高島靖男のインド日記
12月23日(火) 日本語授業について
 10月20日からわたしの担当する日本語授業が開始し、4クラスを担当することとなった。以下にその概要を記載する。

○4級クラス(毎日午前11時から午後1時まで)

 教科書は「みんなの日本語T」の英語バージョンを使用している。日本語教師をされている、あるいは知識のある方はこの教科書が日本語教育のバイブルであることは周知の事実である。このクラスの目的は日本語能力試験4級に合格する力をつけ、日本へ派遣するIT職員を育成することにある。4級の出題範囲はこの「みんなの日本語T(25課)」までとなっているのである。このクラスのメンバーの概要は以下のとおりで、皆、7月入社のものばかりだ。22歳、23歳の若者である。
D君 とてもいい性格で協調性は一番。もう少し個性を出し、積極性が欲しい。
M君 ちょっと線が細い。優秀ではあるが積極性、外向性が欲しい。
R君 一番優秀である唯我独尊的なところがあり協調性に欠ける。
RJ君 積極性等、評価できるところが多い。言い訳が多く、かけひきをする所あり。
P君 R君、RJ君に引っ張られているが、いい素材である。積極性が今、ひとつ。
教室
 実はもう一人わたしが由岐子先生から引き継いだときに受講生がいた。S君という若者である。引き継ぐ前一週間じっと観察していたが、明らかに日本語への関心が薄く、学力も極端に差があった。わたしが引き継いでから、どうしても彼のレベルに合わせざる得ない場面に何度も遭遇した。これはかなりの時間の無駄につながった。ヒテーシュさんに相談した。ヒテーシュさんとS君の話し合いがもたれ今後は自学自習(クラスには出るに及ばず)するということになった。ちょっと驚いた。そこまで懲戒的なやり方をすると思わず、この会社は非情!と思った。でも、それがインドなのかもしれない。わたしが見ている限りでは彼が4級に合格する可能性はない。自学自習は無理である。

 わたしが由岐子先生から引き継いだのは20課からだった。試験は12月7日(日)で、残された日数は50日ほどである。ちょっと心配だ。あと5課を修了しないと、出題範囲を勉強しておらず対応しようがない。そこでスピードアップを図ることとした。

 以前の日記にも記載したとおり、皆「Me First」ばかりで人の話は聞かず、自分のことだけ考えている。授業中もおしゃべりが途絶えることはなく、注意すると一瞬しゅん、となるが5分後はまた同じように「わいわい」「がやがや」。全く、自分たちがしていることが悪いこと、とは思っていないようだ。スピードアップを言いだすと早速文句の連発。「前の先生はゆっくり、よくわかるように時間をかけた」など、言い訳をひねりだすことは天下一品。「でも25課まで終わらないと受験勉強ができないよ」というと少し納得したのか協力的となった。

 翌週、アニタさんから「先生、4級の模擬試験をすぐやってください」との要請。「でも、まだ25課も終わっていないし、見るところ出来るレベルではないですよ」と反論したが、アニタさんに根負けして実施することとした。しかし、アニタさんはインド人の本質をよく知っているようだ(刺激を与えないと頑張らない)。この要請は結果として大成功であった。朝、突然「今日、これから4級の模擬試験をやります」と私が言いだすと、ハチの巣をつついたような大騒ぎ。まあ、なんでもいいからやってしまおう、と強行実施。試験が始まると観念したのかおとなしく試験をやっている。「Me First」なのか従順なのか?

 試験の結果はR君を除けば悲惨なものであった(合格は60%であるが大半が40%水準)。この成績結果は効果があった。この調子では4級の試験に合格しない。合格しないと日本へ行く社内選抜にも外れてしまう。強烈なインパクトであった。通常、1課は3日くらいかけてやっていたようであるが、その後は1日から2日で1課というスピードアップになった。それに加えて、そのテストの結果を個人別に分析し個人指導をした。これも効果があり、本人にとってはどこが自分の弱点かよくわかったようである。

 全員に共通していたのが聴解問題である。全滅に近かった。設問の仕組みを理解していないことに加えて日本文の組立てを知らない、ということに起因していた。そこで聴解CDかけ、1問ごとにCDをストップさせ、わたしがシナリオを読みなおした。  

