高島靖男のインド日記
仕事始め  10月14日(火)
 いよいよ仕事の第一日目である。昨日と同じく8時30分に到着した。ヒテーシュさんとアニタさんから今日の予定を聞かされた。まず、人事部からオリエンテーション、11時と2時から日本語の授業、その後、先生(私のことである)に個別面談をして欲しい人がいる、とのことであった。私はヒテーシュさんが社長をしているユニカイハツという会社に「ジャパニーズ・ラングエージ・コーディネーター」という職名で採用されている。職務基準
自分の机で
書によれば、
(1)日本語教育訓練の実施、
(2)各レベルの日本語検定試験対策、
(3)日本語教育訓練教材の選別・準備・改良、
(4)翻訳グループとの翻訳共同作業、
(5)顧客への書類の翻訳、要約の準備、顧客対応、
(6)顧客提示前の書類チェック、
(7)翻訳者の内容チェック、
(8)ビジネス拡大のためのマーケティング、
が仕事内容である。
日本語教師という肩書ではない。詳しいわけではないがインドに来ている日本語教師は、日本語学校に派遣(採用)されたものは日本語教師。企業に採用されているものは日本語教師とジャパニーズ・ラングエージ・コーディネーターの二種類があるようである。前者は正しく日本語教師であるが後者は私のような職務内容の人もいれば職務内容は様々である。後者は日本語教師以外に期待されている比重が大きいと言える。日本企業が求めるインド人技術者を探すにはインド会社側に仲介をする役目の人材が必要という理由から始まったようである。横河電気が最初にこのようなジャパニーズ・ラングエージ・コーディネーターなる人材を採用したことから普及した、と本などには書いてある。私の給料はインド人の水準から言えば飛びぬけて高い。IIT(インド工科大学)の新卒の年間給与は約七十万円である(世界の最高頭脳がこの値段)。一方、私の給与はその約?倍になる。インド人の平均年収が8万円程度であることから考えると破格の値段である。更に住宅は無料提供、車の送迎付きとなっている。至れるつくせりのように見える。ただし、おいおい記載して行くが決していいことばかりではない。ヒテーシュさんはもう一つの会社(ユニアクティ)の社長もしている。この会社は浜松にある純粋日本会社との合弁会社である。同社は以前から日本語教師をインドに派遣している。この日本語教師を通じて、ユニカイハツのインド人スタッフはいままで日本語を勉強してきていた。不思議な話であるが、専属の日本語教師はいなかったのである。同日本語教師は由希子先生という30歳くらいの女性である。広島出身で、インドに来る前はロンドンにいたそうである。

 9時30分になると人事(英語圏では大半HR=Human Resourceと言う)のDipalさんという女性から会社の組織、責任者、業務内容などを説明された。一度説明を受けただけではよくわからないが神妙に話しを聞くこととした。彼女のクセであろうが、相手の同意を求めるとき、フンという発声(馬鹿にしているという雰囲気の発声とはちょっと違うので説明が難しいが)首を傾げる。最初は気にもならなかったが話しをしている間中このクセが頻繁に出るので笑いを堪えるのがつらい。ひとつわかったことは私の上司はヒテーシュさんだということである。他の人、組織とは独立していた。もう一つわかったことはインド国内業務・スタッフの責任者はダルシャン(ヒテーシュさんのいとこ。ムンバイ大学コンピュータ工学卒)さんであることだ。ただ、この会社の営業売上の90%は日本であり、ヒテーシュさんが実権を握っていた。だが、段々後日わかってきたのであるが本当の実力者はアニタさんなのかも?と思ったりする。午後にもう一度詳しいオリエンテーションを聞くこととなった。その後、Dipalさんが全職員へひとりひとり紹介してくれた。インドの本社には40人ほどしかいないので大した時間はかからない。同社の主戦場は日本なので日本にはITソフト技術者が60人以上が常駐している。盛岡、千葉、東京、埼玉、浜松、金沢、新潟、広島、福岡などである。余談ではあるが、ヒテーシュさんの話によると日本の冬が来ると必ず、日本にいるインド人技術者の数名は「両親が病気だ、友人が結婚する」、などとを言いだすそうだ。雪の降る寒さはとても我慢が出来ない、ということらしい。言いわけは決まってそうだ。笑ってしまうが、派遣された企業の方も、毎回同じ言い訳なので、あきれるやら、笑うやらで困っている、との話であった。

