高島靖男のインド日記
12月22日(火) インドでの日本語教育とは
  以前から書くべき、書きたいと思っていたのが日本語教育である。あくまで「日記」なのであまり専門的なことには立ち入らないが、どんなことをやっていてどんな悩みがあるのかお伝えしたいと思う。
  日本語教育と国語教育は大きく違う。日本にいる皆さんにとって何が違う?と思われるかもしれない。だが大きく違うのだ。
日本語教材
(写真をクリックするとスライドショウ)
国語教育とはもともと日本に生まれたネイティブな日本人が学校で習う日本語教育である。従って、もともと日本語の語感があり、聞くことも話すことも支障がない人たちが対象である。皆さんの周りの子供たち、あるいは自分のお子さんが小学校に入るとき、話すことも聞くこともできないない、なんてことはなかったはずである。
一方、日本語教育とは外国語としての日本語を教育することである。言うまでもなく、読む、書く、話す、聞く、の四技能が全くない人たちが対象である。自分たちが中学(今では小学校から始めているケースもあるが)から英語を始めたころを思い出していただきたい。アルファベットを覚え、I am a boy. This is a pen.などと習ったことが記憶によみがえる方もおられると思う。日本語を外国人に外国語として教える、と考えていただければいいかと思う。意外と難しい。私の場合はインドで日本語教師を開始したので英語を媒介語として教えている。日本では直接法と言って全く媒介語を使わない方法で教えている。どちらが楽?と聞かれれば間接法と私は答えている。勿論、異論がある方もおられると思うので断定はできないが私は間接法が楽である、と思っている。
  直接法では習った日本語しか使えないので、初級段階では常に補助教材が必要となる。
ピクチャーカード
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例えばPC(ピクチャー・カード)である。
机と教えるのに「机」の「写真」あるいは「絵」を用意して見せて理解させる、という方法をとる。イメージとしては食事のとき、両手は使えず口だけで食べる、そんな感じなのである。
一方、間接法では一言「机=Desk」で説明が出来る、ということになる。インドに行って驚いたのはヒンディー語の語順が日本語とほぼ同じ、ということであった。
赴任前にヒテーシュさんから「先生、日本語はヒンディー語に似ているのでインド人には日本語は習得しやすいんです。単語さえ入れ替えればすぐしゃべることができます」と言われていたが半信半疑であった。インドで授業が開始すると生徒にさっそく質問をしてみた。
「日本語とヒンディー語は似ているの?」。大半の生徒が「語順はほとんど同じです」と答えた。ヒテーシュさんの言葉は本当のようである<注>。よく考えてみると、仏教ももともとはインドから日本に伝来した。日本語のルーツもひょっとするとヒンディー語なのかもしれない。ちなみにヒンディー語(サンスクリット語)から日本語になっている言葉をご紹介すると以下のとおりである。

 鳥居  馬鹿  旦那  鉢
 瓦  伽藍  袈裟  供養
 三昧  娑婆  舎利  修羅場
 刹那  奈落  彼岸  不思議
 方便  菩薩  菩提  無常
 輪廻  般若  分別  金毘羅

  逆にインド人の英語には驚かされるが次のような特徴がある。まず、Rを巻き舌で発音する。コーナー(角)はインド英語では、コーナル。カラー(色)は、カーラルとなる。次に、Sの音の前に短いイという音を入れて発音する。つまり、スクール(学校)は、イスクール。ステーション(駅)は、イステーションとなる。最後に、THという音は「ダ」という音で発音する。ファーザー(父)は、ファーダル(Rも巻き舌で発音するのでこうなる)、同様に、マザー(母)は、マーダル。インド英語で「マイ マーダル イズ イスクール ティーチャル」で、「私の母は学校の先生です」となる。慣れるのにちょっと時間が必要である。
日本語教室生徒(写真をクリックするとスライドショウ)
  初級と上級とどちらが教えるのが難しいか?これは永遠の課題ではあるが個人的には初級が難しいと思っている。ヒンディー語は日本語に似ている、それは好都合であるが、問題は「助詞」である。ヒンディー語にも助詞はあり、同じような機能をしているが微妙に違うようである。とくにむずかしいのは「は」と「が」の使い方である。日本人でも上手く説明ができない人が多いのではないだろうか。
  「私はかつきです」と「私がかつきです」は英語で表すと「I am Katsuki.」で全く同じである。ではこの「は」と「が」をどのように説明するのか?というのが初級で最初にぶつかる問題である。皆さんもどのように説明するのか考えてみてほしい。意外と難しい!ということに気が付くはずである。ネイティブの日本人には自然にその区別が出来ているので理由を考える必要はない。しかし、インド人しかも理屈の好きなIT技術者にどう説明するか、日本語教師としての最初の試金石となる。
  解答は次のようになる。
 一般的な「は」の構文の説明:
   「既知の事柄」+「は」+「未知の事柄(新情報)」

