高島靖男のインド日記
12月9日(火) エレファンタ島

 ある金曜日の夕方、ラジキショア君が私の席にやってきた。「先生、明日、皆とムンバイ市内に行きませんか?」と誘われた。「ええ、行きたいですね」と即答した。なにせムンバイに赴任したとはいえ、一度もムンバイ市内には行ったことはないのである。

 翌土曜日午前11時にBorivali駅で待ち合わせた。まず、切符の購入である。切符など買ったこともないので一緒に窓口について来てもらった。順番を並んで待つ。長蛇の列である。窓口にやっとたどり着いた。「Return Ticket、と言えばいいですよ」と教えてもらった。インドは英国領であったので「Round Ticketと言うのかな?(ロンドンでは往復はRound Tripと言う)」と思っていたが違うようである。往復(2等)で19ルピー(約45円)である。市内まで20駅、42キロの距離である。安い、としかいいようがない。

 列車に乗るのは簡単だ。極端に言えば来た電車に乗ればいい。Borivali駅は終点なので到着した電車にCと表示があれば、どの電車でも市内に行く。CとはChurchgateのことである。ラジキショア君と二人で2等に乗った。土曜日なので電車はすいていた。と言っても日本で言えば混んでいる、部類に入る乗客数である。ラジキショア君と日本語で話しした。何故、ラジキショア君はじめ皆が私を誘ったかと言えば日本語の会話練習がしたいからである。ラジキショア君は既に日本語能力検定試験3級に合格していた。二人が日本語を話していると、回りがじろじろ見ている。小さな子供がラジキショア君に話しかけた。どうも何語を話しているのか聞いたようだ。日本語とわかると、回りの皆に伝えたようである。それからは皆が聞き耳をたてているようで、話していても居心地が悪かった。

 ラジキショア君の出身はOrissaというムンバイから東の山岳地帯である。ムンバイから列車で24時間ほどかかるらしい。地元の大学を卒業したがIT技師として採用してくれるところがなくムンバイに出てきて、ユニカイハツに採用されたようだ。ユニカイハツの職員はムンバイ出身よりも、彼のように地方の大学を卒業してムンバイに出稼ぎにように来ている連中ばかりである。従って、大半はユニカイハツの寮に寄宿している。今日はその寮にいる仲間(皆、私の生徒である)が市内に一緒に行くことになっている。

 Churchgateに着いた。約1時間の旅である。寮の仲間はすでにChurchgateに来て待っていた。私を入れて総勢6名である。駅を出る時、切符の提示を求められた。インドでは切符を買っても意味がない、と思っていたが、これなら買う意味がある、と初めて思った。妙な気持ちである。「先生、どこに行きたいですか?」と聞かれた。「インド門が見たい」と即答した。皆も同意見だったらしく、駅から2台のタクシーを分乗してインド門に向かった。結局、タクシー代も生徒が払ってくれた。そんなつもりがないので困ったことになった。

 インド門(Gateway of India)に到着した。Churchgateからタクシーで10分の距離である。歩くにはちょっと距離があるが、タクシーでは近すぎる距離である。ムンバイ一番の観光名所であるから当然であるがインド門はすごい人である。そして隣接するかのようにタージ・マハール・ホテルの旧館と新館が建っている。タージ・マハール・ホテル旧館は最低一泊2万5千ルピー(約六万円くらい)するが年中一杯である。生徒のひとりが言った。「タージだとコーヒー一杯が250ルピー(600円くらい)するんですよ。高くて庶民は行けません」と言った。

