高島靖男のインド日記
4月21日(火) アグラへの旅:タージ・マハール
  4月11日から13日にかけてデリー、アグラへ旅をした。その時の模様を数回にわけて報告したいと思う。まずは「タージ・マハール」である。
  4月12日の朝6時に車で迎えに来てもらってアグラに出発した。この車はORIXで3日間レンタルしたものだ。運転手さんは片言の英語は話せるが大半はヒンディー語であるのでガイドにはならない。
  6時に部屋からホテルのロビーに降りると外に車が待っていた。ところがである、ロビーのガラスの扉に鍵がかかっていて外に出られないのである。
  運転手さんはさっきから開けようとしていたようであるが私の姿を見ると両手を上げてお手上げ、という表情をした。事務室のベルを鳴らして誰か出てこないかとやってみたが埒があかない。
 そこで受付カウンター奥の旅行代理店の看板があるところに行ってみた。3人ほど床に寝ている。申し訳ない、と思ったがゆり起した。

アグラの地図

  言葉が通じないので身振り手振りでドアのカギを持っていないか、伝えた。やっと言っている意味がわかったようである。一人が起きて受付カウンターの鍵が入っている引出を開けてくれた。6時の出発が6時15分になってしまった。安いホテルに泊まるとこんなことになる。
  今回のデリー旅行はホテルの予約なしにでかけた。「地球の歩き方」にはこのように書いてある。
「ホテルはいつ行ってもある。ホテルについては出たとこ勝負、と思ってほしい。人々は駅につく。その瞬間からホテルはどうしようかと考え始めるのである」
  ということで出たとこ勝負でホテルを決めたのである。ニューデリー駅近くの安いホテルである。1泊650ルピーであった。エアコンがついた部屋と言ったので200ルピー上乗せで850ルピー(約1700円)とうことになった。宿泊するだけ、と考えれば問題はない。
ニューデリー のホテルの部屋の様子

 シャワーはあるが石鹸、タオルなど何も設備はないので事前準備して宿泊する必要がある。だが、朝6時に入口の扉に鍵がかかって外に出れないというのは予想外であった。
  ORIXからはアグラまで約250キロ、4時間のドライブである。6時15分に出たので普通に行っても到着は10時15分ということになる。「タージマハール<注>」がどうであったか?個人的にはそんなことにはあまり感激しなかったのである。それより、デリーからアグラまでの有料道路の整備にビックリし、更にはデリー周辺に広がる住宅用のアパート(あるいは日本で言えばマンション群)に驚いたのである。超近代的ビルが高速道路の周辺に出来ている、建設中なのである。もうそこにはインドという面影はない。一瞬、アメリカのカリフォルニアの郊外を走っている錯覚に陥った。ひたひたとインドは日本に、世界に近づいている。これはいいことなのか、わることなのか、わたしには判断がつかない。

  途中、トイレ休憩したので到着は11時近くになった。アグラ近くになると、運転手さんは車を止めて携帯で話しだした。ほどなくするとわけのわからないインド人をピックアップした。何のことかと思うと、「私はアグラのガイドです。今日のタージのツアーにお伴します」と馴れ馴れしく、片言の日本語と訛った英語で話しかけてきた。早速、運転手さんに「ガイドなんて頼んでないよ」と言うと「会社が払う」と言うのである。でも結局、後でチャージしてくるに決まっている。「悪いが必要ないので駐車場でおろしてくれ」と頼んだ。するとガイドは「わかったが、もう駐車場からタージマハールまでの車を予約してあるので料金を払ってくれ。タージマハール周辺では電気カーか馬車など環境に害を及ぼさない乗り物しか近づけないのでガソリンの車では行けない」と言う。「いくらだ」と聞くと「100ルピー」とのことである。うるさいので100ルピー払って追い払うことにした。さらに「ガイドブックは持ちこめない。持って行けるのはカメラと水だけ」と付け加えられた。
  タージマハールの料金所に到着した。土産物屋の客引きが押し寄せてくる。ガイドと称する人物が無数に寄ってくる。彼らは獲物に飛びかかる猛獣たちのようである。ハッキリ言って気分が悪い。しかも彼らは当然と思っている。
  入場料金がまた腹の立つ設定なのである。外国人750ルピー(内訳:入場料250+インド考古学局支払500)である。インド人はその10分の一である。ガイドブックが持ちこめないのはガイドに仕事を与えるためである。まったく狡からい。