 11月24日に社内模擬試験を行った。この模擬試験は複数年の過去問題を組み合わせて作成したので、過去問題を暗記していても単純に点数が取れないように工夫した。D君86点、R君81点、ラRJ君79点、P君76点、M君82点であった。60点が日本語能力試験4級の合格ラインであるので全員合格ラインであった。まずまず、と言っていい。この方法がいいのかどうか疑問であるが週末に過去10年間の問題を分析し、あるパターンがあることに気がついた。また、配点を見ると聴解、文法の点数が非常に高いので、これを徹底的に指導した。以下は私が指導した方法である。

<聴解>
 設問文の最終センテンスを集中的に聞きとる訓練に特化した。勿論、例外はあるのだが、答えのヒントは大半最終センテンスにあった。この方法により聴解問題の正解率は急速にアップした。また、ブラインドで3級の聴解テストをやらせてみた。最終センテンスに集中し聞かせることで3級テストでも60点以上の点を取ることが出来た。

<文法>
 ここで言う文法は我々日本人が学習する文法とは違う。日本人が習う日本語は国語としての日本語であるが、外国人が学習する日本語は外国語としての日本語なのである。具体的に記載するとこのようになる。

  <試験問題:正しいものをえらびなさい>
   (     )ながらテレビを見るのはよくありません。
   <@ 食べる A食べて B食べ C食べた>

 日本人なら躊躇なくB食べ を選択することが出来る。だが、どうしてと説明を求められても答えられないのではないだろうか。私は以下にように教えた(この方法は日本語学校で習ったものでなく、あくまで自己流なので正しいかどうかはわからない。異論もきっと多いことであろう)。

  (1) まず、「ながら」の意味を英語で教える
     Whileである

  (2)「ながら」の前には必ず「ますFormの語幹」が来る、と教える
    <注>「ますForm」とは、食べます、見ます、書きます、のように語尾が「ます」の形になるものを言う。
     ちなみに、「食べる」は「辞書Form」、「食べて」は「てForm」、「食べた」は「たForm」と言う。

 上記のようなパターンを出来る限り拾い出し徹底的に指導、覚えさせた。みるみる得点は上がっていった。12月7日の試験当日、試験会場から出てきたとき全員が自信満々であった。ひとまず“よしよし”、ではあるが、これは日本語の勉強ではない。あくまで受験勉強にすぎない。これからまた彼らに本当の日本語運用能力をつけさせなければならない。ひと苦労である。

 このクラスでのエピソードを一つ紹介したい。「ぼくのおばあちゃん」というタイトルの会話文の練習があった。「ぼくのおばあちゃんは88歳で元気です。1人で住んでいます。・・・・・・」。「おばあちゃん」とは何かとの質問が出た。「おばあちゃんとは、Grandmotherの意味で、「ちゃん」はDear(親愛の情)をこめて、そのように言うのだと説明。皆、納得。ところが、R君から質問があった。「ではなぜ、一人で住んでいるのか?そんなにDear(親愛の情)があるのならおかしい。先生、どうしてですか?」との質問。「う〜ん」困った。回答ができない。「先生、一晩考えてください」と言われてしまった。毎回、授業が始まると、「先生、あの答えはどうですか」と聞かれる。インドでは大家族、家族の絆が第一。とても日本の状況は理解できないらしい。でも彼が正しい。

○3級クラス(毎週 火、木、金曜日 午後3時から午後4時まで)

 このクラスの目的も日本語能力試験3級に合格する力をつけ、日本へ派遣するIT職員を育成することにある。3級の出題範囲は「みんなの日本語(50課)」までとなっている。このクラスのメンバーの概要は以下のとおりである。H君とA君は日本の会社の位置づけで言えば課長に当たる人たちである。S君は入社3年目の若者である。
H君 とても優秀。もっと勉強する時間があれば3級は合格すると思う。聴解力がすばらしい。
S君 無口のため判断がつけにくい。外向性・表現力をつける必要あり。
A君 とてもいい性格だが勉強せず、依存心が強い。
日本語教室の生徒たち 1
 H君とA君はリーダーということあり、ほとんど日本語の勉強を自宅でしていない。全く進歩は見られない。特にA君は形式的に授業は受けているが「心ここにあらず」であった。状況を社長のヒテーシュさんに相談した。ヒテーシュさんとA君との間で話し合いが持たれ、このクラスに参加しない、受験もしない、という結論になった。この会社で日本語の勉強をしない、ということは退社を意味する。ヒテーシュさんによると「本人は家族と離れて日本には行きたくない。従って、退社も止むをえないと結論を出しているようだ」との話である。この会社で勤務を開始してから気がついたのであるが、職員の意識は日本語学習に対して半々であるということである。皆、ITソフト技術者である。英語は出来る。何も日本語が出来なくてもいくらでも仕事がある、と思っている職員が少なくない。なぜ、日本語をやらなくてはいけないのか?この答えを自分の中で解決できないと日本語の勉強には熱が入らない。当然である。