 私はかつき(新情報)です。
  初対面で自己紹介するような場面である。
  私は「ひでき」でも「たろう」でもなく「かつき」です、という意味である。

  「は」:「は」の前に来る言葉が、トピック(テーマ)、となる。

 英語による解説では以下のとおりである。
  The particle “WA”indicates that the word before it is the topic of the sentence.
  (助詞「は」はその前にくる言葉が文のトピック(テーマ)であることを示す)

 一般的な「が」の構文の説明:
  「未知の事柄(新情報)」+「が」+「既知の事柄」

 私(新情報)がかつきです。
  「わたしがかつきです」、といきなり切り出したらおかしな人、と思われてしまう。それは
  主題がないからである。会合などがあって、「かつきさんはどなたですか(主題)」とい
  うような呼び出しに「わたしがかつきです」と名乗り出る、というような場面であれば、何
  の不思議もなく自然である。「かつき」というのは、他でもない「わたし」です、という意味
  になる。

  「が」:「が」の前には主語(未知の事柄・新情報)、となる。

 英語のよる解説では以下のとおりである。
  The subject of the sentence giving new information is indicated by”GA”.
  (新情報を与える文の主題は「が」で示される)
  もう一つ問題を出させてもらう。実はこれはヒテーシュさんから質問された。ヒテーシュさんも生徒から質問されて答えられなかったという質問である。ちなみにヒテーシュさんは日本語能力試験1級、JETROのビジネス日本語試験でも1級の有資格者である。ほとんどの日本語には不自由しないレベルである。以下が生徒の質問内容である。
 Q:xxxxを知っていますか?
 A1:xxxxを「はい、知っています」。→これは正しい
 A2:xxxxを「いいえ、知っていません」→これは間違い。正解は「知りません」「知らない」
  となる。

 何故、A2の「知っていません」は間違いなのですか?
皆さんもきっと解答に困ることだと容易に想像される。そこで次の文を見ていただきたい。
  「〜ています」
 1.テレビを見ています。(現在、継続中の動作)
 2.結婚しています。(結果の継続)
 3.大学で勉強しています。(長期にわたる習慣的な行為)
上記でおわかりのように「〜て」は「継続」ということがキーワードなのである。では「知ること」とは何であろうか。
「習慣」(写真をクリックすると拡大)
「進行」(写真をクリックすると拡大) 「結果」(写真をクリックすると拡大)
 ・知ろうと自発的に考えて知識を得た(他動詞的)
 ・別に知りたくはないが勝手に知識が入ってきた(自動詞的)
  「知っている」ということは「結果として知識を持って継続している」ということになる。ところが「知らない」というのは「知識がないという結果が継続している」とは考えにくいのである。「知識がない」ということは「何もしていない、もともと知らない」ということである。したがって「知っていません」という言い方はおかしい、ということになる。このように説明しないとインド人には納得が得られない。
  今回はちょっと日本語教育の専門的な内容だったかもしれない。自分も日本語教師になってみて初めて気がついたことがたくさんある。中学に入学して初めて英語を学んだとき、とても興味してのめり込んだ。日本語を教えているとそれと同じような興奮を感じるときがある。言語学的に言うと世界の言語で二つだけ、どの言語とも関連がないと言われているのが日本語とバスク語<注>だそうだ。この機会に皆さんも日本語をもう一度見直してみてはいかがだろうか。
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