タージマハール入場券(写真をクリックすると拡大) タージマハール最初の門

  やっとのことで中に入った。ガイドが説明している集団がいた。通りすがりにどんなことを説明するのか聞いてみた。大したことを言っている訳でない。この門は何時出来て、高さがいくらある、なんてことを言っている。そんなことはあとで本を読めば結構である。
 最初の大きな門をくぐるとタージマハールがいきなり見える。シャッターチャンスである。感動的な瞬間である。写真を沢山撮ったのでご覧願いたい。タージマハールのドームの中に入るには靴を脱がなくてはならない。ここでもまた金を取るのだ。更にドームに入るといきなり大きなお賽銭箱がある。黙って通り過ぎようとすると番人が居て、脅かすように金を払えという。腹がたったので一度外に出て他の人に紛れて金は払わずに入場した。よく観察していると外国人に強要しているようである。外国人から搾取してやれ、とでも思っているのだろうか。    
タージマハールのスライドショウ

  ドームの裏に出た。ヤムナー河が見える。風が心地いい。しかし、このような巨大なものをよく作ったものだと、感心してしまう。出口の門を出るとまたまた店の呼び子、ガイドの群れである。いくら声をかけられても無視してひたすら急いで歩いて1キロの道を駐車場に急いだ。途中、人力車が並走してずっと駐車場までついてきたのにはまいってしまった。「10ルピー」しばらくすると「5ルピー」と言う。もう駐車場が見えている。「さっき5ルピーだったから、もう1ルピーだろ」と言うと、「それでもいい」という。乗ったが最後どうなるかしれたものではない。
  やっと車に乗り込んだ。12時30分である。運転手さんに「近くのレストランに連れて行って欲しい」と頼むと、「自分はデリーの人間なので聞いてみる」という返事。駐車場で聞いていると、耳ざといおじさんが「いいレストランを知っている。安いし人気がある」と言う。怪しいと思ったが、任せるしかない。そのおじさんのスクーターの後からついていくこととした。おいおい、どこまで行くの、と思わせるほど遠い。「近く」、と言ったじゃない。もう後の祭りである。

  10分くらい車で行っただろうか、こぎれいなレストランに止まった。「まあ、しょうがない」、中に入って席についた。とても立派なレストランである。ダンスもできるのだろう大きなフロアーになっている。注文を待っていると先ほどのおじさんがやってきた。名刺を出した。どうもこのレストランの地下に入っている土産物屋の主人であったらしい。「食事がおわったら是非来てほしい」とニコニコして出ていった。しばらくすると中国人と思われる団体客が入ってきた。どうもここは団体客が利用するレストランのようである。値段がえらく高い、ビックリする。ムンバイの3倍くらいの値段設定である。ここはインドではない。世界一有名なタージマハールの観光地なのである。食事が終わり外に出ると、さっきのおじさんが待っていた。だが無視して「アグラ城<注>」へ行くこととした。

  タージマハールとアグラ城はそれほど離れていない。車で20分くらいの距離である。ここでも外国人は差別的な入場料を取られる。300ルピー(入場料250+考古学局50)である。あとで知ったのだが、考古学局への支払いはタージマハールの入場切符を見せると免除されるようである。そんな説明はしてくれないので、またまた考古学局への支払いを余儀なくされた。
アグラ城のスライドショウ

 個人的には、タージマハールよりこのアグラ城の方が気に入った。こちらから見るタージマハールの方が印象的である。しかし、5代皇帝シャー・ジャハーンはここから7年間もタージマハールを見続けながら死んだとは、どんな気持ちであっただろう。

 出口に戻った。午後2時である。気温は恐らく40度を超えているだろう。タージマハールと合わせると2時間程度、外にいただけであるが日射病になったように頭が痛い。16、17世紀の太陽も同じように照りつけていただろう。タージマハールもアグラ城も、この炎天下で建築されたのかと思うと気が遠くなる気がする。
アグラ城からタージマハールを望む
 帰途についた。車は冷房が効いて心地よい。車窓からながめる高速道路周辺の景色はインドのそれではない。もう世界はどこへ行っても均質化してしまったのだろうか?
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