高島克規のインド日記
12月7日(月) BOPビズネス
  BOPビジネス?何だろうと思われる方が大半ではないでしょうか?これは「ボトム・オブ・ザ・ピラミッド<注>」の略であります。
  「空港は整備されていてある種の安堵感。そして自分の知っているインドとは違い、“貧しい国ではない”。これならしばらく滞在しても困難は少なく、不便は感じないだろう」。5月に友人夫妻が空港に到着したとき、最初に感じたのはおそらくこんな印象だったのではないだろうか。
  ところがその思いは空港を一歩出た途端に単なる思い込みでしかなかったと思い知らされる。空港を出るや否やいきなり悪名高い「渋滞」にまきこまれ、そして車が止まるたびに「バクシーシ」と言いながら近づいてくる物乞いの子供たち。「インドを訪れる人は二つのタイプに分かれる」とよく言われる。「とことんほれ込む人」と「もう二度と来たくないという人」の二つのタイプである。友人夫妻はどちらであったのであろう。
  BOPビジネスの前提としてインドの実態をまず紹介しよう。インド政府の発表では2007年の調査で人口の77%に当たる8億3600万人が一日当たり20ルピー(約40円)以下で暮らしている、とある。インド国立応用経済研究所ではこのような国勢調査などを踏まえて、年収9万ルピー(約18万円)以下を「貧困層」と定義している。ちなみにこの研究所は100万ルピー(約200万円)以上が「富裕層」、そして、この「富裕層」と「貧困層」の中間にあたるのが「中間層」ということになる。めざましい経済発展を続けるインドだが、先進国並みの暮らしを謳歌する「富裕層」や「中間層」は全体に占める割合としてはまだまだ少ない、ということがおわかりいただけるだろう。
  この状況のインドで成功したBOPビジネス事例を紹介したい。「ヒンディスタン・ユニリーバ(HUL)」である。インドでの創業は1933年。今や生活用品メーカーとしてインド最大の企業に成長して、食料品や飲料品など含め20以上の分野で数々の製品を生産している。同社がどのように成功したのか簡単に紹介してみる。
  同社は1990年代に農村市場に進出したが多くの壁に直面し、試行錯誤を繰り返してきた。「インドの農村市場、つまりBOP市場は、欧米でのセオリーがほとんど通用しないところであった。そこで全く違うアプローチを考え、巨大市場を開拓していかねばならなかった」と同社のスキン・クレンジング部門のジェネラル・マネージャーは語っている。彼の強調するのは「逆転の発想」が必要ということである。
(1) インドの農村では、そもそも主力商品である、石鹸やシャンプーを使う習慣がなかった。
(2) 現在、世界では10秒に一人の割合で下痢で死亡していると推定され、そのうち実に3分の一がインドの子供。水と石鹸で手を洗うだけで下痢にかかる可能性が47%低くなるとロンドン大学衛生熱帯医学大学院の研究が発表している。そこで同社は農村部に住むBOPの人々に衛生概念を根付かせ、健康を増進させることがビジネスチャンスと考えた。
(3) 更に値段である。インドの為にシャンプーの価格を1ルピー(約2円)に設定した。貧困層の人々は生活に余裕がなく、まとまった出費を嫌う。彼らがいくらなら買えるかと考えた結果の価格設定であった。シャンプーの量を1回使い切りの量に減らし、小袋のパックに分けて切り売りする方法であった。
(4) シャンプーは2ルピー(約4円)や50パイサ(約1円)の商品も発売した。1個あたりの利益はごくわずかでも農村部の人口7億人を見越した価格設定。シャンプーで成功した手法は石鹸(2ルピー)、洗剤(1.5ルピー)、更には歯磨き粉、スキン・クリーム、コーヒー。紅茶など飲料分野にも適用した。
(5) 健康普及活動を行う際、新たなメディアが必要であった。そこで浮上したのが全国の学校の授業を利用する、というものだった。この授業を取り仕切っているのは、「ヒンディスタン・ユニリーバ(HUL)」の訓練を受けたユニフォーム姿の二人組。同社では全国の支店で地元の人を雇用して、健康普及隊という専門チームを作っている。
(6) 授業は子供たちにもわかりやすいように紙芝居が使われ、「目に見えないバイ菌がいること、石鹸を使わないと病気になりやすいこと」を説明する。その後は石鹸で洗った手と洗わない手を赤外線で見せる。最後に以下のように唱和させる。