 ラジキショア君から「先生、これからエレファンタ島へ皆、行きたいと言っているのですが、いいですか?インド門の船着場から船で45分くらいかかりますが・・・・」と聞いてきた。「勿論、どこでもついていくよ」と即答した。今度も生徒が船賃を払ってくれる、と言ったが、自分の分は払う、と言って120ルピー(往復である)を渡した。船の中で生徒全員のメールアドレスを書いてもらった。あとでお礼のメールを送るつもりだ。
エレファンタ島のことを説明しよう。世界遺産(1987年)に登録されている(ここをクリック)。
 船に乗ること1時間30分、やっと エレファンタ島の船着場に到着した。めざす石窟寺院はさらにトロッコ電車に乗って、1000段の階段を登ったところにあるらしい。お腹がすいた。のども渇いた。船着場に露店がならんでいる。生徒がキュウリを買ってくれた。これは旨い。インドに来て一番!日本のキュウリより大ぶりなキュウリの皮をむき、包丁で縦に四つ切りにしたものに、チリペッパーと塩をかけたものだ。

 なんの手もかけていないが、これほど旨いものがあるのか!と思わせる味だ。シンプル イズ ベスト、まさにそれである。

 トロッコ電車に乗って5分くらい、階段の下に到着。レストランに飛び込んだ。流石に観光地で、ベジタリアンとノンベジタリアンの料理が用意してあった。久し振りにチキンカレーを注文した。75ルピー(200円くらい)だ。いつも22ルピー(60円)のカレーを食べているので随分今日は贅沢した気分だ。インドに来てから一度も日本人に合ったことがない。生徒が日本人らしき観光客を見つけてきて、話しかけてみてくれ、というので話してみた。中国人であった。まだまだ、ムンバイで日本人に出会うのは稀のようである。

 食事が終わり、石段を登る、ということになったがその長さに一瞬たじろいでしまった。石段のよこに日本の籠のような乗り物がある。いわゆる駕籠かきがここにあるのだ。確か金毘羅さんにもこんな籠があったような?往復250ルピー(600円くらい)と書いてある。インドでは高価な乗り物である。石段の両脇にはお土産もの屋さんが並んでいる。観光地は世界どこへ行っても共通のようだ。だが、お客が立ち寄っているふうには見えない。これで商売が成り立つのであろうか。

 やっとのことで石段を登りきった。息が上がってしまった。さて入場料である。表示を見て、これは一瞬見間違え?と思って係員に聞いた。インド人10ルピー、外国人250ルピーと書いてある。25倍の料金である。係員いわく、「間違いない」とのこと。よっぽど外国人が金持ちと思っているのか?あるいは搾取してやれ!と思っているのか?

 中に入り、めざす第一石窟寺院へ行った。おおお、これはまさに世界遺産!250ルピーも致し方なし。すごい!こんな像がこんな島に残っているなんて!不思議としか言いようがない。日本に渡って来た仏教のルーツを見る想いだ。いくら写真を撮っても撮りきれない。

 7つの石窟を見てまわると午後4時30分を回っていた。帰途につくこととした。来た道を逆に辿り船着場に着いた。船着場から沖で漁をする漁船がたくさん見える。夕日と相まって素晴らしい光景である。船に乗ったとき、わたしも生徒もぐったり。船の中では熟睡してしまった。

 インド門の船着場に着くと外は真っ暗。タクシーを拾おうとするが、どのタクシーもChurchgateのような近距離は乗車拒否。仕方がないので歩くこととした。ちなみにムンバイ市内にはリキシャーはいない。タクシー業界がリキシャーを閉めだしているのである。リキシャーがいれば簡単に乗れるが、タクシーとなると台数が限られ、小回りも利かないので不便このうえない。ムンバイ市内はちょっと別世界という感がある。

 Churchgateまで歩くうちに、生徒が一人二人と消えていった。別に消えた、と言っても本当に消えたのではなく市内の友人などを尋ねて行ったのである。最後はラジキショア君と二人になった。Chuchgateまでの道すがらムンバイ博物館、ムンバイ証券取引場などを見ることが出来た。

 夜7時Chuchgateから夜汽車に乗った。満席である。本当にインドは「人種のるつぼ」、「言葉のるいつぼ」である。ターバンを巻いたひげの男。顔から頭まで真っ黒なスカーフで覆った女性、得体のしれない笑いを浮かべた老人。ラジキショア君はBorivali駅(終点)まで送ってくれると言う。本当に世話になってしまった。夜汽車は走り出した。帰宅したら生徒に今日の写真をメールしよう。
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