生徒たち
 11時から初めて日本語の授業を見物させてもらった。予定では10月一杯、見学させてもらって11月から授業を引き継ぐという話であった。11時前に教室に行った。教室と言っても日本の教室とは大きく違う。単に部屋の端のスペースを無理やりガラス張りの部屋に仕切って作った代物である。生徒が6人、先生、が入ると一杯である。従って、机などはない。膝の上にボードを置いて筆記することになる。同クラス(日本語能力4級受験クラス。7月入社の新入職員、したがって23歳、24歳くらいである。インドは7月から新年度が始まるところが多いらしい。)は6人であり、私を入れると7人になり狭いことおびただしい。11時15分にやっと生徒がそろった。とにかく騒がしい。由希子先生はこの喧噪には慣れていてビクともしない。まず、新しい先生ということで私が紹介された。「では皆さんから日本語で自己紹介してください」と、6人の生徒に自己紹介を促した。主要な説明は英語で行われていた。まず、ラジブさんという青年が立って話そうとした。ところがラジブさんの自己紹介を残る5人が勝手に話しだした。言語は日本語もあるが、それぞれ得意の言語で話しているようだ。まさにカオスである。止まるところを知らない。当のラジブさんも負けじと自己紹介する。聞く方は何を言っているのかチンプンカンプンである。国際会議では「インド人を黙らせ、日本人に話させろ」がジョークになっているが、正にそのとおりである。ここでもMe Firstなのである。場所が変わろうと、その精神は変わらない。一人が終わると次々と自己紹介をしてくれたが同じ状態が続いた。今度は私が自己紹介する順番になった。日本語と英語を半分程度使って話した。質問を6人が一斉にしだした。質問には答えたつもりであるが、皆はわかったのであろうか?このカオスが彼らの日常であるようなので十分内容は把握したようである。わからないところはお互いにわかる言語で説明しているらしい。エイリアンとの遭遇である。

 授業が始まった。テキストは「みんなの日本語T」の英語バージョンと基本漢字の英語バージョンである。英語を媒介語に行う授業である。由希子先生は英語がかなりできる。まず、漢字の勉強である。由希子先生はフラッシュ・カードに今日教えようとする漢字を記入しておいてそれを見せながら説明した。どの漢字も皆、苦労している。「犬小屋」という漢字が出てきた。皆一斉に、「ドッグの漢字。犬」と言う。「小さいの漢字、スモール」。「ストアの漢字、屋」と時間はかかるが適格に日本語で答えている。これは大したものだ、と感心していると。ミーニング(意味とは言わず、ミー二ングと言っていた)は「小さな犬のお店。だからペットショップ」と全員が答えた。これには成程と笑うと同時に教えることの難しさを実感した。答えが「犬小屋」とわかると、一斉にWhyを連発。理由の追及が始まった。

 漢字のあとは「みんなの日本語T 第20課である。この日記は日本語教師をされている方も読まれていると思うので是非、日本語バージョンと英語バージョンを比較して欲しい。個人的には英語バージョンの方が理路整然としていると思うのであります(あくまで個人的見解ですので)。英語を媒介語とする外国人であればこの英語バージョンは非常にわかりやすい。第20課は「〜ます」フォーム(形)をPlain Style(普通形)の動詞、い形容詞、な形容詞、名詞に変換を勉強する課である。漢字にはあれほど手こずっていたのに、このPlain Style(普通形)の理解は非常に高い。習得もものすごく早い。インド人の特徴であろうが理屈がわかれば、猪突猛進なのである。そのかわり、「Why?」の連続である。後日談であるが、アニタさんから、「彼らは必ず漢字の意味の理由を聞いてきます。そのとき、答えとして、象形文字は別として、漢字は日本語の会話音に中国の漢字を当てはめたもの。だから意味の理由を追及しても意味がない、と説明するのが一番、と教えてもらった。後日、そんな場面に何回も遭遇したが、その説明は非常に効果があった。とにかく英語力が絶対に必要である。しかも、微に入り細に入りの説明が出来る英語力(語彙・表現力)が求められる。

 喧噪の授業が終わった。由希子先生に「お疲れ様でした」と声をかけると、「来週からよろしくお願いします」との返事が返ってきた。「あれっ、今月一杯は由希子先生にお願いする、と聞いていたのですが」と聞き返すと。「いえ、いえ、今週一杯まではお手伝いします、と前からユニカイハツさんに言っていましたけど」、とのことである。いやはやこれは困ったことになった。日本にいる時にどこをやっているとか、全く情報をもらっていない。生活もまだ確立していないのに、どうなることやら?このあたりはインド人のずるさ、である。そのあと、すぐにヒテーシュさんに確認すると、「え?そうですか」ととぼけられてしまった。

