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3月31日(水) 11日目 「おかみさんの合掌」 快晴 | ||||||||||||
6:45宿出発…27番神峰寺(9:10〜30)…夜須町・国民宿舎海風荘17:00着 <41.6キロ 55,595歩> |
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風は冷たいが昨日の雨が嘘のように晴れた。おかみさんは「老夫婦だけなので、たくさんは泊まれないのですよ」と言いながら見送ってくれた。 50m程先の角を曲がる時、なに気なく振り返ると、玄関先でおかみさんはまだ合掌したまま見送っていてくれた。 何かものすごくうれしくなり温かいものが込みあげてきた。そしておかみさんの合掌が私にではない、お遍路姿のお大師さまだと気がついた時、この旅は絶対に最後まで歩くぞと誓った。 ごめん・なはり線の駅前から国道に入り、朝日を背にして、べたなぎの太平洋を眺めながら安田川を渡り、安田町に入った。土佐鶴の大きな建物が見えてきた。部下の結婚式で「大吟醸酒天平」を飲んでからあのやや辛口の酒のとりこになったが、今日は強行スケジュール、工場見学をあきらめて神峰寺に向かった。 「27番神峰寺(こうのみねじ)」は神峰山の中腹標高430mにあり、浜吉屋にザックを預けて身軽になって山に向かった。 もう田植が始まっていた。昔、地理の時間に「高知県は二期作」と習ったが今は減反で状況も様変わりしていた。
「真っ縦(まったて)」と呼ばれる45度の急勾配を登って、土佐の国の関所寺である神峰寺の山門に着いた。 ここも桜が満開だった。石段を登り、名水「霊水神峰の水」でのどを潤し、原色の阿修羅像の前を更に石段をあがって本堂に着いた。本堂からは広大な太平洋と唐の浜、今歩いてきた集落や田畑が箱庭のように見えた。 帰りに山門を出たところで男の人から声をかけられた。この人は往きに山門近くでいきなりカメラを向けてバシャバシャと私を撮った人だった。毎日新聞高知支局の者でお遍路さんの取材をしていると言った。 出身地や年令、動機やこの10日間で得たものは?と聞かれ、あさっての四国版に掲載するので新聞を送りますから住所・氏名をと聞かれたが、身分証明も名詞も見せない取材だったのでご遠慮した。 この先、道隆寺でもカメラマンから望遠でバシャバシャ撮られたが、何処かの写真誌にでも私の遍路姿が載っているかもしれない。登り1時間、下り1時間、2時間かけて再び国道に戻った。 |
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味をしめた文旦とトマトを道端の「良心の店(無人販売)」で買って、大山峠の道の駅で休み、のどの渇きを癒す。道の駅のありがたいのはどこもきれいなトイレがあることだ。長年のサラリーマンの習慣で大は朝必ず出るので心配ないが、小用だけはそうはいかない。この旅ではどうしても我慢出来ないときは、「立ち小便、よくぞ男に生まれけり」、後ろを向いて失礼したこともずいぶんあった。 安芸川を渡り旧道を安芸市内に入った。国道と鉄道が山側に移り流れが変わったのか、市の中心地は車も人もまばらだった。安芸営業所の隣の洋品店のおかみさんと立ち話をしてから古い町並みの商店街を通り、国道との合流点に着いた。
ここから「タイガースタウン安芸」の市営球場が見え、タイガースの縞々模様が旗めいていた。 ここからは国道と離れ約12キロ海岸沿いを歩いたが、実に変化に富み、歩いていて楽しい快適な道だった。 堤防沿いの道、砂浜沿いの小道、松林に囲まれた道と変化に富んだすばらしいサイクリングロードで、何よりも車を気にしないで歩けるのと平らに歩けるのがうれしかった。聞くと、この道は旧国鉄の廃線跡で、そういえば全国に何ヶ所か廃線後を活かしたサイクリングロードがあると聞いたことがあった。 この快適な道も、実は歩き遍路にとってひとつ致命的な難点があった。左は海、右は堤防か松林、この海岸沿いの道は標識も道しるべもない。今自分がどの辺を歩いているのかわからず、従って残距離や残時間が読めなかった。散歩する人に尋ねれば「もうすぐですよ」、「あの松原の向こうに見えますよ」などと安心させてくれたが。 国民宿舎海風荘は手結岬の突端の一番高いところにあり、最後の坂道は疲れはてて足を引き摺りながら登った。
さすが岬の突端、眼下に広がる雄大な土佐湾をみながらの展望風呂は旅の疲れを癒すには充分だった。20人ほどの泊まり客のうち私や七尾さんを含め半分以上が遍路客だった。 大海原に赤々と沈む太陽は「太平洋に映える夕日の宿」の看板どおりのすばらしい眺めだった。 |
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