の上からの眺望は
竜馬と再会
、浦戸湾から外洋まで見渡たせるすばらしい景色だった。ただ、桂浜に寄らないならば渡し舟を利用した方が身体は楽だし風情があったかもしれない。6年ぶりに竜馬像に会い、アイスクリンを食べて観光客で賑わう桂浜をあとに雪渓寺へ急いだ。

 地図を見ると来た道に戻らずに、入り江から川沿いに行く道が近そうだった。桂浜の売店のおばさんに道を確認して歩き出したが、トンネルを出て住宅街に出てからがわからなくなった。
 何人かに道を聞くが、教えてくれる人の近道が人それぞれ違って、行きつ戻りつして、結果的には遠回りで避けた道路に出てしまった。遍路道から外れたら遍路マークはないとわかりながらまた失敗してしまった。「33番雪渓寺(せっけいじ)」は渡し場からきた方がわかりやすかった。

 納経所は17時までなので急いでお参りして門前の高知屋に飛び込んだ。おかみさんは部屋に案内しながら「洗濯物を出しなさい。洗っておきますから」といわれ遠慮なく下着までお願いしてしまった。
 小指のマメがまだ完全に固まりきらずジクジクして痛い。足首とふくらはぎと太ももの筋肉痛は慢性的になり歩くには何の不便も感じないが、和式のトイレはつかまらないと立ちあがれなかった。
 今日はじめて気がついたが、右の足首にポツンとひとつ発疹が出来ていた。

 夕食はマイカーのご老人、バイクの60歳代中頃の男性、女性が1人と桂浜ですれちがった男性の2人の6人だった。
 カツオのたたきには玉葱がたっぷりのっていた。ちょうどシーズンたけなわ、高知に入りカツオのたたきも何回も食べたが、こんなにこんもりと玉葱がのっているのは初めてだった。
 おかみさんは「高知では家庭毎に味が違うのですよ。私のタレは甘めなのです。このお野菜も全部自家製ですよ」と言いながら最後までテーブルに座りご飯を盛りながら話に加わっていた。おかみさんが遍路客と一緒になって四方山話をするのはこの宿が初めてだった。

 階段がきしみ年代を感じさせる遍路宿だったが、そのもてなしのこころは充分に伝わり、いい宿にめぐり会えてうれしかった。部屋の壁に山陽新聞に掲載された「気配りおかみに感激」と書かれたこの宿の記事が貼ってあったがまさにそのとおりの宿だった。
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