 午後の授業である。このクラスは日本語検定3級受験の3人である。二人は入社3年目くらいのプロジェクト・リーダーで、一人は入社2年目の職員である。ここでも同じように自己紹介が行われた。午前中とは打って変わってとても落ち着いたものである。流石、リーダーともなると落ち着きが違う。3級の過去問題をテキストにして、文法の説明が行われた。由希子先生の説明は非常にポイントが絞られていて素晴らしい。英語の説明も適格である。ヒテーシュさんの話では、インドに来る以前に日本語教師の経験はないという。相当、自分で勉強したのではないかと思う。大した女性である。

 終了後、少し時間をもらって話をした。「午前のクラスみたいな状態では、試験も合格しないし、これから日本に派遣するのにまずくないですか?もっと厳しくするべきでは?」と聞いてみた。「それは新しい先生がおやりになればいいと思います。彼らは試験直前になるととても頑張るのですよ。私は授業は楽しい、というのがモットーですから」とピシャリと言われてしまった。成程、と思いながら、本当にそうなのか?という疑問も持った。その後、彼女がとても生徒を愛し、生徒もとてもなついていることを知った。

このビルの中に務めているIT会社がある
  授業のあとはDipalさんの話の続きである。驚いたことにいきなりテストである。就業規則について、である。確かに、採用契約するときに就業規則は渡されてはいるが、一度もヒテーシュさんから説明は受けていない。10問ある。少し記憶はあるが、あとは想像に任せて解答した。答えの欄が二つに分かれている。PreとAfterと書かれている。Preの空欄に記入させられた。Dipalさんはニコニコと私が解答するのを見ていて、終了すると、就業規則について説明を始めた。間違ったところ、合っているところを詳細に説明してくれた。説明が終わると、同じ問題でAfterの空欄に記入させた。要は説明後によくわかっているのか確認のためにもう一度テストする訳である。人事評価についても説明があった。私も人事評価を受けるの?何も言わなかったが、へ〜っ!と思った。

 Dipalさんのあとはリーナさんである。日記の冒頭、ニーナさんと書いてしまっているが、リーナさんが正しい。勝手にニーナさん思いこんでしまった。リーナさんはサポートグループに所属している。リーナさんからは、彼女に頼めば、よろず相談を解決してくれる、ということを説明された。文房具の調達から、航空券の手配・調達までなんでもやってくれるらしい。ちなみに、インドと日本の往復航空券をお願いするといくらぐらいになりますか?と聞いてみた。45000ルピーとの回答である。日本円で約12万円である。どこの航空会社か不明ではあるが、でもやはり安い。

 リーナさんのあとに面談が待っていた。プラビーナさんという翻訳者である。朝、アニタさんから相談を受けた。「プラビーナは、来週から2級の試験に合格するために1か月会社を休みたいと言っています。昨年は不合格でした。本人は聴解が不得意、と言っています。先生が来たのだから、日常の仕事で先生と話す機会を増やす方が休むより聴解の勉強になる、もし、それが嫌なら会社を辞めてくれ、と先週言い渡しました。そして昨日、心は決まったか?と聞いたらまだだと言うので、今決めなければ即首だと言ってやったのです。するとワンワン泣いてわかりました。ということになっているんです」とのことであった。初めからいろいろある!!

 本人と面談した。Dipalさんも同席である。非常にまじめな女性である。この子がワンワン泣いたのか、と思うと不思議な気がした。「毎日、4時間は私の補佐をさせていい、とアニタさんに言われているので3級の過去問題の日本語を全部、英語に翻訳してください。逐次、チェックします。それに加えて、「中級から学ぶ 日本語」の問題を第1課から毎日、解答しメールで私に送信してください」とお願いした。気持ちが切り替わったのか彼女の眼はキラキラしていた。Dipalさんは彼女がワンワン泣いたときにも同席していたそうで、うなずいて聞いていた。

 続いてゴーランさんという入社2年目の男性である。この人はまだ日本語の授業は始めていない。ただし、4級クラスの生徒にテキストを借りて相当自分で勉強はしている、とのことであった。12月7日に行われる日本語4級試験を受けたい、という。勿論、今回は合格しなくてもいいので相談に乗ってほしい、というのがアニタさん、Dipalさんの頼みである。「これから始めるのではとても難しいと思うけど、4級の試験範囲(語彙・動詞など)が記載されたペーパーがあるので渡します。自習してわからないところだけ聞いてください」と随分無責任なことを回答した。でもゴーランさんは目を輝かせている。自分のことでも精一杯なのにどうなるの?と思ってしまった。

 気がつくと6時を回っている。7時になるとヒテーシュさんが「帰りませんか?」と声をかけてくれた。何が何だかわからない一日であったが一日が終わった。会社を出ると、例のごとく車、車、人、人、の波である。7時10分に会社を出たが何時に家に辿り着くのであろうか?
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