 A君が突然、授業に出なくなった。残る二人から「どうして?」との質問が出た。「わたしにはわからない」。それ以上、言える言葉はなかった。

 1月18日に社内模擬試験を行った。H君69点、S君61点、A君は受検せずであった。60点が合格ラインであるので二人は合格ラインであった。3級クラスにも4級クラスと同じ方法で受検対策をしたが、授業回数が少なく、時間的が短かく、4級クラスのメンバーより社内的に業務上の負担が多いメンバーが多いので、2006年、2007年問題に集中して解答を解説し、内容を暗記させた。12月7日の試験当日、二人は合格したと思います、と言って試験会場から出てきた。心配していたのでほっと一息である。

○2級クラス(毎週、月、水曜日 午後2時30分から午後3時30分まで)

 このクラスの目的も日本語能力試験2級に合格する力をつけ、日本へ派遣するIT職員を育成することにある。2級は3級を合格した中級レベルの人を対象にしている試験である。このクラスのメンバーの概要は以下のとおりである。
R君 個人的な悩みを抱えているようで今一つ勉強に力が入っていなかった。悩みが解決し勉強する気持ちになれば優秀な人材。日本人のお客に好かれるタイプ。
B君 自分でも認めているように過去1年間あまり勉強をしていない。性格もよく協調性もあり日本に行ってもお客に好かれると思う。
Pさん 翻訳を専門にしているので日本語力はすぐれている。
 R君 、今年5月に結婚した。ところが単身赴任である。奥さん、家族はグジャラート州(ムンバイのある州の隣の州)に住んでいる。毎週、土曜日朝帰省(汽車で5時間)し、月曜日の朝、5時の汽車でまたムンバイに出てきている。会社は日本への赴任を期待していて日本語の勉強も強く要請している。ところが家族は日本行きを強く反対。板挟みの状態である。勉強にも身が入らない。

 B君も既婚者だが単身赴任。帰省するには片道13時間かかる。彼も同じ状況なのだろうか勉強に身が入らない。この会社の職員の大半が地方から10時間以上かけて単身で勤務しているケースが多い。地方ではITを専攻しても就職口がないらしい。ムンバイはインドの大都会なのである。

 上記二人の状況を社長のヒテーシュさんに相談した。ヒテーシュさんと二人の間で話し合いがもたれた。B君については本人から、「自分が怠けているだけなのでこれから頑張る」との返事をもらったようである。一方、R君についてはそう簡単にはいかないらしい。Diwaliで帰省したが2週間たっても帰ってこなかった。家族の中で何か問題があるのだろうか?

 Pさんは、日記の冒頭でも紹介した女性であるが日本語に対する入れ込みは大変なものがある。ほかの二人と一緒に授業をやるので、あまりにも差がありすぎて授業が成立しない。二人に合わせると彼女は退屈。彼女に合わせると二人がついていけない。彼女については個人的に毎日、「中級から学ぶ日本語」をやらせ添削している。本人がやる気があるのでどんどん進む。

 11月17日に社内模擬試験を行った。R君51点、B君48点、Pさん85点であった。60点が合格ラインであるのでPさんだけ合格ラインであった。このクラスの受検対策は困難であった。R君51点、B君48点でもおわかりのとおり、短期間で合格ラインに到達するのは無理なのである。従って、Pさんには悪いが自学自習という方法をお願いした。
 ただし、彼女には読解問題では、
  (1)まず、質問を読む、
  (2)つぎに、最終センテンスを読む、
  (3)最後に、問題文を読む、という方法を徹底的に指導した。
 2級テストの難関はこの読解なのである。大半が時間切れになってしまうのである。この方法で彼女は模擬テストではほぼ満点を獲得した。聴解も同じように最終センテンスを集中して聞くように指導した。

