ジョージにとって、インド音楽を知ることは、インド哲学とヒンドゥーの教えに帰依することでもあった。ラビ・シャンカールは音楽的導師(グル)であると同時に精神的指導者ともなった。ジョージは「ラビ・シャンカールとともにムンバイで過ごしたとき、初めてビートルズから自由になれた気分だった」と語っている。この経験がなければジョージは相変わらずジョンとポールの影で埋もれていた可能性が高いと個人的には想像している。 ジョージがインド音楽に入れ込んだのは時間の浪費だったとか、御遊びに過ぎない、ジョージの音楽性に何ももたらさなかった、と否定する向きもある。確かにビートルズとしてレコーディングされたジョージの曲は一般に思われているほど多くない。「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」に収録された、「ウィズイン・ユー・ウィズアウト・ユー」、それにシングル「レディー・マドンナ」のB面「ジ・インナー・ライト」のみである。しかし、彼のインドへの傾斜がこの時期のビートルズに与えた影響は大きい。 |