 (健康普及隊):毎朝、シャワーのときに
 (子供たち):毎朝、シャワーのときに
 (健康普及隊):トイレの後も
 (子供たち):トイレの後も
 (健康普及隊):食事の前も
 (子供たち):食事の前も
 (健康普及隊):わが社のライフブイ石鹸を使いましょう
 (子供たち):わが社のライフブイ石鹸を使いましょう

  実はこの授業は、地方行政と学校と提携して行われている官民一体プログラムである。
ライフブイ石鹸
衛生観念を教育することが目的とはいえ、学校と言う公の場で、結果として商品を宣伝してしまうという発想は、インドだから可能なのだろう。インドでは常識から外れたことでも先に実行したものが勝ちということなのだろうか?
日系企業の成功例も一つ紹介しよう。「日清食品」である。インドに進出している日本の食品メーカーは、日清食品、ヤクルト、味の素、など数社しかない。中でも日清食品は、自由化前の1988年に早くも進出している。インド進出当初は、「ヒンドスタン・ユニリーバ」との合弁でインド日清フーズを設立したが、1998年にヒンドスタン・リーバはその合弁事業から資本を引きあげて、提携は解消された。その後製品の販売については、インドの「マリコ・インダストリーズ」と提携していた。しかしこの販売提携も今年3月に解消し、今回自社で販売網を築くことに至った。

  日清食品が事業を開始したのは1991年。しかし7年前にスイスのネスレ社が進出し、培った乳製品のブラインド力でインスタントラーメン(ブランド名:マギー)の市場を独占していた。
マギーラーメン
即席めんの生みの親であるといっても、インドでは全然通用しなかった。それに大きなネックになったのが28洲ある洲政府の権限の強さ。州によって税金が違うし、州境ではトラックの検問が行われ、延々と待たされる。そして州税がかけられる。流通網が州毎に分断されている。これを解消するには州毎に工場を建てるしかない。しかし、それでは生産効率が上がらない。このため、州毎に倉庫を設け、販売目的ではなく倉庫への移動ということで州税を避けてきたという。
日清インドは長年赤字を垂れ流してきた。2002年に、それまでの100グラムの商品のほかに45グラムの小分け商品を4ルピー(約8円)で売り出すことによって、やっとテークオフが出来た。こうして2007年には対前年比44%増の1億食の販売に成功した。これからは自前の営業網を全国の12ヶ所を拠点に構築してゆくという。
  自社製品(ブランド名:トップ・ラーメン)をインドの人の味覚に素早く合わせていったことも成功の要因となった。
トップラーメン
ヒテーシュさんに言わせると「子供のころからマギーを食べていたので個人的にはマギーの方が好きです」とのこと。私はトップ・ラーメンをときどき食べるが日本の味付けとは違ってあまり日本人好の味とは言えない。
  インドでは中間層の増大などで購買力の増大や、大規模小売店の増加などにより、インスタント食品などの加工食品への需要は今後も確実に大きくなるとみられている。食品加工産業省(MFPI)によると、半加工食品及びインスタント食品の業界規模は10億ドルを超え、年成長率で20%の成長を見込んでいる。インド日清フーズは、この将来性ある市場で今後も一層のシェア拡大を狙っている。
  広大な土地に11億人の人々が暮らすインドでは、目標となる数字もビジョンも自然と大きくなるのかもしれない。インド経済をけん引する企業活動の底力は、途方もない目標を立てる発想と、その目標を追いかける熱意によって支えられているのかもしれない。      
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