四国遍路170万歩の旅

−定年遍路道中記−







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4月1日(木) 12日目 「めがねのレンズが落ちた」 晴のち曇

7:00宿出発…28番大日寺(9:45〜10:00)…29番国分寺(12:10〜40)
…30番善楽寺(15:00〜30)…メガネ屋…高知城
…高知市内・高知共済会館18:00着  <39.0キロ 52,080歩> 

28番 大日寺
29番 国分寺
30番 善楽寺
高知市内・高知共済会館
 

 港に降りる近道、宿の前の山道をくだった。朝食は7時だが今朝はお遍路さんが多く6時半に早めてくれた。
 札所や宿を出るときはわかっていても道順は確認した方が良い。地元の人しか知らない近道があるし、勘違いや思い込みで方角を間違えることがある。と言いながら今日は厄日でまた3回も道に迷い、また初めての予定変更・宿のキャセルを余儀なくされてしまった。
 七尾さんは玄関で待っていたが、私が遅れ一足先に出てしまった。急な山道を下り手結港から海水浴場を通って国道にでた。
 ここで素直にガイドブックのとおり国道を行けば良かったのだが、余りにも朝の海岸がさわやかで気持ちよく、堤防の遊歩道をのんびりと歩くことにした。
 しばらく歩き、もうそろそろと国道に出て大日寺に向かったが、目標にした赤岡町役場にどこまで行っても着かない。食堂で聞くと、ここは県道で国道はもっと東の方だと言う。地図をよく見ない自分が悪いのだが、高知へ行く国道は海岸線を行くものと思い込んでいた。

 間違えた県道14号線からようやく国道に戻ったが、なかなか大日寺に着かない。この日はなにを勘違いしたのか地図の縮尺を、はなから読み違え、大した距離ではないと思い込んでいた。もう着いていいはずなのに着かない、着かないのであせった。
 店先で日向ぼっこをしているおばあさんに聞くと、「1時間前にひとりお遍路さんが行きましたよ」と言われた。七尾さんと出たときは5分も違わなかったはずだが、もう1時間以上も先を行っていた。またあせった。

 やっと本来のルートに戻り、国道と分かれて22号線に入ると朝海風荘にいた2人連れのお遍路さんと出会った。海岸線をきて私と同じような間違いをしたようだった。狭い道路を一列になり歩いて、また道を間違えた。
 地図では途中で右折して龍馬記念館の前を通って大日寺へ出る。その右折する角を見落とさないように来たのだが何時まで行ってもない。どう考えてもおかしい。ガソリンスタンドがあったので道を尋ねた。
 やはりかなり来すぎていた。このキグナス石油北店の事務員さんはお手製の略図でお寺までの道を親切に教えてくれた。私だけでなく結構間違えてここまで来るお遍路が多く略図を作成したと言っていた。

大日寺
 ここで30分以上はロスしたので、お参りもそこそこに「28番大日寺(だいにちじ)」をあとに土佐の国・国分寺に向かった。ここから次の国分寺までは地図で見る限り人家はなさそうだった。 
 今度は間違えないようにと納経所で道順を確認すると、大日寺お手製の略図をいただいたが、この略図は歩く人の身になって書かれた、わかりやすい地図だった。
途中の道しるべもわかりやすく、角々を何の迷いもなく戸板島橋まで来ると、向こうから逆打ちのお遍路さんが来た。

 今回逆打ちのお遍路さんに何人も会った。衛門三郎は逆打ちでようやくお大師様と会えたと伝えられている、閏年はお大師さまと会える機会が多いといわれ、今年は例年より逆打ちが多いと聞いた。道しるべや案内書は全て順打ち用であり、それでも迷うへんろ道を逆さまに歩くご苦労に頭がさがった。

28番 大日寺
29番 国分寺
30番 善楽寺
高知市内・高知共済会館
 この辺は見渡す限りの田んぼで何台もの耕運機が忙しそうに動いていた。NHKで放映された無料接待所都築はビニールハウスと田んぼに囲まれた農道の途中にあったが、今はお接待方法が当時とは大分違ってきていると聞いた。
土讃線の踏切を越え“へんろ石まんじゅう”のお店を過ぎたころ、道際にいたおばあさんが近づいてきて、「この付近に古いへんろ道が残っています。ご案内します。」と声をかけてきた。
旧へんろ道というのは、小川にかかる古い石橋と、その先の草ぼうぼうの50mほどの畦道だった。
国分寺

