高島克規のインド日記
9月6日(日) インド人は親ばか?
  日本ではよく「教育ママ」とか「親ばか」ということを耳にする。報道で有名になっているが、中国などでも教育熱心で、大変な受検戦争と聞く。アメリカに駐在していた時もアメリカ人は教育熱心で、日本以上に学歴社会だ!と驚いた記憶がある。ではインドではどうか?結論から言えば、「大変教育熱心、学歴社会<注1><注2>」である。
  毎朝7時30分に車で、ヒテーシュさん、アニタさん、シミちゃん(長女で一人っ子)と四人で出勤する。会社に行く途中、隣村(カンディバリ)にあるシミちゃんの学校(タクール・パブリック・スクール)に立ち寄る。当初、この立ち寄りが自分には馴染めなかった。日本でも最近、親が子供を学校に連れて行ってから通勤している、なんていう話を聞くし、アメリカに駐在していたころは家内が車で子供を学校まで連れて行っていた。アメリカの場合は治安の関係からそうなるのであり、特に「親ばか」だからそうやっている、と言うわけではない。
   我々四人が学校の近くになると、車、オートバイ、スクールバスで渋滞である。
タクール・パブリック・スクール
  何でこんなに沢山来るの!と言いたくなるくらいに人、車、リクシャーで溢れ返る。学校の近くになると車、リクシャーはそれ以上進めない。 ヒテーシュさんは車から降りて、シミちゃんを連れて学校の門まで連れて行ってやっている。奥さんのアニタさんでなくヒテーシュさんがやっているのである。あるとき、私も門まで付いて行った。門番がいるのである。入口は生徒一人、二人が入れる程度にしか開いていない。親は門までは近寄れないのだ。ヒテーシュさんの説明では、5分遅れるともう校門には入れてもらえない、のだそうだ。
シミちゃんのお見送り

  周りを見ると夫婦で子供を連れてくる場合もあるし、父親が一人で連れてくる場合もあるが、生徒が校門まで一人で来る、なんてケースはめずらしい。   それにスクールバスである。学校の裏口に5分おきに50人くらい乗せて、次から次へとやってくる。アニタさんに聞いてみた「このバス、何台くらいあるんですか?」「50台くらいあります」との返事である。
  ということは50人x50台=2500人くらいの生徒を朝のこの時間帯にスクールバスで運んでくることになる。とにかく恐れ入った数である。
スクールバス等(写真をクリックするとスライドショウでもっとご覧になれます)

  アニタさん曰く「この周辺には五つ学校があるんです」とのこと。どうりで夕方のラッシュに劣らず人、車、リクシャーの波になるはずである。シミちゃんを送ったあと、車で学校周辺を回ってもらった。学校が”あるは、あるは”、どこも人の波である。朝早いのに周辺の店はどこも開いている。学用品、野菜、食料品など、子供を送ってきたついで買う客が多い、ということであろう。

   シミちゃんの学校は近辺でも有名な進学校である。授業は厳しい。日本から帰国して編入したがシミちゃんは当初授業についていけない、という問題が発生した。主たる授業はヒンディー語、英語で行われているが、サンスクリット語<注3>の授業がある。これはとても難しい。当初、これについていけず登校拒否、という問題が発生した。ヒテーシュさんもアニタさんもサンスクリット語はわかることはわかるが教える、ということは出来なかったらしく、早速、家庭教師ということになった。インドの学校は宿題が膨大にある。更に、家庭教師ということになり、シミちゃんは「また日本へ帰りたい」となったようである。余談だが、私の生徒も授業の終わりには必ず「先生、宿題は?」と聞いてくる。インドは子供の時から宿題慣れ?しているようなのである。

  授業は月〜金曜日まで。長期の休みは、春休みが2週間、夏休みが4月中旬〜6月中旬(この時期は雨期との関係で地域によって異なるようである)の2カ月間、冬休みが2週間程度、である。3月下旬に期末テストがある。これが永い。日本の感覚からすると異常である。大体一日1科目から2科目の試験が10日間あり、試験中休みが一日ある。そして課題論文テストというのもある。5つのテーマから一つ選び、図書館、インターネットを駆使して論文をまとめる、というものである。すべて英語で書かなければならない。シミちゃんは「宇宙」というテーマを選んだ。シミちゃんが「A」を獲得した論文をご覧いただきたい。
シミちゃん論文(写真をクリックすると夫々拡大してご覧になれます)
  見事である。11歳の少女が書きあげたとは思えない出来栄えである。将来は「ロボット工学」を専攻したいというのも大いに頷ける。日本のような受験勉強は勿論してはいるのであるが、このように自分で考え、調べ、英語で書きあげる、ということも並行してやっているのである。このような子供たちが将来のインドを支えていく。これでは日本はインドに置いていかれる?と懸念するのも無理からぬことである。
  4月中旬になると成績発表がある。日本のように期末日に先生が生徒に成績表を渡す、という簡単なものではない。4月中旬、シミちゃんとアニタさんは朝7時45分に学校に召集をかけられた。ところが会社に姿を現わしたのは午後1時である。「どうしたんですか?」とアニタさんに聞いてみた。「とにかく効率が悪いんです。7時45分に行きましたが始まったのは9時過ぎ、それから先生のインドにおける教育一般論の話があり、次いで先生と親との間で試験問題内容の是非について質疑が行われました。それから個別に成績表が渡されたんです」というアニタさんの話である。昼までかかるのも無理はない。ただしシミちゃんは「学年で6番目の成績」だったとのことで、ヒテーシュさんも、アニタさんも大喜びであった。
シミちゃん論文(写真をクリックすると夫々拡大してご覧になれます)
  インドの教育内容は実際に自分が体験したのでないのでよくはわからない。現在、日本では英語の早期教育について反対意見が多数ある。私は日本語教師なので言語学、世界の言語教育について少しかじった。私の子供は幼年期に米国で地元アメリカ人の学校に通い帰国した。当初は確かに子供たちは苦労した。しかし今ではよい経験となっているように思う。世界では多国言語国家が多数ある。ではそれらの国が混乱しているのだろうか?例えば、スイス、カナダ、シンガポールなどを想像していただきたい。シミちゃんはヒンディー語、マラティー語(州の言語)、英語、日本語が出来る。サンスクリット語を除いてはシミちゃんから苦痛なんてことを聞いたこともない。

  子どもは無限の潜在能力を秘めているように思う。世界は小さくなり公用語としての英語は必須である。日本語は勿論大事である。日本語教師になってから改めて日本語の魅力、神秘というのを再発見している。それはそれとして英語ぐらいは出来ないと世界では相手にされなくなるのではないか?というのが私の感想である。インド人の「親ばか」ぶりは日本に勝るとも劣ることはない。更に語学能力の高さは日本人が太刀打ちできものではない。英語の早期教育の是非よりも、まずやってみることが大切のように思うが・・・

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