四国遍路170万歩の旅

−定年遍路道中記−







会員のページ はじめに 阿波の国 土佐の国 伊予の国 讃岐の国 おわりに ミニガイド 資料
3月30日(火) 10日目 「室戸の風雨は半端じゃなかった」  豪雨 
6:00勤行…7:20宿出発…25番津照寺(8:40〜9:00)…26番金剛頂寺(10:10〜35)
…吉良川の町並み13:00  …奈半利町・山本旅館17:00着 
 <33.6キロ 44,911歩>

26番 津照寺
27番 金剛頂寺
奈半利町・山本旅館
 朝のお勤めにでた。住職の先導で懺悔文にはじまり回向文までを読経、講の皆さんはさすが慣れたものだ。私も今日まで48回般若心経を唱えたわけだが、まだ抑揚や区切りがうまく出来ずスムーズに流れない。
 そして説教を聴く。お大師様の修行と最御崎寺のいわれなどをわかりやすくお話しされた。

 6時半に朝食、雨だけでなく風も強く、今日はゴアテックスの雨具を着込み完全武装して出発した。室戸市を真下に見ながらスカイラインの長い坂を降りて旧道から海辺の国道に出た。
 風がものすごい。さすが室戸岬の風は半端じゃなかった。強い風が海から突き上げるように吹いてきて身体が浮いてくる。菅笠を両手で押さえながら、飛ばされないよう1歩1歩、前のめりになりながら歩いた。

 国道を左に折れ室戸港に出た。港の突き当たりの右側小高い丘の上に「25番津照寺(しんしょうじ)」の屋根が見えた。雨にぬれた急な階段は滑りやすく、手すりを掴まりながら慎重に昇り降りして納経所に行くと、住職は朱印を押しながらお説教を始めた。
 いわく「あなたは初めてですね。1番霊山寺では88番を打ち終わった後、また霊山寺にお礼参りに来るように言うが、お遍路は本来88番で終わりです。1番だけが言っていることで、要は2回くればそれだけ儲かるからです。遍路用品も一番高いはずです、云々…」、この寺の住職が1番霊山寺の悪口を言うことを、どこかの宿で先輩遍路が話していたのを聞いていた。

 巡礼の道はヨーロッパにはフランスからピレネー山脈を越えてスペイン・サンティアゴにいく道が有名であり、その他マホメットの生誕地メッカを目指す砂漠の道、ローマを目指す道、エルサレムを目指す道があり、日本でも今年世界遺産に登録された熊野古道がある。
 この四国遍路は「線」でなく「円」を描く循環型の巡礼の道で、洒落ではないが「エン(円)ドレス」であることがその最たる特長だと思う。お遍路が札所参拝の点ではなく、その過程、遍路道を歩くことにあるならば、何も一番だけではなく始めた札所が終わりの札所のはずである。

 聞いていて不愉快だったが問答してもはじまらないので、ここは「不瞋恚」、この住職には「不悪口」の心得をもう一度修業していただきたいものだ。

26番 津照寺
27番 金剛頂寺
奈半利町・山本旅館
 風雨が一段と強くなった海岸線を右に折れ「26番金剛頂寺(こんごうちょうじ)」
金剛頂寺
へ向かった。金剛頂寺も山の上で標高差165mを登る。今はどこも車道があるが、昔の参道・へんろ道は険しい山道を直登して山門まで行っていた。
 雨の中、参拝もそこそこにくだってきたが、「道の駅キラメッセ室戸」の先に出るつもりが手前の不動岩に出てしまった。どこで標識を見落としたのか少なくとも2キロはロスした。
 間違いついでで道の駅のレストラン「鯨の郷」で昼食をとった。ここは鯨料理が名物、くじら刺身定食を頼んだ。晴れていたら左に室戸岬、前面に土佐湾が一望できるすばらしいロケーションのレストランだった。
 それにしても、高知の海岸線、室戸の半島は津波がきたら怖いところだ。山が迫り逃げ場が無い。土地の人は「そのときはその時だ」と言うが、おそらく東南海地震が発生したら、ここまで10数分で津波が押し寄せてくるだろう。国道沿いのたくさんの「津波注意」の標識を見ながら、予知システムの開発と警報システムの整備がなされることを願った。

 東の川にかかる古い橋を渡ると吉良川町の古い街並みの残る旧道に入る。吉良川は姉の嫁ぎ先の出身地で以前この町で医者をしていたと聞く。明治中期から昭和初期の商家など伝統建築が今も建ち並ぶレトロな町だった。
 山と海に挟まれ、炭焼きと漁が産業のこの町は、商業の町として栄えたと記されていた。西の川をわたり再び国道を歩くと、山の中腹に白い花が満面に咲いていた。
一面びわ畑
よく見ると花ではなく受粉したびわに白い紙の袋をかぶしてあった。このあたりはびわの産地で有名らしい。

 羽根川を渡るとへんろ道は中山峠越えの山道に入るが、風雨はますます強くなり、まだ15時だというのに薄暗くなってきた。土砂降りの山道を避け、遠回りになるが海岸線の国道を行くことにした。奈半利まであと5キロ、横殴りの雨でもう下着までびっしょり濡れて肌寒くなってきた。
 やっと奈半利の町に入ったがここから旅館までが一苦労だった。今までの宿は門前や街道筋にあり迷うことはなかったが、山本旅館は目を皿のように探しても見当たらず、土砂降りの雨の中、道を聞こうにも人ひとり歩いていなかった。いくつもの角を曲がり、街道からかなり奥に入った住宅街にある宿にやっとたどり着いた。
 晴れていれば何でもなかったのかもしれないが、宿は札所の近くか街道筋を選ぶのが余計な神経を使わなくて済む。

 広い土間のあるこの宿は遍路宿というより商人宿なのだろうか。着くとすぐおじいさんが奥に声をかけ小柄なおばあさんが出てきた。ぬれねずみの姿を見て「すぐ洗濯するから脱ぎなさい。明日までに乾かすから」といってくれた。
 この季節、部屋にはまだ石油ストーブがたかれていて、雨で濡れた中身を部屋中に広げて乾かした。
 隣の部屋から男の人の声がして廊下にスリッパが3足あった。鍵のかからないふすま戸の宿で、風呂に行くにも食事に行くにも貴重品は必ず持ち歩いた。

前のページ 次のページ

会員のページ はじめに 阿波の国 土佐の国 伊予の国 讃岐の国 おわりに ミニガイド 資料