 「29番国分寺(こくぶんじ)」はさすが風格のあるお寺だった。四国に入り札所のいわれを読むと、いたるところで長宗我部元親が再建・再興したと出てくるが、この歴史の古い国分寺も彼の再興と書かれていた。
大師堂で格好いい若者がポケットから小さな経本を出し、一心不乱に般若心経を詠んでいた。オートバイをぶっ飛ばすような雰囲気のこの青年は何を祈願しているのだろうか。
本堂に「おばあちゃん、帰ってきてください」と書かれた紙が貼ってあった。どういう事情で家を出たのだろうか。この張り紙は何時頃から貼ってあるのか。この尋ね人の張り紙は四国88ヶ所全ての札所の本堂に貼られていた。

 山門を出たところで紀貫之住居跡をみてきた七尾さんと出会い善楽寺まで同行、ここで今日3回目の道に迷った。
 国分寺で次の善楽寺までの案内図をいただき、「遍路道を行くよりは車道を行く方がわかりやすいですよ」とアドバイスをもらいながら、2人して車道を嫌い遍路道を行ったが、途中の川のところから道しるべがなくなっていた。
 この近辺は大規模な護岸工事の真っ最中で標識を撤去したのだろうか。高知大医学部の前に出たが、ここから右か左かがわからず、走る車を何台か停めて聞いたが、車に乗っている人は車の道順し知らず歩く道はわからなかった。結局車道を歩くことになり、かなりの遠回りとなってしまった。
 「30番善楽寺(ぜんらくじ)」は土佐一宮の土佐神社の山門をくぐり、長い杉木立の境内の右奥にあった。
 この肝心の山門の入り口を2人して見過ごしてしまった。この付近も全面道路工事中で工事期間中一時的に既存の標識類は取り外したのか標識が見当たらなかった。
 かなりの距離を行き過ぎ戻ってよく見たら、30cmくらいの板切れ1枚にマジックで「善楽寺 ⇒」と書かれていた。河川工事も道路工事の人もこの土地の人ではなく、道を聞いても何もわからなかった。

 本堂で頭をさげた時、めがねのレンズが落ちた。付け根にある小さいネジが抜け「タガ」がはずれてしまった。
 幸いレンズは割れずに済んだがネジが何処かへころがってしまった。今はコンタクトレンズを落とした人のあの探す姿を笑ったことを悔んだ。
 やっとみつけたが小さなネジ回しがなければつけられず、メガネ屋は高知の繁華街まで行かないとない。ここで直しておかないと、この先メガネ屋のありそうな大きな町は中村市か土佐清水市までなかった。
 このところ疲れ気味で市内には寄らずに高知厚生年金会館サンピア高知を予約していたが、市内まで行かざるを得ず、15時を過ぎていたがキャンセルの電話を入れた。「当日のキャンセルで、本来ならキャンセル料をいただきますが」と言われたが事情を話し了承してもらった。
28番 大日寺
29番 国分寺
30番 善楽寺
高知市内・高知共済会館

 今日はいつも以上に神経を使い予定以上に歩いたので高知駅までの2時間は足が重かった。駅前交番でメガネスーパーを聞き飛び込んだ。「修理はサービスです」と気持ちよく直してもらい、追手筋を土曜日(4月3日)からお城祭りのはじまる高知城に向かった。
 
高知城 三の丸
天守閣は閉館時間がせまっているのであきらめ、三の丸公園のにぎやかな夜桜の宴を横目で見ながら搦め手をくだって高知共済会館に向かった。搦め手口からの道はにぎやかな正面の大手門と比べて、樹木が茂り通る人も少なく風情のある坂道だった。徳島城の裏手の道、松山城の搦めからの道も同様でぜひ歩くことをお勧めしたい道だ。

 部屋からはライトアップされた高知城が見えた。先ほど予約したばかりで夕食はない。疲れていたが風呂に入り着替えて外に出た。近くの坂本竜馬生誕地をみてから、会館隣りの(昼は食堂、夜は居酒屋風の)お店に入った。
 常連客らしい中年の夫婦、市役所勤務の男性2人がおかみさんと美人の娘さんを相手に飲んでいた。カウンターに座ってビールとかつおのタタキでまず一杯、うまい。
 棚には海援隊という銘柄の焼酎が並び、皆この焼酎を飲んでいた。東京ではみかけないこの銘柄(土佐鶴酒造だった)を話題にしたのをきっかけに話しが弾み、11時過ぎまで楽しく飲んでしまった。
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