高島靖男のインド日記
6月24日(水) ゴアへの旅(3)
  ボム・ジェス教会の見学が終わると12時30分くらいであった。ラビさんが「もう一つ教会を見ますか?食事にしますか?」と聞かれ、疲れていたので即座に「食事と答えた」。これが近い?と思いきや、山を越えてゆくのである。途中、小高い丘を指差して「あそこにゴアの工業地帯があります」とラビさんから説明があった。しばらくすると、「Chiba Geigy(チバ・ガイギー)<注1>」の大きな看板に出会った。ここにもChiba Gigy(チバ・ガイギー)が来ている!とビックリした。あとで調べてみると、近隣にはChiba Geigy(チバ・ガイギー)のほか、日系企業では三井物産、川鉄商事、丸紅商事、伊藤忠商事などがあることがわかった。
  途中、イスラム教のマスジッド(Masjid=礼拝所)を見かけた。デリーで見たマスジッドは巨大なものであったがここのものはコンパクトな礼拝所であった。 ここにもイスラム教徒がいるのだ。「いまでも使っているのですか?」と聞いてみた。「はい、金曜日には沢山のイスラム教徒が集まります」とのことであった。
マスジッド(礼拝所)

 やがて車はポンダ地区にあるスパイスファームに到着した。見学の前に昼食である。テラス席というかオープンエアとでもいうか、自然の風と景色を感じながら食べる。面白いのは、顧客、あるいはグループごとに担当の女性が就くことだ。我々には「セリーナ」という女性が担当になった。最初にヤシの実で作った酒が出される。これはかなりアルコール度数が高い。ご夫人方は手を出さなかった、のも無理はない。食事はカレーを中心としたビュッフェ料理である。日本から来た3人にはあまりおいしくなかったかもしれない。
 昼食の後にスパイスファームを見学である。「暑いのでなるべく短い見学ツアーにして欲しい」と「セリーナ」さんに頼んだ。
  だが、彼女は熱心でどうも全部説明してくれるつもりらしい。ナツメグやクローブ、シナモン、胡椒の木々が見学者用に植えてあり、商品用のスパイス<注2>は奥にある農園で作っている、との説明があった。
  とにかく暑い。説明を聞いていてもぼーとしてくる。ブラックペッパーって、こんな風になっているのか、と初めて知った次第である。
スパイスファーム

  約30分ほどのツアーを終え、「スパイス農園」を後にした。途中、ガネッシュ寺を参拝し、またオールドゴアと呼ばれるかつてポルトガル領の首都だった地区に戻った。道を挟んでボム・ジェス教会の反対側に並ぶ白亜の教会は、左手がアッシジの聖フランチェスコ修道院、そして右手がセ・カテドラルである。
ガネッシュ寺

 聖フランチェスコは13世紀イタリアの聖人で聖痕が全身に現れたことで有名である。1517年に小さな建物から始まったこの修道院は、増え続ける修道僧を収容しきれなくなって1655年に大改築された。磔刑像のキリストがフランチェスコを抱きかかえるという、アジアでも唯一の像が特徴的で、フランチェスコの生涯が数枚の壁画に綴られている。
  「貧困、謙虚、従順」と、フランチェスコが献身した3つの言葉が掲げられているが、皮肉なことに富裕層が低カーストの人間に求めるのもこの3つである。インドで就学年齢の子供たちが学校へ行かないのは、親の認識の低さもさることながら、貧しい人間には無知のままでいてほしいという、支配階級のひそかな願いも反映されている、とも言われているが・・・??
聖フランチェスコ修道院(写真をクリックするとスライドショウ)

 最後に向かったのはパナジ市内(インドのゴア州の州都、人口6万5千人<2005年>)である。まず、訪ねたのはパナジ教会である。パナジの中心となっている真っ白な建物で、1541年に建てられた、との話である。
 毎日英語、ポルトガル語、コンカニ語でミサが開かれており、特に日曜には礼拝に多くの人がやってくる。インドの中でも旧ポルトガル領の面影が色濃く残る街だ。1843年に正式にゴアの州都となり、オールド・ゴアから遷都された。パナジ市民の約半数がキリスト教徒で、町にはバーや酒屋も多くある。 自由見学はできないが、入り口で頼めば礼拝堂を見せてくれる、との話だったが、時間がなく今回は断念した。
パナジ教会(写真をクリックするとスライドショウ)

 ツアーの最後は「ハノナン寺」であった。パナジ教会から南に延びる坂道を登ったところにカトリックの大司教の館がある。このあたりは高台の高級住宅地で、この寺はその一角にある。
 この寺は「猿の寺」として有名なのだそうだ。そしてユニークなのは、「猿の像」が二つある、ということである。もともと「猿の寺」として栄えていたが、ヒンディー教徒が勢力を伸ばすと猿は取り払われてしまったそうである。のちになって再び「猿の寺」として復活したが、その時に再び「猿の像」を作りなおしたため、古い猿と新しい猿の像が二つある、ということになった。その高台から見るパナジ市内の風景はまさにポルトガル支配を強く物語る景色である。インドは歴史に翻弄されて来た国なのだ、ということを改めて感じいった次第である。
ハノナン寺(写真をクリックするとスライドショウ)

 ゴアに来たのは単なる物見遊山であったが、日本との交易・キリスト教布教の関係を知り、またここでスパイスをめぐり各国で戦争があったこと、スパイスを求めてインドに向かった結果、アメリカ大陸や喜望峰航路を発見するなど大航海時代を導いたりもした。などと知ると、はるか昔の人々のロマンに驚きと畏敬の念を抱かざるを得なかった。
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