高島靖男のインド日記
12月14日(月) スラム街:平和的共存

 インドに行く前から、皆にインドのスラム街はひどい!とさんざん言われて赴任した。そもそもスラムとは何なのであろうか?定年以前、元会社の国際部時代に東南アジアの諸国を訪問し、沢山のスラム街を見た。
「スラム街」とは 筆者調査(ここをクリック)
 日記の第1回に記載したが、ヒテーシュさんの言葉は印象的である。ここに再度掲載する。
 「現在、ムンバイはホテルラッシュでここのスラムの人たちは立ち退きを要請されている。インドでは勝手に家を道路脇に立てても居住権が認められているので立ち退きに伴い賠償金が政府から支給されている。賠償金が支給されると郊外の綺麗なアパートを借りる。でもそこには住まない。他人に貸して家賃を取り、自分たちはまた違うスラムに移り住む。したがって彼らは決して貧乏な人たちばかりでないのですよ」と説明してくれた。
 ある晩、ヒテーシュさんに誘われて近所を散歩した。私たちが住んでいる地域はRaheja Estateというある一定の所得層が居住するアパート群にある。ある一定所得の中産階級層と勝手に思っていたが、先日、生徒に「先生の住んでいるアパートの一部屋の値段がどのくらいか知っていますか」と聞かれた。「どのくらいだろう。100万ルピー(日本円で250万円)くらいのものかな」と気楽に答えた。「先生、日本円で3000万円くらいですよ」と言われてしまった。「え〜っ!そんなにするの。隣はスラム街だよ」とビックリして声を上げてしまった。「驚かれるかもしれませんが今ムンバイはバブルで東京と変わらない値段になっているんです」と説明してくれた。ムンバイの町全体がそのような構造になっているが、スラム街に隣接して高級アパートが建設されていて奇妙なコントラストをなしている。素朴な質問をヒテーシュさんにしてみた。「このスラムの人たちはこちらの敷地内へ入って来たり、ゴミを捨てたりしないんですか」。ヒテーシュさんの答えは「絶対にそんなことはありません。お互いの立場を守っているのでゴタゴタが起きたことはありません。いわゆるPeaceful Co-Existence(平和的共存)なんですよ」との答えが返ってきた。更に質問した。「所帯当たりどのくらいの月収があるのでしょうか」「そうですね、一概に言えませんが大体1万ルピー(約2〜2.5万円)ぐらいではないでしょうか」「え〜っ!そんなにですか?それだと結構いい生活ですよね」「家族全員で稼いで家賃はゼロ、経費はかけていませんから結構お金を持っている人もいるはずです」との回答である。百科事典で言う、「都市インフォーマル部門の就業者は、失業者とは異なり、小規模自営の労働集約的な生業についている」なのである。リキシャーの運転手(インド北部出身で英語は話せない)は皆、このスラム街に暮らしている。

 <注>インドの一人当たり平均月収:6〜7000円くらい、年間7〜8万円くらい

 ムンバイの貧民街やスラム街を歩いていると、貧しさも決して一様ではないことがよくわかる。敢えて、BorivaliからKandivaliまでの高速道路沿いに歩いてみた。ヒテーシュさんには内緒である。そんな危険なことはして欲しくない、と思っていることであろう。住む家のない人々が、高速道路脇に勝手に小屋を建てて暮らしているのだ。小屋といっても、竹の骨組みにボロ布を巻いただけのひどく粗末なもので、雨風をしのげるのかどうかも怪しいぐらいだった。子供は服など着ていない。用便は道路でしているので臭いこと夥しい。乾いた大便は集めて燃やしている。火の危険などおかまいなしだ。ムンバイは7月から9月までの3か月しか雨が降らないので乾燥しきっているのできわめて危険である。

 彼らの集まる場所は、独特の異臭が漂っている。長い間掃除されていない動物園の檻の中のような臭いだ。大人達の多くはごろんと横になり、何をするでもなく、ただじっとしている。その顔には表情というものがなく、その目は何も見ていない。貧困の中にも、ややマシな貧困と最低の貧困とがあった。最下層の人々は、存在すら無視されていた。その辺の野良犬や野良牛のように、「ただそこにあるもの」として扱われているように見える。さらに道沿いに歩くとスラム街という一角が目に入る。その中で店を開いているところがある。雑貨屋、軽食屋などがある。スラムの人がスラムの人に物を売って収入を得ているのだ。日本では想像しずらい構図である。ヒテーシュさんの言うように結構お金持ちもいるのだろう。札束を数えている男の姿が印象的であった。

 以前から気になっていた地域を歩いてみた。国立公園の横に流れる川沿いに住むスラムの人々である。川はどろどろして魚など住める状況にない。道行く人は家から持ってきた汚物、ゴミを平気で捨ててゆく。まったく罪悪感などないようである。悪臭が川から漂ってくる。気候はいつも夏状態であるからバイ菌の温床であろう。彼らに知られないようにカメラを持って出かけた。彼らはそのどろどろした川の水で洗濯しているのである。洗濯したものは河原に無造作に並べて干している。悪臭が漂い長くその場所にとどまっていることは出来なかった。裸の子供たちが無邪気にその汚い川で遊んでいる。何か食べているようであるが、吐き気がしてとても正視できなかった。

 帰路、高速の道沿いで火を起こして夕食の支度をしているスラムの家族を目にした。裸のこどもが車が走る道沿いに落ちている枯れ木をひろって運んでくる。母親はその枯れ木をマキ代わりにして火をつけ鍋で何かを作っている。父親と思しき男は少し離れたところで寝ていて動かない。とてもカメラを向ける勇気はなかった。このような現実とタージホテルのような建物。インドの歪さを感じざるを得ない。いつ、庶民が普通の生活が出来るようになるのだろうか?スラムがなくなるのであろうか?
目次に戻る