高島克規のインド日記
10月14日(水) フレディ・マーキュリーの哀しみ
これは現実なのか? それとも単なる幻か?
崖崩れにでも遭ったようだ。現実ならば逃れることはできない。
眼を見開き、空を仰ぎ見るんだ。
俺は心の貧しい男、でも同情はいらない。
だって、うまく行くこともあれば、そうはならないこともあるんだから。
いずれにしても、風は吹く。まあ、俺にはどうでもいいことなのだけれどね。
母さん、たった今僕は人を殺してしまった。
銃口をヤツの頭に向け引き金を引いてしまったんだ。で、ヤツは死んでしまった!
母さん、僕の人生は始まったばかりなのに、もうやってしまった、自分でそれを投げ出してしまったんだ。
<中略>
僕は本当に貧しい男、だあれも僕を愛してはくれない。
彼は貧しい家柄の本当に哀れな男
彼をその怪奇な運命から救ってやろう。
適当にうまくやってきた、どうか許しておくれ。
ビスミラ<イスラム語の祈りの言葉>!、いや、お前を許さない。彼を逃がしてやれ。
いや逃がさない。僕を逃がしてくれ。
だめだ、だめだ、だめだ、だめだ、だめだ、だめだ、だめだ。
ああ、母さん、母さん、母さん、僕を逃がして。
ビールゼバブ(魔王?)よ、悪魔を僕から取り除いてくれ、僕のために
だから、君は僕に石をぶっつけてつばを吐きかけようとするんだな。
それで、君は僕を愛していると言いながら、見殺しにして去っていってしまうというのか?
ああ、そんなことを僕にするなんて。
すぐにここを逃げ出さなくては、今すぐにここから逃げ去ろう。
たいしたことじゃない。みんなわかっていることさ。
たいしたことじゃない。僕にはなんでもないことなんだ。
いずれにしても、風は吹くのさ。

フレディ・マーキュリー
  これはロック・バンド「クイーン」の有名かつ名曲「ボヘミアン・ラプソディ(ボヘミアン狂想曲)」の歌詞だ。ボヘミアンとは「異邦人」つまり、ジプシーの事を指すが、「社会の規範にとらわれず、自由で放浪的な生活をする人」の事であろう。この曲・詩の作者はフレディ・マーキュリーである。フレディ・マーキュリーをイギリス人と思っている人が多数であるが実はインド人、しかもムンバイで育った人物である。

 本名をFarrokh Bulsara(「ファーロク・ブルサラ」)という。彼の生い立ちを語るとき、「パールシー、つまりはゾロアスター教徒(注1)の家系から出たアフリカ生まれのインド人であり、生後少し経ってから、両親ともどもインドに戻り、ムンバイから程近い風光明媚な丘陵の地パンチガニ(注2)で幼少時代をすごした」ということを抜きには語れない。
クイーンが登場した1973年頃は、時代的にも、まだ「インド人」とは名のれなかったのだろう。じつはアフリカ生まれのインド系の若者がロンドンを牛耳って、世界に進出していった。痛快な話である。そしてこの「ボヘミアン狂想曲」の歌詞の意味は何だろう?と誰もが興味を持った。
  フレディは「ただのお話だ。僕にもわからないよ」と答えている。本当にそうだろうか?とムンバイに暮らしている自分は思う。1973年当時は自分にも意味はわからなかったが、ムンバイに生活している今ならこの歌詞の意味がわかる、と思うのである。
  ボンベイのビル街はイルミネーションに輝いている。政治都市デリーとは違って、経済都市ボンベイは道行く人もスーツを着こなし、さっそうと歩き、オフィスビルに掲げられたベネトンなどのファッション企業の広告も垢ぬけている。中国人のシェフがいて、本格的な中国料理が食べられるのも、この街ならではのことだ。インドでは珍しいコスモポリタンな都市文化の蘭熟という雰囲気が漂っている。しかし、目を脇にやると路上で生活する親子の寝姿。 
タージマハールホテル インド門

  丘の上まで広がったスラム街。貧しい農村からどんどん農民が流れ込んで、巨大なスラムが形成されている。
スラム街(写真をクリックするとスライドショウ)
こうした貧困を背景にマフィアが暗躍し、犯罪の急増中である。さまざまな矛盾を抱える街、ムンバイ。フレディが育ったムンバイという街に、彼が抱えたかもしれない葛藤を考える材料があると思う。
  最も西洋的でありながら、ガンディーに代表されるように最も民族主義的でもあるムンバイ。フレディはこの街で育ち、この街の空気を吸って生きてきた。その間に彼は、何を見て何を感じていたのだろう。両親とともにイギリスに行った彼が、再びムンバイに戻ってくることはなかった、という。

母さん、たった今僕は人を殺してしまった。
ああ、母さん、母さん、母さん、僕を逃がして。
どうか許しておくれ。
ビスミラ<イスラム語の祈りの言葉>、いや、お前を許さない。

  故郷を捨てたムンバイ少年の哀しみが、この曲の底流に漂っているように感じてしまう。この曲、歌詞が「混沌のインド」から派生しているとすれば、妙に納得できるのである。彼の経歴を読むと、好きな食べ物のひとつに「インド料理」とあるのが、哀しさを引き立たせる。
目次に戻る