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3月29日(月) 9日目 「室戸岬へひたすら歩く」 晴 | |||||||||||||||
5:30宿出発…ゴロゴロ石休憩所6:45…仏海庵8:40…御蔵洞14:20 …24番最御崎寺(15:10〜50)…室戸岬町・最御崎寺宿坊16:00着 < 36.6キロ 48,924歩> |
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5時起床、寝ている人を起こさないようにそっと玄関を出た。朝5時半の国道はまだ暗く、町全体も寝静まっていた。 いよいよ今日は最御崎寺だ、、
野根大橋を渡った頃、はるか遠くに室戸岬が見えた。「見えたぞー」と思わず大きな声をあげた。でも遠い、かすかにみえるあの室戸岬まであと30数キロある。 野根大橋を渡たり伏越峠をまわると、「ふれあい海道」と大きく看板のでたゴロゴロ石休憩所に着いた。6時45分、ここでおにぎりと甘夏、宿から詰めてきたお茶で朝食にした。ここから見える海岸線はすこぶる美しく、これから行く道のりはとにかく長く遠かった。 野根から先は昔から四国第一の難所といわれていた。右側は険しい山がすぐ海際まで迫り、左は黒潮の荒波が岸辺を洗う、その間の石ころだらけのわずかな道、人家も少なく頼れるものは何も無い、まして雨風や灼熱の太陽を避けるすべも無いこの道なき道を、昔の人はひたすら室戸岬に向かって歩いたのだった。 「遍路」とは「遍土を巡る」ということで「遍」は海辺や山間の不便な土地という意味だが、ここは今でもアスファルトの国道に変わっただけで厳しい状況は少しも変わっていなかった。
夏の歩きはやめたほうがいい。夏この道を歩いたら恐らく照り返しで40〜50度にはなり熱中症でやられる。夏は朝4時には出発し、午前中に距離を稼ぐとしても3割以上ペースダウンするという。 台風シーズンは避けた方が無難であり、秋は紅葉がきれいだが釣瓶落としで日の落ちるのが早くなる。冬は民宿や遍路宿の休業が多く、春のこのシーズンが歩きには一番適していて、実際に歩き遍路はこの時期が一番多いと聞いた。 今日の室戸地方は最高気温19度といっていたが、照り返しで30度はある。この暑さでペースは目に見えて落ちてきた。 |
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「番外札所仏海庵」を過ぎたところで、杖をつき足を引きずりながら歩くお遍路に追いついた。右足のマメをこじらし、無理をしたら左膝とふくらはぎにきたという。休み休み歩いて17時までには宿坊に着きたいと言った。松山の人で、東京で勤めていたが定年を迎え故郷に戻ったと言う。亡くなった父親がお遍路をしたので供養しながら自分もはじめたとのことだった。しばらく話をしてお先に失礼した。 佐喜浜の集落まで来た。甲浦から室戸までの間はこの港町だけがオアシスのように店があり郵便局もあった。郵便局に寄り、この3月で定年退職し再就職する義弟に祝電を打ち、2回目の軍資金4万円をおろした。佐喜浜港ではちょうど沖から漁船が帰り、水揚げでごったがえしていた。 室戸海洋深層水の近くの堤防に腰をおろしお昼にした。潮風にあたり海を見ながら食べるおにぎりは、ミシュランの星付きのレストランよりも、わが愛妻の料理よりもはるかにうまかった。寝転べばどこまでも続く青い空に、とびが2羽輪をかいていた。 室戸岬までの国道は単調で変化がなく、なにしろ長かった。かすかに見える岬までは、この遠い道のりを、亀の歩みでよい、1歩1歩、足を前に出さなければ着かない。どんなに疲れていても誰も助けてはくれない。 足の痛みをこらえ、歯を食いしばり歩いていくと、「室戸まで○○km」と書かれた国道55号線の道標が、32キロが31キロ…26キロが25キロと減ってきた。 岬の麓の大きな白い青年大師像がはるか遠くに小さく見えてきた。歩の積み重ねの大切さを今更ながら悟った。
室戸岬突端の頂にある「24番最御崎寺(ほつみさきじ)」へは、最後に標高差150mの急勾配の参道・旧へんろ道を登る。 ほの暗い原生林の中をあえぎながら登るにつれ、木々の合間から見える太平洋がどんどん大きくなり、やがて亜熱帯植物が生い茂る境内に着いた。30余キロ歩いてきたあとの最後の登りはきつかったがそれだけに喜びは大きかった。 参拝後、境内にある宿坊に向かった。宿坊はユースホステル兼務の立派な施設で料金は前払い。お風呂は17時からだが「団体が着く前にお入りください」といわれ、大きなお風呂にひとりでゆっくりと(洗濯しながら)汗を流した。
室戸岬と足摺岬の両宿坊は最初から泊まる前提で前後の行程を組んだ。 安楽寺、薬王寺、金剛頂寺、岩本寺、善通寺なども評判がよい宿坊だが行程がうまく合わなかった。宿坊はどこもホテルのように立派な施設で食事もよく宿泊料が税込5,985円と安かった。どこも施設を維持するには団体客がなければ難しく、団体の移動ルートから外れた宿坊は経営が厳しいらしい。また、団体客がない日は採算ベースにのらないらしく個人客は断られると聞いた。 今夜の宿坊は講の約20名の団体とマイカーの夫婦1組、歩き遍路は夫婦1組と夕方遅く着いた七尾さんと私だけだった。講の一行は食事の時も全員が白衣を着て般若心経を朗々と唱えてから食べる。ここは宿坊、本来はまさに信者が泊まる宿だった。 食後、高知から先の予定を決め、4月2日と3日の宿を予約した。 |
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