X・結びに代えて


@ 二度目のキャメロン
ロングステイガイド マレイシア

・ 去年の2月に再度キャメロンに行きました。ヘリテージのロウラ、運転手のサミー、中華食堂「五月花」の小母さん、美容院のご主人、メイバンクの窓口嬢などに会うことができました。皆さん再会を喜んでくれました。しかしドリアン売りのキングコングには会えませんでした。ドリアンがシーズンオフだったからです。

・ 各地にも旅行しました。特にマレー半島の東側にあるコタバルはペナンからタクシーを利用して6時間余の旅でした。途中タイ国へ入り地元警察の臨検に会ったり、象が横断する注意看板に驚いたり

コタバルの古戦場

緊張の連続でした。コタバルは真珠湾攻撃の開始90分前に久留米の部隊がこの地へ上陸した故戦場で今は500余名の戦死者を出した所とは思えないほど静かで寂びれた砂浜の漁村でした。


・ この町で危うく1日1便しかないイポー行きのバスに乗り遅れるところでした。後で反省しました。それはこの国の人達は少しでも知っていると、当方の質問に対して(確固とした自信すら見せて)(かなり間違えていても)不確かな解答をする癖があるのです。これをサービス精神の表れと解するか、不信感で疑い深くなるかは自由です。旅人としては時間の制約もあります。土地に不案内ですから不正確な情報でいたずらに時間を食ったのでは困ります。我々の場合 長距離の「バス停」(発着所が市内に3箇所もありました)を教えてくれた最初の人が、なんとバス会社の係員でしたから、問題は複雑でした。以後 念には念を入れてバスに乗るべしと心に誓いました。

・ 白状すると前回のプドラヤバス停でもこの手の誤情報で時間を食った経験があります。
クアラカンサー 筆者撮影

・ 前回観光を失敗したクアラカンサーへも挑戦してきました。べラ川沿いのホテルで改めて金色に輝くモスクの屋根を望見し、タイガービールを飲んできました。

・ パンコールへも行きました。あのビーチボーイのジャスニーが奥さんと二人の子供を連れて会いに来てくれました。小さな島ですから写真を見せたらすぐに身元が判明したのです。
小生のデジカメを欲しがったのには少し困りました。
ジャスニー


・ イポーにも行きました。イポーのタージマハルといわれる 駅2階のマジェスチックホテルに宿泊しました。この建物は1920年ごろ建てられたコロニアル風の建物で手動製のエレベーターで2階のフロントへ行きます。とても広いベランダ風の通路があり各部屋はここから出入りするのです。この廊下にはソファーなどが置かれ食事などもできるのですが、床のモザイクタイルが歴史を物語っていました。通りの向こう側には大きな州立モスクがあり細長くて金色に輝くミナレットは異国情緒たっぷりでした。2泊しました。


・ 駅舎は近いうちに改築されるそうです。

・ 人口50万人、マレーシア第三の都市でここからすぐ近くのバスターミナルから北はペナン、南はシンガポール、東海岸の各都市等へ急行バスが出ています。

・ この町は高層ビルの目立たない緑の多い広々とした街でした。
・ 昔スズの需要が急増した時代、世界最大のスズ生産国であったマレーシアの半分以上がこのキンタ川流域で生産され、イポーはこの中心地として発達したのです。


A・拝金主義と旅の安全について

・ タナラタで拝金主義が見られるようになったと感じました。物価も僅かですが高くなったと思いました。もともとチップと言う習慣がなかったのです。ある人が何時も少し多めの金を出すのでたしなめたところ「これは俺の自由。勝手にさせてくれ」といわれたそうです。後々の旅人、後輩達のことを考えられない、困った方で、このような方は来てほしくないのです。我々は現地の人達の生活環境を変えるような習慣は持ち込むべきでないのです。このような拝金主義を蔓延させないようチップを制限したり、日本語教室などで日本にもチップ制度はない、金は貴方がたが考えるほど軽くはないよ と教え込む必要があります。
これは「キャメロン会」の主張点でもあります。


・ 次に安全に対する感覚です。

・ 海外では自分の身は自分で守る心構えが必要なことは申すまでもありません。最新の外務省海外安全相談センター等のニュースを手に入れ安全対策を立てる必要はあります。キャメロンは勿論KLなどに比べると安全ではありますが、ここは外国であることをひと時も忘れないで旅をしましょう。


・最近のスマトラ沖地震は、マレーシアに限れば被害が少なかったようです。死者は51名、負傷者218名、行方不明18名、死傷者の殆どはビーチ沿いにピクニックしたり釣りをしていた現地の方、と政府が発表しました。倒壊家屋700戸殆どがペナン州でした。ペナン、ランカウイの殆どのホテルは通常どうりの営業を再開したようです。マレーシアに限って 今回の地震は 殆ど影響は なかったと、云えましょう。


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