 R君、B君は今回の試験の合格は無理であるが、できるだけ得点を引き上げる方法に切り替え、漢字を集中学習させることとした。また、2006年、2007年問題を集中して解説し、内容を暗記させた。
 12月7日の試験当日、Pさんは合格したと思いますと言って出てきた。残る二人も一応、全部解答したと言ってくれたのでほっと胸をなで下ろした。このクラスは再編成してもっと、成果のあがる形にする予定である。

○初級クラス(毎週 月曜日、午後5時から午後6時まで)

 このクラスの目的は日本語能力試験3級に合格する力をつけ、日本へ派遣するIT職員予備軍を育成することにある。このクラスのメンバーの概要は以下のとおりである。
A君 人柄はとてもよく日本人に好かれるタイプ。ただし、日本語の勉強に疑問を持っているかもしれない?
B君 理論優先型で持論に固執するタイプ。彼も日本語の勉強に疑問を持っているかもしれない?
M君 人柄もよくお客にも好かれると思うが積極性が今一つ。
BR君 素晴らしい人材。日本に行ってもきっとお客に好かれる。
G君 たくましさを感じる。日本に行ってもきっとお客に好かれる。
日本語教室の生徒たち 2
 このクラスの進み具合は非常に遅い。生徒がダメだからではない。わたしが敢えて遅くしている。二人目のS君を作らないためだ。4級クラスは7月20日くらいに授業が始まり、12月7日に4級テストである。スピードを上げて進んできたに違いない。S君の努力不足もあるがフォローも十分でなかったと思う。何せ由岐子先生は別の会社の人で、彼女には自分の会社の職員を合格させる、という使命があるのである。
 このクラスは実験的なクラスでもある。授業をやっていると、とてつもなく深いところまで質問してくる。苦しみながらこちらが解答を探して答える。納得しないと、生徒がお互いに教え合い答えを導きだす。こちらが教えられている。

 「ひらがな」「カタカナ」をまず学習した。印刷されている文字は印刷活字によって微妙に異なる。この微妙な違いに異常にこだわる。わたしがこれまで気にもしなかった字の形にである。へ〜っ!こんなことが障害になるのだ!と改めて思った。さらには「し」の音にも異常こだわる。ヒンディー語では「し」の音は三種類あるとのことである。アニタさんはヒンディー語で発音が書かれている、NHK出版の「ひらがな」「カタカナ」の本を貸してくれた。そのコピーを配った。ところがわたしが聞くに、日本語の音とは微妙に違うのだ。だが、もうそこまで気にしていると前には進まない。
 やっと「ひらがな」「カタカナ」を一応卒業して「漢字」の勉強が開始した。う〜ん、と唸るほど、漢字に対するアレルギーである。たしかにわたしもヒンディー語の文字を見せられてたじろいだ。識別しろ、と言われても困難、同じことではないか。

 先日、生徒に謝った。「下手な説明で申し訳ない」。すると生徒からは逆の反応。「先生は一生懸命やっている。ただ漢字が難しいだけ」。うれしいやら悲しいやらである。このクラスでは、ときどき、私に代わって全生徒に授業の途中から先生の役をやらせることをしている。これは効果がある。参加意識が断然に違うのである。

 でも心配なことがある。何人かの生徒は日本語教育に疑問を持っているかもしれないからだ。ときどき、「何故、先生がITを勉強しないのか?それの方がずっと早い」と冗談のように言う。皆、どっと笑うが本音でもある。

<反省>
 わたしは生徒によかれと思って英語を使って授業をしている。最近、これはよいことだろうか?と思うようになってきた。生徒も会社の職員もわたしを翻訳マシーンと思い始めている。日本語を話さなくとも先生とコミュニケーションできる。わからない日本語・文章は先生に英語に翻訳してもらえばいい。これでは日本語の力はアップしない。やはり時間がかかっても直接法(日本語による授業)の方がいいように思う。

  The mediocre teacher tells.(平凡な教師は言って聞かせる)

  The good teacher explains.(よい教師は説明する)

  The superior teacher demonstrates.(優れた教師は立証してみせる)

  The great teacher inspires.(偉大な教師は触発する)


目次に戻る