高島靖男のインド日記
12月9日(火) エレファンタ島とは

エレファンタ島のことを説明しよう。世界遺産(1987年)に登録されている。
ムンバイ (ボンベイ) は特別経済保護地域として、1534年にポルトガルの手にわたっていた。 この島を訪れて石窟寺院の外に立つ大きな黒い象の彫刻を見つけたポルトガル人は、この島をエレファンタ島と名づけた。山の頂上近くにある7つの石窟は、6〜8世紀に掘られたもので、ヒンドゥー彫刻の宝庫である。なかでも高さ5.7メートルのシバ神像は、創造者、守護者、破壊者の3つの顔をもち、その大きさとダイナミックさには、見る誰もが圧倒される。ほかの彫刻も、シバ神にまつわる神話から題材を得たものが多く、踊るシバ神像やシバ神の婚礼の図などが、華麗に壁面を飾っている

 次にやってきたイギリスの植民者は、1864年に象を解体して海路イギリスへ運ぼうと企てた。 しかしムンバイまで運んだところで計画は頓挫し、1912年になんとか元の姿に組み立てられた大きな象の彫刻は、以来ムンバイのヴィクトリア・ガーデンズの博物館の庭に置かれている。

 エレファンタ島の船着き場から 1,000段の長い階段状の道を上がった所に、めざす石窟寺院があり、これを第1 窟という。 エレファンタ島にはほかにも石窟があり、最も古いふたつの石窟寺院は島の東側に位置する。 そこは仏教遺跡とされる 「ストゥーパの丘」 のあるモーラという村の上方にあたる。ふたつの石窟の一方は未完成のままである。ポルトガル人だけに責任があるというわけではないが、石窟の外側の土が取り除かれたことや、意図的な破壊が行われたために、つくられた当初の輝きはほとんど失われてしまった。春にエレファンタ島で催される舞踏の祭りは全国に知られ、毎年多くの人々を楽しませている。 とくに日曜日には、インドの各地から人々が連絡船でこの小さな島にやってくる。かつての石窟寺院に、礼拝の声が聞かれなくなって久しいが、その代わり石窟入り口周辺の木陰はピクニックの人々であふれている。

 エレファンタ島に残された偉大な文化遺跡は早急に保全の手だてを講ずる必要がある。 わずか数キロメートルの所にある近くの島々には化学工場などがあるばかりでなく、現代インドの象徴ともいうべきトロンベイ原子力発電所まであるのである。
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